一章 師匠と弟子
迷い猫と魔術師とピンク色
魔術師を目指す者にとって、一番必要な才能は努力と根性だ。
世の高名な魔術師たちが訊いたら鼻で笑われそうな話だが、『エルギア』最強にして至高の魔術師たる『賢者』から言わせれば、それは純然たる事実なのである。
人間、魔族問わずに、積み重ねてきた魔術の歴史を紐解けばわかる話だが、そもそも魔術とは失敗を前提として正解を探し続けるという、ある種の矛盾を孕んだ存在だ。
世の理に干渉し、固定されていた概念を捻じ曲げ、自らの空想を現実に置き換えてしまう力。それこそが魔術。
故に魔術は人々に忌み嫌われ、時には殺戮や呪詛の道具として使われた時代もあったし、逆に崇高な力として崇拝された時代も存在した。
そんなデタラメで、よくわからない力が今の時代では当たり前な存在として人々に受け入れられているのは、まさしく歴史上の魔術師たちのたゆまない努力と根性に他ならない。
魔術の道を極めるには知識を読み漁るだけでは足りない。未知への尽きることない探究心。他者に迫害されようが、誤解されようが、自らの道を信じ続けて進むことができる折れない野心。たった一つの魔術を完成させるまで、無限にも似た数の失敗を繰り返し、失敗の底を探り続ける心の強さ。
不屈の根性。
歴史に名を残した魔術師たちの、絶対にして無敵の魔術だ。
無論、彼らが必ずしも正しく在ったわけではない。時には非人道的な実験を行なった罪人の魔術師――魔術に魅入られてしまった者も確かに存在はする。
しかし、それらも見方を変えれば、魔術に対する飽くなき情熱によって突き動かされた結果であると言えるだろう。
「――そう言う意味では、おまえは魔術師に向いてるのかもな」
足元で子猫が、にゃー、と同意するように小さく鳴いた。
その様子に和みながら、ルアードは現実逃避を諦めて、視線を上に向ける。
そこにはピンク色の尻があった。正確に言うのなら、ほどよい大きさの尻と薄い桃色のショーツが壁の穴から飛び出している。否、飛び出しているのではなく、尻が穴にハマっていた。
普通の感性の持ち主ならば、目の前の光景に性的な興奮を覚えて生唾を飲むか、芸人よろしく面白いように取り乱すだろう。
だが、現在進行形で壁にハマっている人間と、そうなった間抜けな経歴を知っているルアードとしては、目の前の光景に性的興奮を覚えるのもパニクって取り乱すのもアホらしい。
「あの、できたら助けてくれませんか? 割と本気で抜けないんですが」
尻が助けを求めてきた。
できれば目の前の奇怪な尻のオブジェが、冗談やギャグの類いであってほしいと切に願う。だが、目の前で壁に頭から突っ込んでいる人物にとって、このくらいの行動力と馬鹿さ加減は呼吸をするのと同義であることをルアードはよく知っている。夢や錯覚と願うよりも、さっさと諦めて現実だと納得する方が早いこともだ。
「ほら、飼い主さんのとこに連れてってやるから大人しくしてろよ」
にゃー、と間延びした返事が返ってくる。
ひょい、と身軽に肩へと飛び乗った子猫の頭をルアードは軽く撫でてやり、そのまま踵を返して路地裏から出ようとした。
「待って! ヘルプ! 助けて! ホントに! ホントに壁から抜けないんです!」
バタバタと見苦しく足を動かしながら尻――ステラが声を張り上げた。
そろそろ夕方になりそうな時間帯。仕事を終えた労働者たちが日々の疲れを癒すために酒場に駆け込み出す時間帯に、ルアードとステラは二人きりで路地裏にいた。若い男女が路地裏で二人きりと言えば、多少なりし色欲な話を想像しそうなものだが、実際は色欲とは真逆な、非常に間抜けな話だ。
昼間の時刻、ルアードとステラが常連として利用している酒場『ルシエ』の若き女店主が、他の常連客が飼っている猫が居なくなったので探して欲しいとルアードに頼んできた。
魔術にはそういった探査系の魔術が多数存在し、魔術師の中には探査の魔術で物を探したり、応用して様々な占いに利用することが得意な魔術師も大勢いる。
そんな理由から名指しで選ばれ、嫌なら溜まっていたツケを払えと店主に脅されたことが決めてとなり、ルアードは渋々昼間から猫探しをすることになった。
実際、魔術師として高い実力を持っているルアードにとって、家出した猫一匹を探すことなど容易いことだ。
広大な国土を持つ『エルギア』で猫探し。
面倒くさいといえば面倒くさいが、見つけるだけならそこまで苦でもない。それに、ルアードにはこういった時にしか役に立たない弟子がいる。面倒な肉体労働は彼女に全部任せればいい。
そうと決まればと、ルアードはバイト中のステラに魔術の修行をすると嘯き、適当な言葉で強引に騙くらかして、猫探しを無理矢理手伝わせた。
「そうは言ってもなぁ、壁に頭から突っ込んだバカを助ける魔術は残念ながらないぞ?」
「なら足を引っ張ってくださいよ!」
ステラの涙混じりな叫び声が、薄暗い路地裏に反響する。呼応するように猫が鳴く。
探していた猫はあっさりと見つかったのだが、何故かその過程でステラは頭から壁に突っ込んでいた。路地裏に消えた猫をステラが追いかけ、ようやくルアードが追いついた時には既にこの有り様だったのだ。どうしてこうなった、とルアードは頭が痛くなったのは言うまでもない。ステラ・カルアナは悪いやつではないのだが、要領が悪くて少し無鉄砲なやつだったりする。
だからといって、それに付き合わされているのが不幸というわけでもない。時折考えなしに行動して、余計なトラブルを連れてくることはあるが、基本的にステラは魔術の師匠であるルアードに対して従順だ。でなければ、とっくにステラは別の魔術師に鞍替えしている。
やれやれ、とルアードはバタ足を続けているステラの足に手を伸ばした。
彼女の細い足首を掴み、壁に片足をつけて、地面に生えた野菜を抜くように力強く引っ張った瞬間、
「あだだだだ!?」
「ふごっ!?」
ステラが甲高い声で悲鳴を上げた。それと同時にルアードも悲鳴を上げる。
痛みから逃げるようにステラが暴れて、右足で掴んでいたルアードの手を弾き、さらに左足でルアードの顎を的確にに射抜いたのだ。拳闘士のアッパーでも食らったかのように、ルアードの頭が空を向く。ゴキリッ! と首の骨が鳴った。
「うわっ! 師匠! 大丈夫ですか!」
ルアードの悲鳴で状況を察したステラが焦りの声を出した。脊髄反射で蹴り上げてしまったらしく、ステラは石化したように身体を硬直させる。
「…………」
スカイアッパーならぬスカイキックを受けたルアードは、無言で空を見上げていた。その無言にステラは冷や汗をかく。
やがて、低く、唸るような声色がルアードの口から漏れた。
「…………ほぅ。いい度胸だな、バカ弟子」
「ひいいい! すいません! ごめんなさい! 悪気はなかったんです! 本当です!」
「――ああ、わかってるさ。俺は全部わかってる」
「そ、そうですよね! いくら師匠が女に寄生して生きるヒモで無職でロクでなしのクズ野郎でも、そこまで外道じゃあ――」
ビキッ! と何かが切れた音がした。
「引っこ抜くなんて野蛮な方法、魔術師らしくないもんな」
「え? あの……師匠? なんかさっきから非常に嫌な感じな音がするんですが……」
「安心しろ。今とっておきの高度な魔術で助けてやるから」
そう言ってルアードは指先に光を燈らせた。『マナ』と呼ばれる大気中、或いは自然物から生まれる天然の魔力の元を指先に掻き集めているのだ。
その『マナ』の一部を使って、ステラがハマっている穴の正面で空中に魔法陣を描いていく。一般的な魔術は、こうした魔法陣や専用の呪文を唱えることで発動する。つまり、ルアードは魔術を使おうとしているわけだ。しかも本来ならルアードは瞬きをするよりも早く魔法陣を描けるというのに、ステラの恐怖を煽るためにわざとゆっくりと魔法陣を描いている。
「ちょっ! それ本当に大丈夫なやつですよね! 前の時みたいに竜巻に呑み込まれたりしないですよね!」
ステラは修行中に経験した様々な
そんなステラの命がけな説得をルアードは華麗に無視して、
「《理に告げる・天の星・悠久の調・大地の脈動・我が
瞬間、ステラがハマッていた壁の一部が文字通り跡形もなく消失した。
「……へ?」
「っち、外したか。やっぱり久しぶりに対軍用魔術を使うと勘が鈍るな。狙いが甘くなる」
「ちょおおおお!? 対軍用ってなんですか! 今、一瞬でなんか隣の壁が消えたんですけどぉぉぉ!」
うるさいなぁ、とルアードは呆れながら第二射の準備に取り掛かった。ステラは普段から喧しいが、こんな時は更に二割り増しで喧しい。
ハマッていた穴の半分が消失し、とっくに自由の身になっていることに気づいていないらしく、ステラは涙と鼻水を飛ばしながら本気で助けを求めて叫んでいた。
はたしてその表情は年頃の女の子的にどうなのか、とルアードは思う。
「《理に告げる・天の星・悠久の調・大地の――」
「いやあああああぁぁぁぁ! 誰か助けてー!!」
この日、『エルギア』の路地裏に建っていた古い建物が丸ごと一件消失したという事件があった。現場付近に居た者の話では、魔女の様な格好をした少女の非常に情けない叫び声が聞こえたらしいが、その真相は定かではない。
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