第26話 2034年7月25日火曜日②

「中々長い道のりだなー」

 足立がガムを噛みながら誰に言うでもなくバスの窓から外を眺める。道中は窓の外をずっとキョロキョロしている。ミサンガを付けてからというもの、本当に眠気が無くなったみたいだ。

「大介。こんなに自然を感じられるじゃないか。僕はもう少し長くても良いと思えるよ」

 電車からもバスからも、見える景色は山々と木々と緑がかった川ばかりだ。確かに窓側の席に座る純武も気持ちの良い景色だと思うが、滋賀へ行って帰ってくる道中に高速道路から見えた景色に似ているのであまり新鮮味が無かった。

「(ねぇ、純武)」

 菜々子が前の席から身を乗り出して小声で話し掛けてくる。自分の隣に座る聖真を見ると眠ってしまっていた。

「(どうした?)」

「(瑠璃ちゃんがさ、『私も祠に行く』って言うんだよ)」

「(え?)」

 一が危ない目に合っても言い理由は無いが、彼は危険を承知で《好奇心》に身を捧げた選択をしただけだ。彼方自動車会長の孫娘が、ここで危険を冒す意味が純武には分からない。座席の間から菜々子の隣に座る瑠璃を覗くと聖真同様、夢の中に居る。

「(止めたのか?)」

「(当たり前でしょ。でも結構瑠璃ちゃん頑固で……)」

「(……わかった。向こうに着いたら俺が説得してみる)」

「(お願い)」

(瑠璃ちゃんが命の危険まで冒す意味……か。前に菜々子から聞いた話やと、瑠璃ちゃんは子供を産む様な苦労をしてKAIを開発した。その子供を馬斗矢のお兄さんとの会話で得た発想で誕生させることが出来たから、彼には真相を究明することで恩を返したいと。それが理由で命の危険があっても祠を調べる気なんか?なんか俺からすると恩を返せることはメリットやけど、1%でも死ぬ可能性があることのデメリットと天秤に掛けたら釣り合うどころか、明らかにデメリットの方がデカいと思うんやけど……。それとも、他に何か理由があるんかな……?何にしても、止められるのであれば説得しよう。菜々子にはああ言ったけど、もしも決意が固かったら──止めるのは難しいかもしれん……)

 純武が瑠璃のことを考えていると、ふと視線を感じた。菜々子と瑠璃が座る座席越しに、通路を挟んだ前方の席から振り返っているサングラスを掛けた男と目が合った。男は視線が合うとゆっくりと前を向いた。純武が不思議に思っていたその時、バスが目的地に停車した。


 ここで聞き込みをするのだが、祠に向かう一はローカル線を使いキャンプ場の最寄り駅へ向かうことになる。ここからが問題だ。瑠璃の件もそうだが、まだ話し合っていないことがある。

 7人がバスから降りると、一旦近くの建物の日陰に集まった。山の中だから当然だが、蝉の鳴き声が凄まじい。それに遠くから〈ザーッ〉という音も聞こえてくる。近くを流れる川の音だ。これだけ際限なく蝉と川の音が聞こえるのに、全く不快な気分にならない。自然の発する音は人間の感覚に適合したものなのかもしれない。

 そんなことを思っていた純武は、先程のサングラスの男は何処にいるだろうと周囲を見渡した。バスから降車した乗客はそれなりの数があったはずだが、純武達以外はもう何処かへ行ってしまったようで、あの男も見当たらなかった。気にしても時間の無駄だと思い、皆に向きかえる。

「ごめん。皆に相談があるんだ」

 純武が真剣な声色で皆に向ける。その言葉に、つい直前まで閉じきっていた聖真の目が鋭さを持つ。

「どしたの?」

 11年間の幼馴染生活は伊達では無い。聖真は今からの相談内容の重さが理解出来ている。語尾を伸ばさないのがその証拠だ。さっきまで気持ち良さそうに寝ていたのが嘘のようだ。

「俺も祠に行こうと思ってる」

 前にもあった。周防に会いに井上と同行すると言った時、菜々子が猛反対をした。その時と同じだ。

「あんたまで何言ってんのッ?!危ないのは分かっとんでしょッ?!」

 そう言ったが、純武の決意のある顔を見て下唇を噛む。前回と同じだと。純武は自分の考えを変えない。ならばと菜々子は声を挙げた。 

「なら私も祠に行く!」

「駄目だ」

「ふざけんなッ!私も行くッ!」

「菜々子さん……」

 即座に純武に否定され、取り乱す菜々子の腕に瑠璃の手が触れる。

「瑠璃ちゃん……」

「雅巳さん。私も祠に行こうと考えています」

「瑠璃嬢ー!本当に行く気なのン?!」

 足立と馬斗矢は、周防が言っていた例の祠に敢えて行こうとする人種が理解出来ないといった表情だ。

「瑠璃ちゃんはどうして祠に行くんだ?馬斗矢のお兄さんにKAIの恩を返す為か?」

 純武は理由を尋ねると、瑠璃は「それもあります」と言って自分の藍色のミサンガに目をやった。

「私……初めてなんです。こうやって仲間と集団で行動する事が。普通の人は『彼方瑠璃はあのカナタ自動車の人間だから羨ましい』と言ってきます。でも、何故か皆さんは誰1人そういった言葉を口にしませんでした」

 瑠璃はこう続けた。自分は羨ましい存在などでは無いと。常にカナタ自動車というラベルで見られ、無意味に持ち上げられ、遠ざけられる。中学生になった辺りから外を歩いていると何処かの週刊誌の人間に影から写真を撮られたり、お洒落なレストランや喫茶店に行くだけで豪遊しているお嬢様だと印象付けるようなコメントや画像がSNSで流される。そんな人物と深く関わろうとする人間などいない。だから自分は中学の頃から1人で黙々とプログラミングの知識と技術の獲得に勤しんだ。そんな時、逢沢宗一郎と出会い、何年か振りに人間らしい会話をした。彼が亡くなり、その彼の弟の友人が自分に助力を求めてくれた。自分から協力させてくれと言い出そうとしたのに、向こうから求められた。それが途轍もなく嬉しかったと。

 菜々子と聖真は、初めて瑠璃会った時にあの古い喫茶店を指定したことや、あの場での自己紹介の時に性を名乗らなかった理由が今、分かった気がした。

「──このミサンガは菜々子さんと作ったものですが……こんなことをチコパフに言ったら可愛そうかな。KAIを作りあげた時の嬉しさよりも、遥かに嬉しかったんです」

「それはちょっとショックなのねン!」

 瑠璃のバッグの中から少し怒った口調でチコパフの声が聞こえた。「ごめんね、チコパフ」と瑠璃がバックに目をやる。

 瑠璃はあの高度なプログラムが数多組まれた次世代AIを作った達成感よりも、この布で出来たミサンガを作った達成感の方が上だと主張する。菜々子と聖真は2日、純武はたったの1日、瑠璃と過ごしただけだ。馬斗矢、足立と一も純武と一緒だ。たったそれだけの間の関係でも、瑠璃はこう言いたいのだろう。自分には仲間、友達が出来たのだと。

「瑠璃ちゃんは俺達の仲間で友達だよ」

「そうだよ〜瑠璃っち」

 純武と聖真が言うと足立と馬斗矢も「とっくに友達だろ?」「僕はてっきりそのつもりだと──」と瑠璃との関係を認め合う。

「僕みたいな人間でも、君が友だと言ってくれるなら嬉しいよ」

 最後に一が手首の紫色のミサンガを指で触れながら、お得意の笑みを瑠璃に向けた。

「ありがとう──ございます──ッ」

「良かったねン!瑠璃嬢!」

 皆を見回し、潤ませた瞳に力を込める。

「私は、この関係をなんとしても続けたいのです。その為に、大きな問題が立ちはだかるのなら、例え危険だとしても……私は出来る限り皆さんの力になりたいです!」

 自分の決意を述べた瑠璃の前に立つ菜々子だけはまだ口を閉ざしている。純武が「菜々子?」と促す。

「──当たり前だよ。瑠璃ちゃんはとっくに友達。そんな友達が危険に飛び込んで行くのを──私は見てるだけなんて出来ない!」

 純武は菜々子の意思を否定したばかりだが、そこまで言われては仕方が無いと思った。

「──分かったよ。すまなかった。菜々子。俺の理由は前にも話した通りや。俺は自分の記憶が急死事件とどう関係しているかを知りたい。知らんといかん気がするんや」

 聖真を見ると腕を組んで建物にもたれ掛かっていた。軽く笑うと陽気に足立と馬斗矢に声を掛けた。本当に言わなくてもこいつには伝わるな、と純武は聖真との絆を再確認した。

「よ〜し!あだっちと馬斗っちは俺とここで聞き込みしようか〜」

「お、おう」

「わかったよ……」

 足立と馬斗矢はどこかホッとし、どこか不満気に返事をした。きっと不気味な祠に関わらずに済むという思いと、菜々子が言った言葉が2人にそうさせたのだろう。

「そっちは頼んだぞ、聖真」

「合点承知〜!」

 その後、7人は途中までは一緒に歩いたが、3人は人通りが多い通りへ別れ、4人はローカル線の駅へ向かった。

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