第35話 2034年7月25日火曜日⑦

「よし!なら今度はこいつの顔で個人情報データベースから全ての情報を引っこ抜いてやる」

 減俸か、もしくは停職か。そんなことは井上にはすでにお構い無しだった。やっと連続急死事件が連続殺人事件である可能性を見出し、更に犯人に間違い無いだろう人物の顔まで特定したのだ。ここで引き下がることなど出来るはずもない。

 しかし、井上はここである違和感を感じた。今までずっとあったはずの何かが足りないと気付いたのだ。警察の管理システムにアクセスするために、隣に座る大里に個人情報データベースを開くように伝えたが、すぐに待ったをかける。

「どうしたんですか?ここまで来たら僕も腹を括りますよ!」

「…………いや、ちょっと待ってくれ」

 井上は頭に手を当てる。当てるだけだったが徐々に力を込める。爪が頭皮に当たり痛みが生じる。そこで思い当たる。何故これに気が付かなかったのか。長年自分が培ってきたモノではないかと。

 もう一度井上は自分が送信した画像を見る。女の顔をしっかりと見つめる。すると、感情がコントロール出来なかった。舌を鳴らすと床に拳を叩きつけた。

「ひゃっ」

 同じ空間に居た周防が小さな悲鳴をあげた。

「井上さん、どうしたんですか?周防さんがびっくりするじゃないですか!」

「く……すみません。ですが……だが……」

 井上は周防に向かって軽く頭を下げてから画像の女を今一度しっかりと凝視する。だが────。

「感じないんだよ────“におい”を──ッ」

 大里は愕然とした。井上には事件で何度か組んでいるが、この人物の言う“におい”は今まで百発百中だった。ここまで来て始めて“におい”が外れるのか、それともこの女が犯人という考えが間違っているのかのどちらかだと大里は困惑した。

「そ、そんな……だって……少しも感じないんですか?!」

 井上は頭を左右に振る。

「いや……感じない訳じゃない。犯人にしては弱すぎるんだ。これだと、俺はこの女が犯人じゃないと思えてしまう……!」

 しかし、同じ急死現場で同じ人物が発見されれば、通常の事件であれば当たり前に重要参考人になる。しかも今回は雅巳純武の記憶にある「脳だけ焼き殺す」という、一部の関係者しか知り得ない急死の死因の詳細を口にしたという事実もある。これだけ揃ってこの女が犯人でないというのは、やはり年齢が合わないということが要因なのかと井上は自分の自慢よ特殊能力とも言える“におい”に不信感を抱く。

「クソがぁッ!!」

 またしても床を殴りつける。今度は周防は目を閉じているだけだった。その拳にブーブーと置いてあるスマホから床伝いに振動が伝わった。画面には〈平岩聖真〉の名前が表示されている。

 井上は冷静さを取り戻そうと深呼吸を2回した後、スマホの通話アイコンをタップした。

「──もしもし?」

「井上さん!あの画像の女が誰か、僕らは分かります!舞谷蓮子、高校2年生!早くに両親を亡くして郡上市の母方の祖母に育てられた人物です!」

「舞谷蓮子……」

 井上の知っている聖真とは思えない口調で、彼らが入手した情報を教えてくれる。舞谷蓮子。あの映像の女の正体。高校2年生。やはり純武の言ったように年齢が合わない。だから“におい”を感じないのか、やはりこの舞谷蓮子は犯人ではないのかと井上は意識の中で自問する。

「純武に電話しても繋がらないんです!僕らはこの情報を純武に伝えたいんですが、純武は今何処に居るか分かりますか?」

「……今は祠を探して森の中だ。だから電波が通じないんだそうだ」

「分かりました!なら僕らもそこに向かいます!」

 電話をしながら走っているのだろう。電話口からハッ!ハッ!という息使いが聞こえる。

「それと──舞谷蓮子は自転車で移動してます!ここ1年以内に買った自電車で!」

「自転車?」

 もし舞谷蓮子が犯人であるなら、この女は自転車で各地に赴き急死を引き起こしていたというのか。それはまた大変な移動方法だ。それで急死の時期の間隔が空いていたのかもしれないな、と井上は思うが、どうしても“におい”の事が引っ掛かり聖真の話が頭に入ってこない。

「そうです!だから、GPSで彼女の位置を特定できませんか?」

 2030年から、販売される自動車、バイクに限らず公道を走行する全ての車両にGPSの搭載が義務付けられた。

 聖真はそのことを知っているのだろうと井上は推測した。舞谷蓮子名義の自転車のGPSから位置情報を取得して教えてくれという意味だろうということが分かった。

「どれくらいで探せますか?!」

 “におい”は確かに僅かしか感じない。だが、この学生達は皆必死に事件を捜査している。この学生達は──。

「数分で出来る!待ってろ!」

 井上は大里に知り合いの交通課の人間に連絡するよう伝えた。舞谷蓮子、高校2年生、購入後1年。それらでGPS情報を取得させる。3分あれば電話越しでも特定できると井上は知っている。少し待っていると予想よりも早く位置が特定出来たようだった。大里が復唱しようとするのを見て、井上が自分のスマホを大里の口元に近づける。

「え?」

 聞こえてきたのは大里の声だった。聖真はそこに驚いた訳ではない。その内容に驚いたのだ。聖真は今の大里からの位置情報を知らせる言葉をもう一度頭の中で繰り返した。

「郡上市◯△◯▽キャンプ場だよ!」



「い、今……そのキャンプ場に着いたんですよ」

「えっ────ということは………………君達、かなり危ないんじゃない?」

 大里の声が途切れ井上の声が聞こえた。

「もう何が何だか分からなくなってきたが気を付けろ!俺もそっちに向かう!」

 電話が切れると聖真一同は、到着したキャンプ場の入口から周りの様子を確認する。地図アプリで確認した祠の位置に一番近い森の入口を見ると、森の手前に1台の白い自転車が置いてあるのが見えた。

「これって……ヤバいんじゃねぇか?」

 足立が苦笑いをしながら聖真と馬斗矢に目をやった。

 急死を引き起こす犯人。その人物の所有物である自転車が今、見える位置にある。それが示す意味は3人が理解している。

 聖真は馬斗矢を盗み見る。馬斗矢の体型、運動能力、持久力を分析する。舞谷蓮子に出くわして逃げるということになったとして、馬斗矢は逃げ切れるだろうかと。足立は大丈夫そうだが、逃げ遅れた馬斗矢を放ってはおかないだろう。であれば、3人で行動するよりも馬斗矢と足立をここに残した方が犠牲が出る確率は減るのではないかと聖真は考えた。森に入ると電波が悪くなるということなので、連絡が取れる人間も残してもおきたいということも同    時に思い付いた。

「2人はさ〜、ここに残ってもらえる?」

 全く、自分の柄じゃない、と聖真は少しだけ吹き出して笑いそうになる。

 でも親友がこの森の中に居るのだ。人間の脳を焼くという離れ業をやってのける犯人も森の中に居る。一刻も早くそれを伝え、ここから皆で逃げなくてはいけない。

「わかったぜ」

 足立の顔は真剣だった。聖真はその様子を見て、足立は自分の考えに気付いるのではないかと思えた。

「え?平っち1人で行くってこと?危ないよ!」

「違うよ。3人で行く方が危険だと俺は思うよ〜。ぞろぞろ行くより1人でコソコソ行ったほうがバレにくいでしょ〜?」

 これ以上は話している時間が無いので、聖真は森に向かって走り出した。森を見据えたまま、背後の2人にお願いする。

「宜しく頼むよ〜」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る