タイムリミット

 時間の流れというのは不思議なものだ。

 どれだけ非日常的な話でも、時間が積み重なっていくと、途端に現実味を帯びてくる。有り得ないという感覚が、否定されない時間に比例して徐々に薄まっていくのだ。

 『エルギア』で起きた魔族の自爆テロ予告も、その一つとなった。


「ったく……辛気臭くなったもんだぜ」


 爆破予告から二十三時間が経過して、まもなくタイムリミットである昼の鐘が鳴る時間帯。

 本来なら人の流れで溢れかえっているはずの街並みを、ルアードは一人で歩いている。

 煩いくらいに賑やかだった街並みは顔を隠し、住民たちは皆例外なく家に引きこもっていた。戒厳令こそされなかったが、それが逆に住民の不安を煽る結果になったらしい。首謀者の逃走防止の為に『エルギア』から逃げることもできないと言われたら、誰だってそうなるな、とルアードは苦笑する。


「これゃあ、無事に解決してもそのあとが大変そうだ」


 ルアードは他人事のように呟いて、街を歩いていく。

 刻一刻と迫る爆破予告の時間。そんなことなど最初から気にしていないかのように、その足取りは軽い。


「つーか、結局夕飯までに帰れなかったし。あのバカ弟子のせいだな、うん。帰ったら修行内容をもっとキツいやつにしてやる」


 角を曲がる。

 自分で言っていて、ルアードはおかしくなった。あれだけ邪険にしていた弟子の存在を、今では普通に扱っている。むしろ、弟子の存在を好ましく思っているほどだ。


「知らないうちに俺も変わってたわけか……まあ、煩いのはアレだけど」


 中心部から少し離れた建物に到着。入り口に鍵はかかっておらず、ルアードはそのまま中に入った。

 階段を一歩一歩上りながら、ルアードは今回の事件について振り返る。


「にしても、上手く考えたもんだ。百人の魔族が自爆するって言われても、普通はピンとこないが、その前に『五人の英雄』の一人が狙われ、直前には同時に数名が自爆。こんだけやられたら、誰でもそれが嘘や冗談の類いには聞こえなくなる」


 一番上手いのは、仮に失敗しても二つの種族に亀裂は残せるという点だ。

 多分、要求の結果なんて、下手人的にはどうでもいいのだろう。

 だから、爆弾化した魔族を捕らえることにさしたる意味はない。むしろ逆効果になるだけだろう。

 そこまで推測して、もしも自分が今回の下手人になったつもりで考えみる。


「本人的には遊戯ゲームのつもりなんだろうなぁ……」


 そうでなければ、わざわざこんな回りくどい遣り方を選んだりはしないだろう。国家転覆を狙うなら、もっと手っ取り早い方法だってあったはずだ。


「じゃあ、胸糞悪いが相手の希望通りに今回の事件を遊戯と思うことにして、下手人はその結末をどうやって知る? わざわざ安全な場所で、人伝に知るなんてつまらないことはしないだろ」


 タイムリミットは今日の正午。つまり昼の鐘が鳴る時間。『エルギア』では毎日同じ時間帯に鐘を鳴らす為に、自警団の団員がこの場所――鐘楼に行く。しかし、この非常事態にそんなことをする余裕があるだろうか?


「まったく、ちゃんと仕事しろよな。何のために高給貰ってんだよ、あの筋肉馬鹿は」


 さりげないカインツへの罵倒を織り交ぜて、ルアードは螺旋階段を上っていく。


「――お、ビンゴだな」


 階段の途中、これ以上の進行を妨げてるように、巨大な魔獣が鎮座していた。以前、ステラの修行の際にけしかけた魔獣が可愛らしく見えてくるほどの凶悪さと邪悪さを醸し出している。記憶の片隅から引っ張ってきた情報から、あれは魔獣の中でもトップクラスで魔力に対する耐性が強い性質を持つ魔獣だったはずと、ルアードは思い出す。それと同時に、この場所で間違いないと確信した。

 危険地域に指定されている森に生息しているはずの魔獣が、こんな場所にいるのは不自然過ぎる。防衛装置の可能性も考慮してみるが、それにしては過剰な戦力が配置されている。要するに、これは今回の下手人が用意した魔獣ということ。


「あー……面倒な。やっぱ帰ろうかな」


 ルアードは少し泣きたくなった。魔力に対する耐性が強いということは、魔術に対する耐性もあるということ。カインツならば、一斬りで終わらせるのだが、魔術師のルアードには相性が最悪の相手だ。


「よし、なら対抗してこっちも召喚獣を――って、喚ぶ暇も触媒もねぇよ。クソがぁ!?」


 ぎゃんぎゃんとひとしきり一人で喚きたてた後、ルアードは魔獣に近づいた。並みの魔術師ならば、何もできずに肉片になる相手だというのに、ルアードの表情には焦りの色がない。


「《縛れ・鋼の鎖》」


 獲物を見つけた魔獣が歓喜の咆哮を上げて、ルアードに飛び掛かる。強い耐性が邪魔をして、あらゆる魔術がロクに通用しない。故に、魔術師にできるのは、大人しくその首を差し出すことだけ。

 そう、それが並の魔術師ならば――


「うわ……近い近い。地味に涎とか飛んできてるんですけど」


 閃光のように放たれた爪の一閃が、ルアードの目の前で止まっている。暗闇の中で光る鎖が、魔獣の四肢を縛り上げていた。人一人を肉片にすることすら容易い魔獣の爪が、目の前にいる青年の魔術によって防がれたことは、魔獣にとってこの上ない屈辱だったらしい。唸り声を上げて、ルアードを威嚇している。

 実は単純な魔術行使では、この魔獣を退けることは困難を極める。だが実際には高密度な魔力によって生成された鎖を使うことで、ルアードは魔獣を無力化していた。魔力の耐性が弱い部分を的確に縛り上げることで、魔獣の持つ魔力の耐性など最初からないかのようにあしらっているのだ。魔術師の極み、『賢者』と呼ばれるほどの実力を持つルアードだからこそできる技術である。


「よしよし。いい子だから大人しくしてろよ……あ、無理? ですよねー」


 独り言を呟いて、ルアードは勝手に納得。

 縛り上げられて、身動きがとれない魔獣だが、その鋭い眼光は衰える気配がない。気を抜けば、この鎖すら引きちぎって来そうな雰囲気だ。


「仕方ない。すっげぇ疲れるけど……《満たすことなき・紅蓮の焔・眼下の贄を・食い尽くせ》」


 心底面倒そうに腕を上げて、ルアードは呪文を気怠げに呟いた。

 すると、魔獣の毛に火が灯る。派手な爆発もせず、さりとて炎が消えることもない。これは、そういう魔術なのだ。

 やがて、魔獣の全身に火が走る。高熱に先ほどとは違った、断末魔のような咆哮が上がった。

 決して消えることのない炎が、対象を焼き切る温度になるまで無限に加熱されていくという、火の魔術の一つの到達点。それを目の前の魔獣は体感している。

 対魔術師用に用意された魔獣は、その機能を発揮することなく、無残にも灰となって消えた。


「あー、もう、これ暑くなるから嫌いなんだよ」


 蒸し風呂になった空間で悪態を吐きながら、ルアードは階段を再び上っていく。

 これだけ周到に用意された魔獣の存在が、この場所の重要性を意味していた。この先に首謀者にして下手人の魔術師がいることは間違いない。


「くそう……素直にカインツあたりに手柄を譲ってやれば良かった……でも金一封は欲しいしな……絶対に根こそぎ貰ってやるからな……俺、この戦いが終わったらリーズのカレー食べてから、臨時収入で娼館行くんだ……」


 日頃の運動不足のせいか、螺旋階段を上っていくのがだんだんと辛くなっている。さっきから膝が疲労からプルプルしていた。

 明日は筋肉痛になるだろうな、と確信しつつ、ルアードは螺旋上の階段を上りきった。

 正面には目的地――鐘楼の鐘が置いてある場所への扉がある。この扉の先に、朝と昼と夕方を知らせる時に鳴らす鐘が吊るされているのだ。


「突撃! 隣のルアードさん!」


 勢いよく扉を蹴り開ける。昼間の日の光が逆光になって、視界を一瞬奪う。

 やがて、目が慣れてくると、一人の魔族の男の背中が見えた。見慣れた自警団の制服を着て、ルアードに後ろを取られているというのに、焦ったような素振りすら見せない。


「見つけたぜ、黒幕さん。それとも――モーリス・フェイカーって言った方がいいか?」

「おや? まさか貴方が一番乗りだとは」


 振り返った下手人――モーリス・フェイカーは動じず、穏やかに答えた。


「参考までに聞きたいんですが、どうして自分が犯人だと?」

「カインツが言ってたろ。あんたは魔術師として一番信頼できる腕を持ってる魔族だって。なら、消去法であんたが一番犯人の可能性が高いと読んだだけさ」

「なるほど……優秀過ぎるのも考えものですね」

「嫌味かよ」

「事実です」


 軽口を叩きながらルアードは辺りを見渡すも、伏兵はおろか、起動前の魔法陣や魔導器具の類いすらない。

 鐘が一つと、今回の黒幕であるモーリス・フェイカーがいるだけだった。

 誰がどう見ても、モーリスは追い詰められている。この距離なら、モーリスが魔術を行使するよりも早く反撃ができる自信がルアードにはあった。

 だと言うのに、当人のモーリスの表情は余裕そのものだ。


「こっちからも質問いいか? 月並みな言葉だが、なんでこんなことをした」


 ルアードは溜息のような声で言う。

 モーリス・フェイカーについて、ルアードはよく知らない。つい最近知り合ったばかりの赤の他人だからと言えばそれまでだが、それでもルアードの友人であるカインツ・アルマークが信頼していた人物だ。だから、ルアードも本音では下手人がモーリスであることを最後まで信じたくなかった。


「オレの夢だから」

「夢?」


 穏やかに、それでいて儚げな声で、モーリスは語り出す。

 その口調には、焦りも不安も感じられない。


「何もかもめちゃくちゃになればいい。それ以上でも、それ以下でもない。魔族が人間と再び戦争をしたいのなら、勝手にやればいい。オレにはどうでもいい話だ」

「……それは、破滅願望ってやつか」


 ルアードの言葉に、モーリスは曖昧な笑みを浮かべて首肯する。

 酷い笑みだった。この世のありとあらゆる悪意をぐちゃぐちゃに混ぜ込んで、全てを憎み恨んでもまだ足りない、そう訴えている様な表情でモリースは笑っている。

 何もかもめちゃくちゃになればいい。それが今回の事件の動機だった。魔族の反乱でも、人間と魔族の不和でもない。ただ、世界に混乱を招きたいだけ。

 そんな、ある種の自己満足による欲求を叶える為に、どれだけの命が犠牲になったのか。それを考えるだけで、ルアードは吐き気がした。

 悪戯に、気まぐれに、ただ壊したいという欲求だけで、モーリス・フェイカーは動いている。その感覚が、ルアードには理解できない。


「前にも話しましたっけ? 『聖戦』が終わった後も、魔族は人間に強い憎しみを抱いている。本人が無意識のうちに忘れようとしているだけで、この『エルギア』にもそんな魔族は山ほどいるんですよ」

「だからおまえは、魔術でそいつらの深層心理を刺激したのか……」


 モーリスは鼻を小さく鳴らす。


「如何にもその通り。オレは深層心理に働きかける魔術が得意な魔術師でね。まあ、どいつもこいつもちょいと心の闇を刺激するだけで簡単に手駒にできましたよ」

「……何がそこまであんたを駆り立てる」


 人を操り、爆弾にして、そうしてまで世界を混乱にしたい理由。

 それだけの強い動機がモーリスにはある。


「知ってどうする?」

「別に興味はない。強いて言うなら、単純な好奇心だよ」

「好奇心……ねぇ……」


 モーリスはスッと目を細めた。


「後悔することになるぞ。オレの闇ってやつを覗いたら」

「後悔するかどうか、それを決めるのは俺だ」


 そう言って、ルアードは鐘の下に向かってゆっくりと歩き出す。

 警戒を強めるモーリスを無視して、ルアードは鐘を鳴らす為に使うたくを手に取る。


「自爆の暗示を成立させる鍵は、この鐘の音だろ」

「そこまでお見通しとは、恐れ入る。だけど鐘を鳴らさなくても、時間差で自爆するようにも暗示はかけてるんでね。そいつを抑えても無駄ですよ」

「抜かりないな。……まあ、こっちは最初ハナからそんな気はないんだけど」

「何を……?」


 怪訝そうに見るモーリスに、ルアードは余裕のある笑みで見つめ返す。

 そして――


「そいっ!」


 勢いよく鐸を引いて、ルアードは鐘を鳴らした自爆のスイッチを押した

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