『賢者』の杖

 汗で濡れた前髪を拭うこともせずに、ステラは路地裏で力尽きるように倒れた。

 探し始めて、二十三時間。不眠不休で『エルギア』中を探し回ってはみたが、目的の物が見つかることはなかった。タイムリミットの正午まで、残り一時間を切っている。

 街の住民は疑心暗鬼になって、余所者扱いのステラとは会話すらしてくれないし、自警団の団員たちは、住民の沈静と首謀者探しに忙しく、ステラに協力する余裕がない。


「何処にあるの……」


 泣き言に近い独り言。唇も舌も乾ききっている。水を飲む暇すら惜しんで走り回っていた所為で、喉が痛い。

 『賢者』の杖。持ち主曰く、聖樹から作った霊験あらたかなシロモノらしい。

 果たしてそれがあると、何ができるのか。その意図はステラにはさっぱりわからないが、少なくともそれがあればこの自爆テロを終わらせることができると師匠のルアードは言っていた。その言葉を信じて頑張ってみたが、もう限界だ。

 睡魔と疲労感が、一気に押し寄せてくる。このまま瞼を閉じてしまいたい衝動にステラは駆られた。

 誰が彼女を攻めようか。君はよく頑張った。いいから今はゆっくり休め。そんな甘い言葉が、幻聴となって聞こえてくる。

 それが無性にムカつき、ステラは背中を大きく仰け反らせた。


「……ふん!?」


 ガツン!? と鈍器に殴られたような鈍い音が路地裏に反響する。あまりに自分が情け無くて、気がついたらステラは自分の頭を地面に叩きつけていた。


「ぐおお……頭が……頭がぁ……!?」


 ゴロゴロと転がって悶絶する。痛い、ものすっごく痛い。だが、おかげで目が覚めた。

 這い上がるように立ち上がって、ステラは頭を振る。


「……まだ、時間はある……」


 静寂に満ちた世界にステラの声だけが木霊する。どこかから風が流れて、日の光が暗い路地裏に差し込む。

 そもそも、今までの人生で心が折れそうになったことなんて、一度や二度じゃない。自分がそこまで強くないことは、自分が一番知っている。立ち止まって、膝をついて、そしてもう一度進み出す。ステラ・カルアナは、そうやって生きてきた。


「……もう一回、考えてみよう」


 口にすることで、ステラは今一度自分の状況を考えてみる。

 師匠の言葉を信じるのなら、『エルギア』の何処かにあるのは間違いない。だけど探せる範囲は探し尽くした。これ以上探すとなると、表通りや王宮くらいしか期待できる場所がない。しかし、そんな場所にあるのなら、他の誰かが気づくはずだ。


「そもそも、どうして私が探す必要があるのか……」


 勢いに任せて行動していたが、よく考えなくても持ち主たるルアードが探せばいい。人や物を探して見つける魔術もルアードは使える。それすらもまともに使えない自分なんかよりも、そっちの方が早いはずだ。


 ――それなのに、何故自分じゃないといけないのか。


 ステラはその意図を考える。

 ひょっとしたら、ルアードがただ自分で探すのが面倒くさいだけだったのかもしれない。それなら十二分に納得もできる。


「でも、こんな状況で、しかも賭けまでやってるのに?」


 正直、それは有り得ない話だった。少なくとも、ルアードは自分の未来を他人に委ねるような人物ではない。なにか確実な理由と勝算があるからこそ、ルアードはステラに探しに行かさせたのだ。それだけはわかる。


「……試す価値はありますよね」


 ステラはマントを翻し、スカートのポケットから水銀の入った小瓶を取り出した。魔術の触媒用として、ルアードから常に持ち歩くように言われていた物の一つだ。

 一度も成功はしたことがない。だが、もうこれに賭けるしかない。物を探す魔術。その術式を構築する。

 ステラは水銀を垂らして床に陣を描き、ルーン文字を書き連ねていく。

 ルアードならば、大気中の『マナ』だけで魔法陣を描くことができる。だが、見習いのステラにはそれだけの技能はなかった。

 同じ見習いでも魔術学院の生徒なら、チョーク一本で事足りるのだろうが、ステラの場合はそれだと発動すら怪しい。

 故に、回りくどく、遠回りな、古臭いやり方でステラは魔術の準備をする。

 方陣を構築する過程で最も重要なのは、過程を省略しないこと。ルーン文字を簡略化せず、一字一句間違えないように正確に書いていく。

 手袋を嵌めて、地面に書いた水銀の魔法陣に指を走らせる。水銀が伸び、線を描き、陣が完成していく。

 人一人が立てる程度の小さな円の中に、ルーン文字でいくつもの記号と数字が絡み合った魔法陣を描き上げたステラは、ふう、と息を吐いた。とりあえず第一関門は突破。


「あとは探し物と所縁あるものを用意して……」


 万能の触媒である魔力の結晶でもあればいいのだが、あいにくとそんな高価なものは持ち歩いてはいない。悩みに悩んで、ステラは一枚の写真を取り出した。

 くしゃくしゃになった写真に写っているのは、死んだ魚の目をしたルアードだ。ここにくる前に、手掛かりの一つとして使っていた写真で、なんとなく弟子入りしてからもずっと財布の中に入れていた。

 その写真を円の中心に置いたステラは、深く三角帽子を被り直す。


「……よし」


 ステラは杖を握り締めて、魔法陣の前に立つ。深呼吸をして、祈るような気持ちで呪文を唱えた。


「《闇の声・幻影の化身・我命じる・影よ・汝の名を示せ》」


 その瞬間、本陣に光が灯り、視界を白に染め上げた。


「――つ!」


 失敗した? 一瞬だけ胸に湧いた不安。

 やがて光が収まる。本来、この魔術は術者の脳裏に探したい物や場所を見せる魔術だ。その光景が見えないということは――


「……え?」


 泣きそうになるのを堪えていたステラは、自分の前に一本の杖が突き刺さっているのに気づいた。


「なに、これ?」


 その杖は神々しさとは無縁な杖だった。いたるところに傷が目立ち、乱暴に地面に突き刺さったそれは、杖というよりは楔に見えてしまう。


「もしかして……これが『賢者』の杖なの?」


 ステラはじっと、杖を見つめた。杖がほんの一瞬だけ、光ったような気がする。

 その光を見て、ステラは確信した。この杖が自分が探していた『賢者』の杖だ。

 恐る恐るステラは杖に触れる。ともかく、この杖をルアードの元に持っていかなくては。

 そう思ったステラは、地面に深々と突き刺さっている杖を引き抜こうとしたが、


「あ、あれ? ぬ、抜けない!」


 いくら引っ張っても、地面に突き刺さった杖が抜けない。うんともすんとも言わない杖に、ステラは焦った。

 既に爆破予告の時間は迫っている。自分が今いる場所から、ルアードがいるであろう自警団詰所まではかなりの距離だ。一刻も早くこの杖を持ち帰らないと、全てが無駄になってしまう。


「ふぬっ! ふぬっ!」


 女としての恥じらいを捨て去り、作物の収穫よろしく引っ張ってみるも、抜ける気配すらない。焦りが背中を濡らす。

 急げ、急げ、と心が叫ぶ。


「くうっ……ぬらばぁぁぁ!」


 歯を強く噛み、腰に力を入れて、ありったけの雄叫びを上げて引っ張った直後、


「ばぁぁ! ――あ痛っ!?」


 勢いよく杖が抜けた。反動でステラは引っ繰り返り、地面に背中から落ちる。

 やった、と痛みの中でステラは達成感に浸った。

 これをルアードの元に持っていけば、事件は解決する。

 そう――


 この、根元からポッキリと折れた『賢者』の杖を持ち帰れば。


「あああああぁぁぁぁぁ!?」


 路地裏に少女の悲鳴が木霊した。

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