エピローグ・おそらくは華麗で美談的な終演を
「……俺さ、思うんだ。今回は珍しく頑張ったよなぁ、って」
ルアード以外のお客がいない酒場『ルシエ』で、カウンターに顎を乗せたまま、ルアードは弱々しく呻いた。その表情にはいつも以上に覇気がない。カウンターにいるカナリアも、その様子に苦笑している。
結局、カナリア・ルシエが店の営業を再開したのは、あの自爆テロ事件から一ヶ月後のことだった。
復興作業の所為でロクに遊ぶこともできず、暇つぶしに弟子を使って憂さ晴らしをするくらいしか時間の使い道がなかったルアードにとって、『ルシエ』の営業再開は割とビックニュースだったことに間違いはなかった。だからこそ、ルアードは修行と称した弟子イジメを中断してまで、カナリアの元に向かうことにした。
ちなみに弟子はシャワーを浴びてから来るそうなので、少し遅れるらしい。今日も滝の上から通算三回のダイナミックダイブを決めたのだから、ある意味当然だろう。
「そうね。カインツやリーズから訊いたけど、大活躍だったそうじゃない」
ルアードの座るカウンターには、普段の水ではなくラム酒の入ったグラスが置かれている。カナリア曰く、営業再開最初の客が水しか頼まない貧乏人では縁起が悪いからとのことだ。
「そうだよ! 世間様にはカインツの手柄って事にしてやったけど、事件解決の為に一番頑張ったのは間違いなく俺だ!」
「あれ? でも、あんた確か爆破予告時間ギリギリまで詰所で寝てたって、カインツが言ってたような……」
「なのに! ――なんで俺の財布はこんなに薄いんだよ!」
勢いよく立ち上がって、ヤケクソ気味にカウンターに叩きつけた黒の財布は、びっくりするくらいにペラッペラだった。本来なら、この財布には国王陛下から貰った金一封がギッチリと詰められ、それを見せびらかして優越感に浸るつもりだったのだ。
しかし、悲しいくらいに現実は甘くなかった。
何をトチ狂ったのか、ルアードが貰うはずだった金一封を弟子のステラが、
――そのお金は街の復興資金に使ってください。
と、勝手に言って、使い道を決めてしまったのだ。
しかも当人のステラは国王陛下の前で堂々とそう言った上に、これでいいんですよね! とこちらに向けて自信満々な笑みを浮かべていた。こうなると、ルアードは死んだ魚みたいな目で頷くしかなく。
結果、本来ならルアードの懐に入るはずの金一封は、街の中に消えたのだった。
「まぁ、いいじゃない。肉体の労働は精神の苦労を癒すらしいわよ。それこそが貧者の幸福なんだってさ」
「……それ、本当に貧乏人が言った台詞なんだろうな?」
「いや、どっかの王族貴族様の有り難いお言葉よ」
「とりあえず、その貴族様は今すぐ死んでくれ……」
ぐったりとルアードはカウンターに項垂れる。タダ働きはルアードが一番嫌いな言葉だ。
とは言え、よくよく思い出してみれば十年前――『聖戦』の時代もそうやって結果的にタダ働きになったことが多かった気がする。『勇者』の無茶振りに付き合わされながら無茶難題な事件を無事に解決しても、なんやかんやで報酬や褒美は全部パーになり、毎回のように『勇者』とそのことで殴り合っていたものだ。そう考えれば、自分の人生はタダ働きばかりだ。
「はぁー……金でも降ってこないなかなぁ……」
世知辛い世の中だ。ルアードがそんな風に考えていた、その時である。
「よう、一ヶ月ぶりだな」
不意に背後から声がかかった。
「……何しに来たんだよ? ここはおまえみたいな筋肉バカが来るような店じゃねぇぞ」
声に応じ、ルアードは邪険な返答をしながら振り返る。
そこには、私服姿のカインツがいた。一ヶ月前まで痛々しく腕に巻かれていた包帯も既に外れている。
「『ルシエ』が営業を再開すると聞いて、再開祝いに寄っただけだ。おまえこそ、金もないのによく酒場に来れるな」
「うっせぇよ。金なら俺の愛弟子が代わりに用意してくれてるからいいんだよ」
ルアードはさも気怠げにそう返す。
いかにもルアードらしい返答に、カインツは苦笑しながらルアードの隣に座った。しっしっ、と虫でも払う仕草で睨むルアードを無視して、カインツはカナリアにウイスキーを注文する。
「一つ訊いてもいいか? あの時、どうしてステラ・カルアナじゃないと駄目だったんだ?」
「あの時?」
「杖を見つけるって話の時だ」
いちおう真剣な表情になって、カインツはルアードに訊く。
《賢者の塔》の起動
その意味と理由をカインツはまだルアードから訊いていない。
ルアードは面倒くさそうに頭をかいて、
「大した理由はねぇよ。俺の施した認識阻害の魔術を破るには、十年前に使った記憶操作の術の影響を受けていない魔術師じゃないと駄目なんだ。あの時、その条件に当てはまるのがウチのバカ弟子だったって話さ」
そう言ってルアードはラム酒に口をつけた。喉を通してアルコールが体に染み渡る。
カインツは、そうか、と頷いて、
「だからおまえはあの時、彼女でないと無理だと言ったのか」
「なんだよ? イマイチ納得してないって、顔だな」
ルアードが指摘すると、カインツは逃げるように目を逸らした。
「いや、その、本人には言えないが、彼女は魔術の才能が……その、あまり優れてはいないのだろう? そんな彼女がルアードの結界魔術を起動したことが、ずっと気になっていてな」
「ああ……まぁ、あのバカが才能ないのは認める」
けど、とルアードは一息の間を入れてから、
「ステラ・カルアナは、モノを探す魔術に関しては天才的な才能があるみたいだ。今回の件はそれに助けられたとこが大きいな」
「モノを探す才能……? ルアード、それは具体的にはなんの役に立つんだ?」
「あー……猫とか犬とか探す時には役立つんじゃね? あと、財布落とした時とか」
「そ、そうか……まあ、彼女にも才能があるみたいで良かったよ。事実、それに助けられたしな、うん」
あの事件が起きるよりもずっと前。具体的には最初の修行の日に、ルアードはステラにはモノを探す才能があることを見抜いた。それがどう役立つかは、その時にはわからなかったが、才能がある以上はある程度育ててみるのも悪くないと考えてはいた。それがまさか、事件解決の鍵になるとは、流石にルアード本人も予想できなかったが。
それに、この才能は魔術師的見解から見たら、存外馬鹿にできない側面がある。
モノ――というよりは探したい存在を見つける魔術は、極めると概念や法則を超越し、術者の望む存在をあらゆる定義を無視した形で現出させることが可能だ。
そうなれば、本来なら存在しないモノですら、術者が望めば見つけれるようになる。それは世界に干渉し、法則を書き換える行為に等しい。
そんな才能の可能性、或いはカケラがステラ・カルアナにはある……かもしれない。
「まぁ、肝心の魔術の才能が壊滅的だからな。今のところは宝の持ち腐れだよ」
とは言え、今すぐに何かが変わるわけでもない。才能があろうが無かろうが、ステラの魔術の師匠は
「しかし、意外だな」
注文したウィスキーを一口飲んだ後、カインツは呟くように言った。
「俺はてっきり、彼女のことは直ぐに追い返すものだと思っていたんだがな」
声に応じるように、ルアードは気怠げにカインツを見る。カインツはニヤニヤと意地の悪そうな表情を浮かべていた。
「は? なんだそれ? 元を辿れば、おまえがあいつを弟子にしろって言ってきたんだろうが」
ルアードは面倒くさそうに返事を返す。
「はは、そうだったかな?」
そもそもカインツがステラの身元引受け人にルアードを指名しなければ、ステラとルアードは師弟関係になることは絶対になかった。
「でも、本当にどういう気まぐれだ? あれだけ魔術と魔術師を嫌っていたおまえが、才能のない魔術師見習いの師匠になるとは思わなかったから……あんなことがあったから余計にな」
カインツはグラスをカウンターに置いてから、ルアードに問いかける。
問われたルアードは少しだけ照れ臭そうにして、ぽりぽりと頬をかく。
「……思い出したからだよ」
「……ほう?」
「ガキの頃、俺もあのバカみたいに誰かの為に魔術を使いたくて魔術を覚えたんだ。いつか困っている人を助ける正義の魔法使いになるんだ、ってな。それがいつのまにか金儲けの道具になって、最後は戦争の兵器代わりに魔術を使うようになった」
ルアードは皮肉気味に口元を歪めた。
「なんで魔術を覚えたのか。何のために魔術師を目指したのか。そのはじまりをようやく思い出したんだ。他でもないステラ・カルアナのおかげでな」
「……だから、そのお礼にか?」
「まさか……」
そんなことはありえない、とルアードが言いかけたその時だ。
「師匠! お待たせしました!」
扉が勢いよく開かれ、見慣れた黒のマントと三角帽子の少女が現れる。その後ろには見慣れた銀髪の美女もいた。
ルアードは現れた二人を苦笑交じりに流し見ると、小さく肩をすくめて、
「俺には無理だった道を、あのバカがどうやって進むのか、ちょっと興味があるだけだよ。それに、あのバカの師匠なんて、俺みたいな超天才的なイケメン魔術師じゃないと無理だろうしな」
それを聞いてカインツは嬉しそうな、温かい微笑を浮かべた。
「そうか。それもそうだな」
「だろ?」
互いにニヒルな笑みを浮かべ合う。
と、そこに黒髪の少女――ステラ・カルアナが割って入った。
「何の話ですか?」
「別に。ただ、おまえはいつになったらマトモな魔術が使えるようになるのかって話してただけさ。まあ……この分だと一生かけても無理そうだけど」
「失礼な! きっとできますよ! というか、もしもできなかったら、それは師匠の指導力不足ってことじゃないですか!」
「いや、いくら俺が超天才的で超イケメンな魔術師でも、元々ない才能をあるように誤魔化すのはちょっと無理が……」
「なんでそこで目を逸らすんです! ありますよ! 才能!」
「たしかにあるな。ダンスの才能が」
「いやー、それほどでも。あ、カナリアさん。営業再開おめでとうございます。踊り子のお仕事ならいつでも引き受けますから――って! そうじゃなくて!」
ぎゃあぎゃあと喚き立てるステラを宥めるように、銀髪の美女――リーズ・テンドリックが言う。
「まぁまぁ、ステラさんも落ち着いて。ルアードは素直じゃないですから、きっと本音を隠しているつもりなんですよ……ね、ルアード?」
「………………………ああ、うん、ソウダネー」
「今なんかわざとらしい棒読みと間があったわよ」
冷静なカナリアの突っ込みを華麗にスルーして、ルアードはわざとらしい口笛を吹く。
その態度がステラの感情を荒ぶらせる。
「そもそもですね! 師匠は弟子に対する優しさとか、配慮とかが足りないんですよ! 今日だって、いきなり私の服を引ん剝いたあげく、容赦なく滝の上から叩き落すし。女の子にしていい事じゃないですからね!」
「え、なんでだよ? 一々服乾かすの面倒だし、別におまえのガキが背伸びしたような赤パンツとか興味な――」
「にゃああぁぁぁ! なに皆さんの前で人様の下着の色を暴露してるんですか! 私のプライバシーと人権は何処に!」
「そんなもん、最初からないだろ。何を今更」
ぷつん、と。
身もふたもない、ついでにデリカシーのかけらもないルアードの言い草に、ステラがとうとうキレた。愛用の三角帽子を脱ぎ捨て、杖を高く振り上げると、力の限りステラは叫ぶ。
「うがぁぁぁ! 私怒りましたからね! こうなったら反逆じゃー! 《雷鳴の――」
「《不許可で》」
パチン、とルアードが指を鳴らした瞬間。ステラの杖に集まっていた雷が消えた。魔術の発動をルアードが強制的に魔術の上書きで無力化したのだ。
そのことに驚くステラに、ルアードは更に追い討ちをかける。弟子の反逆など、断じて許す訳にはいかない。
「《縛れ・鋼の鎖》」
「ぎゃああぁ! い、痛いです! 鎖が地味に食い込んでもの凄く痛いです!」
初めて出会った時、彼女を助けた魔術で、今度は全身を縛り上げた。ご丁寧に亀甲縛りにして。
にこり、とルアードはゲスの笑みを浮かべ、ステラは倒れ伏せたまま脂汗を浮かべて頬を引きつらせる。
「で? 反逆がなんだって?」
「あ、すいません。私ちょっと調子に乗ってました。だから、その、ちょっとその素敵な笑みをやめていただけないかなー、とか思ったりしましてですね……」
あはは、と空笑いするステラを見下ろして、ルアードは先程のゲスな笑みから一転、爽やかな笑みを浮かべた。
「せっかくだし、特別授業をしてやろう。そうだなぁ……初級クラスの攻撃魔術を実際に体験してみるってのはどうだ? 体で覚えるから勉強になるぞ」
「ちょ……待って! 待って! すいません! ごめんなさい! 調子に乗りました――ッ!」
「よーし、先ずは雷系統からいくか! なーに、死にたくても死ねないように調整してやるから安心しろって、な!」
「たっ――助けてーーーー!?」
助けを求める少女の悲鳴と、うら若き乙女の涙と、バリバリと鳴る雷の音が酒場に響き渡る。
悲しいくらいにこの場でステラを助ける者はいなかった。
「やれやれ、一応魔術の無断使用は禁止してるんだがなぁ……まぁ、今日くらいはいいか。非番だし」
「また店が壊れないか心配だけどね」
「大丈夫ですよ。ルアードはその辺の調整が上手いですから」
呆れ半分、苦笑い半分で、カインツたちは二人のやり取りを遠巻きに眺めていた。
ああ、今日も今日とて『エルギア』は平和だ。
「リーズ様! カインツ様! カナリアさん! 誰でもいいですから助けてください! 死んじゃう! 私本気で死んじゃいます!」
「それじゃあ、次は水系にするか」
「お願いだから話を聞いてー――あばばばぁぁぁ!」
木霊する叫び声と一緒に、夕方を報せる鐘が鳴る。
あの騒動の後も変わらない鐘の音に、ルアードは空を仰ぎ、
――まぁ、こんな日常も悪くはないか。
望んでいた日常から激しく変わってしまった今の日常に不思議な心地よさを感じながら、水没している弟子を今度は風の魔術を使ってシェイクする。巻き起こる悲鳴と飛び散る涙。
しかし彼は気づいていない。
大陸最強の大魔術師。
かつて世界を救った『五人の英雄』の一人、『賢者』ルアード・アルバがこれから経験する華麗なる受難の日々。
これがその始まりであることを、彼はまだ知らない。
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