第8話 2034年7月21日金曜日③

2034年7月21日金曜日(ホームルーム後)

 純武達3人は、馬斗矢から兄の宗一郎が亡くなった日の一宮警察署での出来事を聞き終えた。そこから、それぞれが思考を巡らせていた。

「全部は伝えきれなかったかもしれないけど……こんな感じで」

 自信無さそうに、馬斗矢はそう言って頬を掻く。

「あのさぁ〜」

 聖真が言葉を選びながらといった素振りで馬斗矢に対して言う。

「その井上って警察官、ちょっとおかしくない〜?」

 菜々子がすかさず聖真の水落に肘を食い込ませる。「ぐほぉっ!」という声と共に聖真がひざまずく。

「その人は刑事なんやよね?」

 150cm女子が180cm以上の男子からダウンをとった後、何事も無かったかのように質問を投げかける。

「う……うん……捜査一課って言ってたから、殺人事件の捜査をする刑事のはずだよ」

 純武と馬斗矢は、菜々子に顔を向けてはいるが、横目で鳩時計が鳴くような呼吸をする塊を盗み見る。

「刑事の勘ってやつなんかな?」

「わからん。井上さんは“におい”とか言ってたんやけど……」

 聞くような菜々子の台詞に純武が答えた。

(刑事の勘、“におい”。言葉は違えど似たような、感覚的なものなんか?事件を嗅ぎ分ける感覚……連続殺人事件だと言ったらしいけど、検死の結果は事件性を否定されとる。それに馬斗矢のお兄さんは、朝の一宮駅で亡くなった。他殺だったとしたら犯人を誰かがまず間違いなく目撃してるはずや。それに他の4人の急死した情報も重要になるだろうし……)

「純武?大丈夫?」

 菜々子の声で縛りついた純武の意識が解放される。

「あ、あぁ。大丈夫だよ」

 純武はそこで、馬斗矢のことで1つ感じたことがあった。ただし、それを聞こうにも中々聞きづらいことだ。聖真だったら、さも当然かのように聞くのだろう。そう思った時、下にある塊が急に人の形をとった。

「馬斗矢、結構前向いてんじゃん〜」

 こいつには敵わないな、と純武は思った。たった今、純武が馬斗矢から感じたことだった。今朝の雰囲気だと、今にも壊れてしまいそうな危うさを醸し出していたが、今はそれが見られない。聞きたかったが、傷心しているだろう人間には聞きにくいことこの上ない。

「え、ちょっ、そう……なの?」

 菜々子は気付いていないのか、おずおずとして馬斗矢に目をやる。

「あ、うん。兄ちゃんのことを知るために何とか前に進まないと、と思って。自分でも不思議なくらいだよ。多分、井上さんのおかげだと思う」

 馬斗矢は正義の心と言うとこっ恥ずかしいが、それが己の心を支えて前に進ませる原動力になったのだと自己分析した。

 純武は今だ、と思い馬斗矢を見据える。

「だけど、今朝は何て言うかちょっと……今と様子が違わんかったか?」

 ホームルーム後の馬斗矢の背は真っ直ぐとしていた。違和感を感じたのはそれが理由だった。

 一瞬重たい空気が流れる。(やってしまったか)と純武が思った時、馬斗矢が申し訳無さそうに答えた。

「いや……母さんがさ、ちょっと参っちゃっててさ。それで、今朝朝ご飯作ってなくて……」

 3人がポカンする。

「けど兄ちゃんが死んだって言ってたら皆凄く心配してくれて……コンビニで朝ご飯買ったんだけど、あの雰囲気で朝ご飯を食べるのもはばかられて、だけどめちゃくちゃお腹も鳴りそうで、それもちょっとなーと思って……」

「まさか……だけど、えーっと、背中丸めとったのは────お腹が鳴らないようにしとった、とか?」

 はにかんで頷く様子を見て、菜々子が口の片端を吊り上げ、ヒクヒクさせる。さらに追求する。

「もしかして、終業式の時に体育館から出てったのって──」

 馬斗矢は恥ずかしそうに頬を赤らめてお腹の辺りを擦る。

「……教室に戻ってパン食べてた……」

「なん……」

「おま!」

「うっそ!」

 腹を擦る一人を除いた全員が膝に手を付き、各々に小言を言う。

 純武は人によって女性の顔に見えたり、壺に見えたりする絵を連想した。確か〈ルビンの壺〉だったかといつか読んだ本を思い出す。馬斗矢の行動や態度等を3人が見て感じ、思い描いたストーリー。その裏に全く違ったストーリーが隠れていたということが〈ルビンの壺〉と重なると純武は思った。そして、もしかすると馬斗矢のお兄さんが亡くなった背景にも同じように、自分達から見えない隠れた「何か」が隠されているのではないかと思えた。

「でも逢沢君、ホームルームの時、教室におらんかったよね?」

「え、あ、いや、その……ちょっとそれは……」

 馬斗矢があたふたしていた。

 その時だった。純武が前にもあった既視感を感じた。無意識に目を閉じて集中する。

 今、一瞬だったが子供の頃の、5歳前後の記憶だろうか。夏だ。緑色の木々に囲まれた場所で、自分の前に白い服を着た黒髪の女性が立っている。

 聴覚からは、馬斗矢が聖真と菜々子に何かを言われている声が聞こえる。さっきまでの暗い空気とは打って変わったことが分かる。だけど、純武はそちらに意識を向けられない。

「どうしたの?純武?」

 様子がおかしいと感じた菜々子が歩み寄ってくるが、それを手で制す。

「ちょっと待ってくれッ!」

 語気を強めたことで菜々子だけでなく、3人が口を閉ざす。周りが静かになり、意識が集中し易くなる。純武は先程の光景を思い出そうと試みる。

 白い服の女が何処かを向いている。純武がしゃがんで何かをした。女の顔はよく分からない。苦しそうにしているのが分かる。今度は微笑みながら何かを言った。何を言ったかは分からない。今度は正面に女が居る。口が動く。口の動きに意識を集中させる。女はゆっくりと────。


【脳だけ焼き殺すの。】


 ビクンっと身体が大きく痙攣した。3人は驚いて、それぞれ身体の一部を跳ね上げる。菜々子も馬斗矢も、何が何だか分からないという表情で純武を見ている。そんな中、聖真だけは違った。

「純武……どした?」

 真剣に問い掛けてくれる。本当にこいつは最高の親友だと純武は感謝する。

「真面目な──本当に真面目な話なんや。菜々子も馬斗矢も聞いてくれるか?」

 菜々子と馬斗矢が無言で頷く。聖真は純武を真剣な顔で見ているだけで頷く動作は無かった。

「実は俺……馬斗矢のお兄さんの急死をニュースで知った時に、既視感を感じたんや。それは正夢とかそういうんじゃなくて……それが何かは分からんかった。だけど今、少しだけ思い出した。俺が子供の頃どっかで会った女の人が、俺にこう言ってきたんや。『脳だけ焼き殺すの』って」

 沈黙が流れる。困惑しているといった挙動を聖真から感じる。こんな荒唐無稽な話ではいかに聖真であっても、菜々子であっても理解し難いと思うはずだ。純武が肩を落としかけた時、急に両肩をグイっと掴まれた。

「それは本当かい?!」

 馬斗矢が唾を飛ばしながら声を荒げた。顔を真っ赤にさせている。

「あ、あぁ。俺の記憶が間違いじゃなければ──」

「じゃあ、その女が兄ちゃんを?!」

 純武の身体がサンドバッグになったが如く揺れる。聖真と菜々子が慌てて馬斗矢を純武から引き離す。

「逢沢君落ち着いて!どうしたの?!」

「馬斗っち!」

 戸惑っている純武と馬斗矢の目が合ったが、それは刹那のことで今の馬斗矢の焦点はどこにも合っていない。しかし、口元だけはしっかり動いていた。

「さっき教室に居なかったのは、実は……井上さんから電話があったからなんだ」

 馬斗矢は聞き慣れた普段の声をしていた。しかしながら、そこには悲観とも希望ともとれる感情があった。

「まだ他の4人の詳しい情報が分からないから、絶対に他言するなって念を押されたんだけど……」

 馬斗矢が井上という刑事から聞いたという電話の内容を話す。

〈重要な情報が入った。お兄さんの脳に損傷があったということは聞いていると思う。だが普通の損傷じゃない。検死をした監察医に確認をとったら回答を渋られたが──大脳と脳神経に熱傷の所見を認めたらしい。特に頭頂葉が酷く焼けただれていたそうだ。意味が分かるかい?正直、俺には分からない。熱傷ってのは要は火傷のことだが、何がどうなったら中身の脳だけ火傷するんだ?上が事件にしたがらない理由は間違いなくこれが理由だろう。急死した他の4人の詳しい遺体の情報も今調べているが、警察内でも情報が隠蔽されているから絶対に他言無用で頼む〉

 菜々子と聖真の手の力が抜け、急に自由になった馬斗矢がふらふらとして廊下にへたり込む。聖真が口を開こうとしたが瞬間、菜々子の方が早く言った。

「お兄さん、脳を火傷してたの──?!」

 信じられない、と3人が純武を力の抜けた顔で見つめてる。

「外傷は無いのに脳だけが火傷──『脳だけ焼き殺す』──じゃあ純武のさっきの話は……」

「偶然じゃ片付かない、と俺は思うね」

 珍しく語尾を伸ばすこと無く、聖真が純武の肩に手を置いて言う。

「俺は信じるよ。お前はそんなぶっ飛んだ奴やない。幼馴染の俺が保証する」

「……信じてくれるのか?」

「そりゃそうでしょ〜。馬斗っち以外、火傷のこと知らんかったんやから〜」

「そうだねよね……火傷のことは警察の一部の人と井上って刑事と、それから逢沢君しか知りようが無い訳やし。昔の話だとしても、『脳だけ焼く』なんて言葉、私聞いたこと無いもん。ごめんね……純武の言ったこと、私、最初信じられんかった……」

 菜々子は目を潤ませて純武の頭を下げる。

 純武は自分の方が涙が出そうになり、必死で決意を述べる。

「俺は……自分でもよく分からんけど、俺の過去のことが馬斗矢のお兄さんと繋がっとる気がする。だとしたら、馬斗矢のお兄さんがどうして亡くなったのかが知りたい。そして、自分の過去との繋がりを知りたい。でもこれは俺の問題の前に、何よりも馬斗矢の問題や」

 聖真と、そして菜々子を見る。もう2人とも顔を凛々しくしている。

「2人とも協力してくれたら心強い」

 最敬礼の姿勢を純武はとる。

「当たり前やろ〜」

「ここまで聞いたら私も知りたいよ。──何があったのか」

 3人で馬斗矢を見ると、純武に負けず劣らずのお辞儀をした。

「雅巳君、平っち、可世木さん……ありがとう……ありがとう!」

 男2人が馬斗矢の首に両サイドから腕を絡める。驚いた馬斗矢がたじろぐ。教室の中から足立が飛び出してきた。今までのいきさつを見ていたか聞いていたのだ。

「俺も協力するに決まってんだろ!いいよな!?」

 と馬斗矢、純武、聖真、菜々子の順に見る。

「足立君……いいの?関係無いのに?」

 足立が馬斗矢の肩に軽くパンチをする。

「いーんだよ!俺はお前と一番付き合いがなげーんだ。てか……関係無いとか言うなよ……友達が困ってんなら……力になりてぇ」

「足立君……ありがとう」

 全員の意思がまとまり、自然と輪が出来る。すると、聖真が鼻をくんくんとさせて臭いを嗅ぐ仕草をする。足立も同じように鼻をあちこちに向ける。

「今気づいたんやけど……何だ〜?この臭い?」

 井上という刑事の真似のつもりか?と純武は嘲笑したが、純武の嗅覚も何かを嗅ぎ取った。すると、腕を絡まされた中心の人物が控えめな声を出す。

「────ガーリックパン食べたんだ」

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