キャット・ファイト

「どういうつもりですか!」


 『エルギア』魔術学院の学院長室に、先ほどシャーロットと言い争いをしていた女生徒の怒声が響き渡る。

 炎のように真っ赤な髪の女生徒だ。学院指定の制服を少しだけ着崩し、階級を示す黒のローブには第二階級を表す赤の二本線が引かれている。

 その勝気な瞳には、はっきりとした怒りの色が見えていた。


「なんの話ですか? ミス・ベルベット」

「ニーナ・アシュトルフォの件です! あの事件は、王宮所属の魔術師が調査しているのではなかったのですか! 今朝見たあの二人がそうだとは、私にはとても信じられません!」


 ベルベットと呼ばれた赤毛の女生徒は、ばん、と両の手で机を力任せに叩いて、正面に腰掛ける初老の女性を睨みつける。


「落ちつきなさい、ベルベット・レィンティア。誇りあるレィンティア家の跡取りが、そんなに取り乱すものではないですよ」


 ベルベット・レィンティアに激しい剣幕で詰め寄られても、初老の女性――アメリア・ダーナ学院長はその温和な表情を崩さない。


「はぐらかさないでください、アメリア学院長! まさか、あなたもあの二人が『剣聖』からの依頼で来たという世迷言を信じているのですか!?」

「まさかもなにも、信じているからこそ学院に来ているんですよ。それに、私個人からも彼に事件の調査を依頼しました。何か問題でも?」

「問題だらけです!」


 ベルベットは忌々しく叫び、アメリアが腰掛ける机を再度叩きつけた。


「事件の調査に来たと言っておきながら、あの場違いな格好! 空気を読まない言動と行動! ふざけているとしか思えませんッ! なんなんですか、あの二人は!」

「ああ、たしかに『剣聖』からは、少し変わった助手を一人同行させると聞いてますね」


 アメリアはベルベットからの話を訊いて小さく頷く。


「助手? あの悪趣味な格好をしたやつがですか!」

「あら、そんなに目立つ格好なのですか?」


 ふん、と小馬鹿にしたように、ベルベットは鼻を鳴らす。


「今時、時代遅れな古臭い黒の三角帽子と黒マントですよ! そんなふざけた服装で誇りある『エルギア』魔術学院に来る阿保を私は見たことがないです! しかも、これまた古臭くて、馬鹿みたいに巨大な杖を持ち歩く悪趣味さ! 最初、私は自分の目を本気で疑いました!」


 忌々しそうにベルベットは顔をしかめる。

 しかし、話を訊いていたアメリアは興味深そうに言った。


「ふむ……今の世の中で、そんな昔ながらの魔術師の正装をしている若者がいるなんて……年寄りとしては、ちょっと感動しますね」

「いいえ、学院長。あれは真性の馬鹿と言うのです! あんなのを連れ回して、ニーナの事件の調査をする? そんなの、ニーナを……死者を侮辱する以外のなにものでもない行為ですよ!」

「しかし、直接的な調査をするのその人物ではなく、ルアード・アルバ本人の筈では?」

「その本人が一番の問題なんですって!」


 再び、ずばんとベルベットは机を力強く叩いた。


「学院長が呼んだその男は、シャーロット・フォーサイスと知り合いなんですよ! 容疑者筆頭のフォーサイスと知り合いなら、事件を隠蔽することだって容易い! 学院長は何故、そんな人物を信用できるのですか!」

「いや、それは貴女が勝手にそう決め付けて、周りに言い回しているだけなのでは?」

「忘れたのですか、学院長! 『聖戦』の時代にフォーサイス家が犯した大罪を!」

「だから、それと彼女がニーナ・アシュトルフォの事件の容疑者になるのとは関係が……」

「ありますよ!」


 アメリアの反論を遮るように、ベルベットが断言する。


「シャーロット・フォーサイスは第三階級の生徒です! しかし、その第三階級になるまでの過程は、不正極まる内容じゃないんですか! そもそも、フォーサイス家は人間の魔術師でありながら――」


 その時だった。


「随分と楽しそうですわね。ベルベット・レィンティア」


 学院長室に突然響き渡ったその言葉に、ベルベットは凍りつく。


「わたくし個人への侮辱なら、いくらでも言って構いません……ですが、家名に対しての侮辱ならわたくしも容認しかねますわね」


 ベルベットが振り向くと、学院長室の入り口で立つシャーロットがいた。


「な……シャーロット・フォーサイス! 何故、貴女がここに……」

「あら? 学院の生徒が学院長室に来るのが、そんなに可笑しなことですの?」

「そういう意味じゃなくてッ……どうして貴女が学院長室に来る必要が……」

「学院長室の場所がわからないとおっしゃっている来客の方に道案内をしただけですわ。それとも、貴女は道がわからない人に道案内をするのが悪いことだと?」

「ぐっ……」


 シャーロットの後ろに控えるルアードとステラの姿に、ベルベットは悔しそうに歯噛みする。

 屈辱に震えるベルベットを尻目に、シャーロットはアメリアに向かい優雅に一礼する。


「ごきげんよう、学院長。お客様を連れて来ましたわ」

「ええ、ありがとうございます。ミス・シャーロット」

「学院の生徒として、をしたまでですわ」


 さりげなく、当然の部分をわざとらしく強調するシャーロットに苛立ったベルベットは、嫌味たっぷりな笑みを浮かべて先ほどの反撃を試みた。


「はッ、流石は卑怯な方法で第三階級になっただけあって、教師への得点稼ぎも上手いのね」

「あら? 女の妬みは醜いだけですわよ」


 本人的には精一杯の嫌味だったのだが、言われたシャーロットは澄まし顔で受け流す。

 その飄々とした態度に、ベルベットは更に顔を真っ赤に染めた。


「ふ、ふん! 貴女のお父上みたいに、魔族相手に媚びを売るよりはよっぽどマシでしょ! 人間を裏切った、『愚者』のフォーサイスに比べれば――」

「……取り消しなさい」


 その時、その低い声で呟かれた言葉に部屋の空気が凍てついた。


「先ほども言いましたが、わたくし個人への侮辱はいくら言おうが構いません。影でわたくしの家名を汚すような言葉を吐いているのも許しましょう。ですが……わたくしの目の前で、わたくしに向かってお父様を侮辱する発言だけは許しませんわ。取り消しなさい。今すぐに」


 シャーロットが放つ圧倒的なプレッシャーに、ベルベットは無意識のうちに自分から足を一歩後ろへと下げていた。


「ほっ……本当のことでしょ……十年前にフォーサイス家が……大罪を犯したのは……事実なわけで……」


 脂汗を垂らして、ベルベットは喉奥から絞り出すように言う。

 そんなベルベットをシャーロットは冷ややかな、だけど確かな怒りを込めた目で見ている。


「な、なんとか言いなさいよ! このっ……逆賊の娘が!」


 半端ヤケクソ気味にベルベットが言った一言。それをきっかけに、ブチッと何かがキレる音がした。


「そう……ですのね」


 見れば、シャーロットは左腕をベルベットに向けていた。


「《満たすことなき・紅蓮の焔――」


 シャーロットの紡ぐ言葉の意味を理解したベルベットは目に見えて狼狽し、己が失言を悟る。


「なッ……こんな場所で魔術を使うなんて、正気なの!」


 青ざめた表情でベルベットが叫んだ。

 炎の魔術。それも人を簡単に焼き殺すことも可能な上位の魔術だ。一学院生徒が使えるような魔術ではない。

 助けを求めるようにベルベットは視線をアメリアに向けるも、自分は関係ないと、アメリアは瞳を閉じて静観を決め込んでいた。


 ――まさか、この人は私を見殺しにするつもりなのか?


 左腕に集まっていく『マナ』の煌めきに、ベルベットは本気で自分の死を見た。今から対抗魔術を用意しようとしても間に合わないのはわかりきっている。


「――眼下の贄を・焼き……」


 誰でもいいから、助けてくれ。そんな願いを聞き入れるように、


「《不許可で》」


 パチンッ、と指が鳴る音が学院長室に響いた。音が鳴った瞬間、集まっていた『マナ』が霧散していく。


「やり過ぎだ。この馬鹿」

「あだッ!」


 ぺちん、とルアードがシャーロットの頭を強めに叩く。

 それだけで、張り詰めていた空気が穏やかに外へと流れ出ていくような気がした。


「あっ……あっ……」


 ベルベットは震える膝を、他の人に――特にシャーロットにだけはバレないように力強く叩くことで誤魔化した。

 突然魔術を使おうとしたシャーロットはもちろん、発動直前の魔術をたった一言で打ち消したルアードの実力に、ベルベットは未知の恐怖を抱いたのだ。抱いた上で、ベルベットはシャーロットに弱さを見せたくなかった。


「わ、私は貴女を認めないッ! 絶対にッ! この人殺しがッ!」


 捨て台詞を吐いて、ベルベットは学院長室を逃げるように出ていった。

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