第12話 2034年7月22日土曜日③

 本物の刑事は見たことが無かった。〈警察24時〉とかの番組で観たことはあっても、直接見るのは初めてだ。しかもそれ以上の会う行為、対面しているのだ。

 1人は面識があるので通常運転だが、それを除いた仲間は恐縮しきっている。普段威勢の良い足立などは、面接をする時の様な美しい背筋を見せつけている。

 少し前、鈴の音を鳴らせて捜査一課の井上という刑事が入店してきた。白のYシャツにネクタイは無く、薄っすらとしたもみ上げまでの髭が特徴的だった。周りを威嚇する訳でも無いのに、空気がピリ付く独特の雰囲気をまとっている。馬斗矢を見つけると、こちらにゆっくりと向かって来た。同席する4人の顔を1人1人確認していく。最後に純武を見る。明らかに他の3人の顔を見る時間より長い。純武は恐る恐る目線を井上と交えるが、とても直視出来ず、すぐ目を逸らした。

 井上は空いているL字ソファの端の席に座った。そこは足立の隣だった。

「初めまして。馬斗矢君から聞いていると思いますが、井上といいます。馬斗矢君から敬語は必要無いと言われたので、ややこしくなるので統一してもいいですか?」

 学生5人が「はい」が頷く。足立だけは「!」を付けた。頷いた井上は顔の力を抜き、同時に周囲の空気が緩んだ。

「そんなに緊張しないでくれ。別に君達のことを怒っちゃいない。さっきも馬斗矢君に言ったんだが……警察として褒められたことでは無いが、柔軟な発想を持つ若者の意見が聞きたいと思っていたところなんだ」

 その言葉には聞き覚えがあった。宗一郎が一・ウェイクフィールドと彼方瑠璃の2人と連絡を取り合うきっかけとなった言葉だ。そう思った時、純武はまた、井上の視線を強く感じた。

「すまないが、君達の名前を教えてもらってもいいかな?」

 純武達は順番に自己紹介をしていく。足立はまだ緊張しているみたいだった。

「可世木さん、平岩君、足立君、そして雅巳君……か」

 始めに自己紹介をしたはずの純武の名前が最後に復唱された。間違い無い。先程から向けられる視線といい、井上は純武の何かに勘付いている。これが“におい”というやつなのか。純武は思い切って井上に口を開いた。

「井上さん、馬斗矢から聞きました。あなたは──あなたは僕から“におい”を感じますか?」

 3人の頭の上には「?」が表れるのが見えたが、聖真だけは今の質問の意味が分かっているという顔だ。井上は、ちょっとだけ目を大きくすると悪賢そうな笑みを作る。

「君だろ。ここに集まらせたのは。違うか?」

「──はい。そうです」

 純武が答えると、井上はポケットから銀色のライターと煙草の箱を取り出したが、慌てて戻した。つい煙草を吸おうとしてしまったのだと分かった。今はどの店も禁煙になっている。喫煙者には辛いのだろうな、と心の隅で思った。

「すまない。つい手が動いてしまって」

 井上は1回だけ深呼吸をすると、純武の質問に答える。

「その通りだ。君を見た瞬間にびっくりするくらい感じたよ。────“におい”をね。どういうことだか説明できるかい?」

「……はい。でも、まずは馬斗矢のお兄さんについて分かったことからで宜しいですか?」

 純武は要所要所で馬斗矢に補足をもらいながら、宗一郎についての情報を伝える。宗一郎の交友関係、一・ウェイクフィールド、彼方瑠璃。それを井上はメモ帳に書き連ねていく。

「ここまでが僕らが調べられたことです」

 井上は必要な情報を書き終えると、ボールペンの芯をカチっと戻した。

「上出来だね。とても参考になる。それじゃあ────話してもらえるかな?」

 ここからが本題だ──というように井上の眉毛に力が入った。

 純武は心の中で少し間を置いて、例の子供の頃の記憶を話した。最後に他の4人、特に菜々子がこの記憶の話の信憑性は高いのではないか、と補足するように付け足した。井上は口を挟むことも無く、テーブルに置いた手を小指から親指まで流れるように動かしながら黙って聞いていた。

「『脳だけ焼き殺す』──か」

 井上はまた煙草の入ったポケットに手を伸ばしかけるが、軌道を修正し注文したアイスコーヒーに付いてきたピーナッツ袋を手に取った。

「子供の頃ってのはいつの話だい?」

 聞いて、ピーナッツを1つ口に放り込んでボリボリと噛む。

「多分……5、6歳だと思います。小学生では無いと断言出来ます。」

「多分、か……それで、その女は何者だ?」

「え?い、いえ……わかりません」

「歳はどうだ?」

「女性としか……子供では無かったです」

「その他の特徴は?」

「え……特徴ですか?……髪は菜々子くらいの長さで……肌はやや日に焼けていた様な気がします」

「場所は?」

「親にも……聞いたんですが、わかりませんでした──」

 あれ?あれ?と純武は目を丸くしていた。他の者も同じだった。井上はそれを認めると、苦笑した。

「ふっ……俺が『そんなの信じられるかバーカ』って言うと思ったか?」

 今度は子供染みた笑みを見せながら笑った。

「すいません〜。真面目に怒られちゃうのを覚悟してました〜」

 井上のその笑いと聖真が緩く言ったことで、場に和みが生まれた。井上が到着してから1度もドリンクに手を伸ばさなかった足立がようやくストローを咥える。全員が心底安心したといった笑みを浮べた。

「確かに、『脳だけ焼き殺す』というワードだけだと信憑性として高くはない。だが、俺の場合は“におい”のオマケ付きだ」

 この人は自分の感覚に余程の自信をもっているのだ。だからこそ、純武の不確かな情報を前向きに聞き入れてくれる。

「とにかく、その女が犯人なのかそれとも女の関係者が犯人なのかはわからん。が、間違いなく重要人物だ」

 井上はゆっくりとした言葉で純武の脳に入力させる。

「思い出せるかい?その女に雅巳君が会った時期、場所──焦らず、主観せず、客観的に記憶を辿ってみてくれ」

 自分だけで思い出せていたら苦労しないのだが、と指を1本こめかみに当てる。

 昨日両親には小学校へ上がる前の夏に森や林、山に行ったことが無いか尋ねた。母親は「そういう場所に旅行へ行った記憶はないわね」と言ってパソコンで写真を見て確認したが、木々をバックにした写真は小学生以降のものしか無かった。当然、白い服の女についても分からないと言っていた。仕方無いが他に方法が無いので、井上の言う〈客観的〉に記憶を整理してみる。〈客観的〉“考え病”だ。

(客観的に思い出す……夏、木に囲まれた場所、白い服の女……あかんわ。──なら、これはどうや?5W1Hで考えてみよう。

When、季節は恐らく夏や。でもこれ以外が分からん。

Where、木に囲まれた場所といえば森、林、山……自然の中と大きく括ろう。

Who、そりゃ────俺だろ。

What、何をしに木に囲まれた場所に行ったんや?虫とり?探検?どちらにしても遊びか。

Why、どんな理由で……虫とりや探検なら興味があってだから……好奇心?

How、これは車か電車か飛行機か……あの歳で家から歩いていける距離に木に囲まれた場所は無いよな?なら、親以外の誰かに連れられて──誘拐?あり得ない……けど……。

 よし、とりあえずこれで羅列してみるぞ。

夏に、自然の中で、純武が、遊びに、好奇心で、誰かに連れられて────意味が分かりづらい。文脈を入れ替えてみると……)

「随分長いこと考えてるな。大丈──」

 心配した井上だったが、シッと菜々子が申し訳無さげに鼻先に指を立てたので不本意であるが押し黙る。純武は“考え病”に意識を奪われているままなのだ。

(純武が、夏に、好奇心で、誰かに連れられて、自然の中へ、遊びに行った……

ん〜〈好奇心〉が引っかかる……俺ってそこまで外遊びに興味がある子供だったか?どっちかというと室内で遊ぶ子供だったはず。となると、行事とか?子供の頃の行事────)

「────遠足かっ?!」

 やっと口を開いたと思ったら、子供が使うような可愛らしい単語だった。しかし、純武の顔は真剣そのもので、聖真に向かって身を乗り出す。

「聖真!幼稚園の時、何月でもいいから、遠足に行った記憶は無いか?!」

 聖真は少し考えると、懐かしさを感じながら答えた。

「あぁ────確かに遠足あったね〜!確か年長の時、7月だよ〜。俺、年長の9月からこっち引っ越してきたでしょ?遠足の写真が載ったプリント渡された時に寂しいな〜って思った記憶が強く残ってるから間違い無いよ〜!」

 純武が霧が晴れたといった顔色になる。園の遠足であれば、母親のパソコンに写真が入っていないのも説明できる。そこに、足立が水を差す。

「でもよ、年少か年中の時の可能性もあるんじゃねーか?」

 言われたことはもっともだった。それでも、聖真は自信ありげに言葉を並べた。

「いや〜、さっきも言ったけど俺の中では遠足のことが凄〜く無念でさ。悔しくて先生に『皆は今まで何処に行ったことあるの?』って聞いたの。そしたら、皆は初めて遠足に行ったのよって。──ほら、感染症が大流行したでしょ〜?」

 数名が「あっ」と声を出した。

「──そうだよ!私達の年長の時まで行動制限が掛かってたよ!感染症の分類が変更になって解除された!時期って確か────」

「──5月だ。5月のゴールデンウィーク明けだ」

 菜々子を井上がフォローした。足立の言葉で曇った純武の顔が、また明るくなった。

「──で、俺達は何処に行ったんだ?」

 井上も少し前屈みになっているが、純武は臀部が浮いている。

「郡上市のキャンプ場だよ〜」

 この期に及んでも軽い口調は変わらない。だが目元には真面目さが滲み出ている。井上はピーナッツ袋の残りを全て口に注ぎ込み、豆が砕ける音を店内に響かせる。今の会話を咀嚼し味わっているのだろうか。

「──岐阜県郡上市、か。ビンゴだな。俺は“にお”った」

 井上以外の全員が「えッ」と驚く。勿論、純武も驚いた。菜々子がおどおどした口調で言う。

「そんな……言葉からも“におい”を感じるんですか?」

 菜々子はオカルトでも感じたかのように両腕を組み、二の腕を擦っている。だが、純武もここまで来ると“異能”と言えるのではないかと感じた。

「今回は特別だな。感じる時もあれば感じない時もある。それに辻褄が合うことが多いからかもしれない。雅巳君の言う夏、木に囲まれた場所と平岩君の言った郡上市での遠足の記憶──」

「それに、僕の両親が覚えてなくて写真が無いのもプラスされると思います。両親は旅行で行った場所は全部覚えてて毎回写真も撮るけど──遠足なら!」

 残りは言わなくても分かるだろう、とそこで言葉を区切る。

「あと……『脳だけ焼き殺す』」

 最後に馬斗矢が、静かに力を込めて言った。

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