第36話 2034年7月25日火曜日⑧

 諸崎、阿久里、雨宮、松木、一、瑠璃の順で開けた場所に出ると、一同が周囲の状況を確認する。

「で、祠とやらはどこなんだぁ?」

 阿久里がサングラスを上にずらして視界を改善させる。日陰の中では無意味なものと判断したのだ。

「あら、珍しいやん。そのサングラス、ポリシーや無かったん?」

「この森の中で探し物をするだぞ?ポリシーもクソもあるか。効率優先だ」

 その阿久里の顔は、誰が見ても野性味を感じる顔だった。系統で言えば井上に似たような顔付きだ。

「サングラス、ケースに仕舞いますか?」

 諸崎が少し大きめのショルダーバッグを開けてメガネケースを取り出したが「いらねぇよ。見りゃわかるだろ」と言われている。

「ほなら、手分けしましょかー」

「なら、僕はこっちに」

「では、僕は先生の方へ」

 4人が等間隔で放射状に散開していく。その様子を一と瑠璃が見つめていた。ここが、あの宗一郎が実験をした場所だ。重力と気温の関係性。観測することが出来たというが、気温差は感じられない。一は近くに落ちていた枝を適当に放り投げたが、見慣れた放物線を描いて地面にコテッと落ちる。周防の言った通り、ほんの僅かな時間の変化なので、人間の知覚では認識できないのだろう。プログラミング以外はそこまで得意ではない瑠璃も、一が何を確認しているかは心得ていた。

「変わりないみたいですね。気温も変わっているとは思えませんし」

「ああ。目視では分からないくらいの極めて短時間に起きているんだろうね。それか、例の祠から近距離の空間でのみ起こっているのか……もっと詳しく周防さんに聞いておくべきだったかもしれないね」

「そうですね……」



「おーい!あったでー!」

 一と瑠璃の場所から15m程の距離から雨宮が報告した。声のした方向へ小走りで移動する。阿久里と諸崎、松木と合わせて5人が雨宮の後ろに集まった。

「多分これやろ」

 指差す先には平たい石で形成された立方体らしきモノがあった。前側には平たい石が無く、4枚の石が側面と天井形成している。

「ちょっといいですか?」

 一が祠に接近し、目で石の材質を確認する。何処にでもあるただの石だと思われた。続いて近くの草を引っこ抜き、パラパラと降らせるが普通に空気に干渉しながらゆらゆらと自由落下をする。

「やっぱり人間の目では分からないか……」

「チコパフ」

 瑠璃がバックからKAI端末を取り出す。内蔵カメラを祠に向けて話し掛ける。

「この祠、何か分かりますか?」

「ちょっと待ってねン。電波が悪くて検索に時間が掛かっちゃうン」

 3人にはチコパフの存在──瑠璃がKAIを開発したことも話してあるので、チコパフの言葉を黙って待っている。その間、一は何回か先程のように草を降らして確認していたが、やはり目視では変化は感じられないようだった。

「出たけどン……こんな祠は日本中どころか世界的にも見当たら無いねン。似たようなのはあるんだけどン……」

「そう……分かったわ。ありがとう」

 そう言って瑠璃はチコパフが宿る機器をバックに戻した。

「──て、ことは……これは祠じゃねぇってことだな」

「でも、結構年季入ってるで?」

 石には苔が生えており、側面の石と地面が接する部分にまで広がっていた。

「昔の子供が遊びで作ったんじゃないっすか?」

「それにしては長い間立派に形状を保ってる。この側面の石……もしかしたら岩かもしれんが、結構深くまで地面に差し込まれてると思うぞ。こんなもん作ろうってガキが、ここまでするのは少し考え難い」

「大人が手伝ったかもしれんやないか」

 阿久里が黙り込む。その線もあるかと思ったのだろう。この物体が祠だろうがそうでなかろうが、このまま眺めているだけでは時間の無駄だと一は思った。

「周防さんは、この祠を調べたら周りの気温が下がった気がしたと言ってたんですよ。調べたということは、まず間違いなく触ったはずです」

 そう言うと一はしゃがんで祠に向かって手を伸ばす。しかし、その腕が掴まれた。

「ちょい待ちぃ!」

 綺麗な顔立ちであるその顔が歪んでいる。何かを察知したのだろう。

「あかんで。嫌な予感がする」

「また勘っすか?」

 また怒り出すかと思われたが、彼女は歪んだ顔のままで祠を睨みつけているだけだ。

「怖いのか?」

 阿久里がまたポケットに親指だけを入れたまま言った。

「怖い……そうやな。ビビってしまってるわ」

 目を閉じての気持ちを吐露する。松木が信じられないものを見たというように後退あとずさりした。

「下がってろ、雨宮。おい。ウェイクフィールドって言ったな」

 雨宮を下がらせたことで一の腕が自由になる。かなり強い力で掴まれたのだろう。腕を擦りながら阿久里に振り返る。

「一で構いませんよ。長いので」

「なら一。諸崎──はここに居るか。おい!松木!」

 後退あとずさったままの体勢の松木がビクリと反応する。

「こっちに来い!こいつの勘は意外と当たる。女達は下がらせて俺達で調べるぞ」

「先生、僕にも調べさせて貰えるんですね!」

「待って下さい!私にも調べさせて下さい!」

 嬉しそうにしている諸崎とは裏腹に、不満そうに瑠璃が反論した。バックの中からチコパフの「本当に調べるのン?お嬢、止めときなよン」という声がした。

「駄目だ。というか、これは俺のお願いだ。女の子をヤバいと思ってることに付き合わせるのは……俺のポリシーに反する。頼む」

 サングラスの無い素の目元で微笑まれる。野性を感じさせていたことが嘘のようだった。そのギャップで瑠璃は無理矢理に頷かせられた。雨宮に後ろから肩を引かれ祠から距離を取らされる。

「もう少し離れておけ。なんならこの開けた場所から出ておくといい」

 雨宮と瑠璃は言われた通りに場所が開ける手前の草のフェンスを越える。「よし」と阿久里は言うと、祠に向き直った。

「先生、宜しくお願いします!」

「まぁ、確かに女性に危ないことはさせられないっすね……」

 不承不承というように松木が祠に近づく。

「んじゃ、触るぞ」

「待って下さい。僕にやらせて下さい」

 今度はしゃがんだままの一が、阿久里の太ももを押さえるようにして言う。

「……お前、怖くないのか?」

「はい。“好奇心”が強いんです」

 一のその言葉で阿久里が苦笑する。

「ひょっとしたらお前、俺と同類かもなぁ」

 ニヤリと笑い、阿久里が祠に触ろうとする意思を消す。それを見て一が「ありがとうございます」と頭を下げた。

「い、良いんですか?子供にやらせて!それなら助手の僕に──」

 前に出た諸崎がグイッと阿久里に引っ張られる。

「良いんだよ!」

 一は本当に触ってもいいかどうかを顔を見ることで阿久里に尋ねた。頷くのを確認して、真っ直ぐ祠を見る。

「それでは────いきます」



 その手が祠に触れた直後だった。周りの暑さが弱まった気がした。それを感じたのは一だけではなく「ん?何だ……?」「え?」「あれ?暑さが……」とそれぞれに口走っていた。

「何か──起きたか?」

「いやー、何か暑さがマシになった気がするっすね」

「ぼ、僕も……」

 一は辺りを見るが、何も変わりが無いように思えた。目の前の祠に周りの木々や草花。

「──いや」

 言った一を3人が見下ろす。

「何かあったか?」

「周りをよく見て下さい。確かに変わりが無い気がしますが、木や草花の成長具合が微妙に違います」

「そ、そうかなー?僕には一緒に見えるけど……」

「いいや。さっき一が投げ捨てた枝。それが無ぇ」

 阿久里は一が放り投げた枝が落ちた音に反応していて、何処に枝が落ちていたかを覚えていた。しかし、その位置に枝が認められなかった。一も阿久里に言われて確かにと思う。

「ほ、本当だ……。先生!あの木……何かさっきと形が違う気がします!」

 指差す方を見ると、その木はもっと立派な木をしていたはずだったと阿久里は思った。それだけでは無い。さっきまでそこに居た人物らが視界に入らないのだ。

「……あの2人は何処行っちまったんだ?」

 雨宮と瑠璃の姿が見当たらない。阿久里に指示されて、この開けた場所の手前の位置に立っていたはずだが、そこにはただの空間があるだけだ。阿久里が2人を確認しにその位置に向かっていった。

「うん?」

 松木が目が何かに狙いを定めた。阿久里に付いていこうとした諸崎もその声に脚を止め、松木の視線の方向を見る。一も同じように目を向けると、オーバオールを着た小さな少女がそこに居た。

「あれ〜?またなの〜?でも、もう行かなきゃ!」

 可愛らしい声で言った途端、くるりと反転して向こうへ駆けていった。3人は呆然と少女が草木の中に消えるのを眺めることしか出来なかった。そして遠くから「こら!純武君!」という女性の声が聞こえた。

「え……あ、何が何だか……」

 松木が頭をクシャクシャに掻きむしる。諸崎は呆然と立ち尽くし、連続して起きた謎の事象に面食らった一も、口を半開きにしていた。

「おい!何か言ったか?」

「い、今、女の子が居たんすよ」

「女の子だぁ?」と確認を終えた阿久里が不審がる。

「せ、先生……僕も確かに見ました」

「しかも……今……純──」

「しかし、一体あいつらは何処行っちまったんだ?」

 阿久里の疑問で松木の言葉が掻き消される。その矢先、何かが聞こえてきた。阿久里以外が見た少女が向かった方から大勢の声が聞こえるのだ。「キャッキャ」とか「わーッ」といった子供の声だ。

「お前らここに居ろ!動くんじゃねぇぞ!」

 阿久里は声のする方向へ走っていく。草木を掻き分けて一直線に声に向かう。すると、草木の僅かな視界から声の正体が分かった。子供の集団だ。見たところ何かの行事に見えた。幼稚園か保育園の遠足か何かだろう。確認が終わると阿久里は来た道を同じ様に一直線で戻っていった。

「どうでしたか?!」

 戻ってきた阿久里に、松木が早く教えてくれと言うように急かした調子で言った。

「多分……幼稚園か保育園の園児達の声だ」

「園児達?ここに来た時にそんなの居ましたっけ?」

「い、いや、僕には園児達が居たとは思えなかったっすよ」

 諸崎と松木がどちらも首を捻っている。

「居たんだからしょうがねぇだろ」

 自分だってよく分からないといった態度で周囲を威圧する。それを横目に、一はある仮説が思い浮かんだ。

「────分かったかもしれません」

「なんだ?何が分かった?」

「その前にもう一度、この祠に触れてみます」

 言いながら祠に触れようとすると、諸崎が「今度は僕が」と先に祠に触れた。

「今度は暑く感じる……」

「ほ、本当ですね……」

「僕も……」

「よし、これで──雨宮さん!彼方さん!」

 一が呼び掛けると当たり前のように返事がした。

「え、あー、なんや?」

「あ……はい!なんでしょう?」

 開ける手前の所に雨宮と瑠璃が立っている。

「ちっ……そうか。だが、そんなことが……」

 口振りから阿久里は感付いているのが一には分かった。

「分かりましたか。僕は時間を移動をした可能性を考えています」

 サラッと一が言う。松木は耳を疑った。

「時間を移動って……タイムスリップのこと?──あはっ、あははは」

 松木が笑いながら阿久里の顔色を伺うと、眉間を寄せて深刻そうにしていた。一を馬鹿にする様に見ていた諸崎もそれを見て動揺している。

「え……阿久里さん?」

「先生……本気ですか?」

「──確か、雅巳の奴は11年前に幼稚園の遠足でここに来たって言ってたな?」

 そこで悟った松木は、さっき聞こえていた園児達の声に耳を澄ます。

「声が……聞こえない……!」

 松木と同じく諸崎も「確かに……聞こえないですね……」と小さく言う。諸崎が、阿久里が行った軌跡を辿るが如く走り出す。帰ってくると「誰も居ませんでした……」と報告した。

「そうですか……なのでやはり、今僕達は11年前の純武が6歳の時代に移動したと考えられます。純武の幼稚園は今でも毎年ここに遠足に来ていると言ってました。しかし、僕は聞いたんです。『こら!純武君』という女性の声を。恐らく幼稚園の先生の声です。阿久里さんはどう思われます?」

 阿久里はすぐには答えずに少し離れて立つ雨宮と瑠璃に質問する。

「おい!お前等には俺達はどう見えた?!」

 女性達は何と言って良いか分からないというように言い淀む。それに痺れを切らした阿久里は2人に詰め寄る。

「俺達はどう見えたんだ?!」

「わ、分からん……何や……あんたら瞬間移動でもしたんか?しゃがんどったハーフ君がいつの間にか立っとるわ、3人の立っとった場所が急に変わっとるわ……」

 瑠璃に目をやり「あんたはどうやった?」と聞く。

「私も……一さんが祠に触れた瞬間、皆さんが一瞬で違う位置に移動して、違う姿勢をしていました…それから急に何やら話し込まれていて……かと思いましたらいきなりこのように問い詰められている──のでしょうか……?」

 2人の話を聞くと「チッ」と舌打ちをする。

「一。さっきの質問だが──俺も同意見だ」

 阿久里は言うと近くの太い木の幹を蹴りつけた。

「な、なんやの?あんた、何を怒っとるんや?結局何があったんや?」

「──あの祠に触れると、周りに居た人間は11年前のこの場所に移動するってことだ。しかも雅巳が言ってたな……11年前の7月25日にここに遠足に来たと。考えてみたらよぉ、今日は7月25日だ……きっかり11年前じゃねぇか」

「──いえ。それは単なる偶然です」

 断言するように言うと、阿久里が怒りの表情を和らげて一に続きを言えと言うように顎をシャクった。一はそのまま続けた。

「僕は井上さんから、周防さんが実験をしたのは去年の7月20日と聞いています。その時も祠を調べた後に、僕らが感じた気温の変化を感じ、オーバオールの少女に会ったと言っていました。阿久里さんがさっき祠から離れた時、僕と松木さん、諸崎さんは少女を見ました。その少女は同一の子でしょう。このことから、いつ祠を触っても11年前の7月25日移動すると考えた方が自然ですよ」

「先生……オーバオールを……着た子でした」

「……そうか。なるほど……筋は通るか」

「彼方さん」

 雨宮と同じく、一が言っている内容がいまいち理解出来ない瑠璃が呼び掛けられてピクッとする。

「は、はい。何でしょうか?」

「チコパフに11年前の7月25日の郡上市の気温を聞いてもらえるかい?」

「は、はい」

 バックからKAI端末を取り出し質問する。数秒後に結果を伝えてくれた。

「2023年7月25日の郡上市は最高気温35度、最低気温25度、平均気温30度だねン」

 機器の画面にも日付と気温が表示させていた。

「ありがとう、チコパフ」

「お安い御用だよンー」

 KAI端末をしまう瑠璃に一が礼を言うと、阿久里が頷きながら補足した。

「今日の最高気温は39度……絶対では無いが……まぁ、普通に考えて4度も下がれば体感は出来るか……」

 その様子を見守っていた雨宮が、心苦しそうに口を開く。

「ビビっとった手前言い難いんやけど……説明してもらえんやろか?」

 瑠璃も「うんうん」と首を振っている。そこで、カサカサっと草木が擦れる音がした。

「皆!」

「あ!瑠璃ちゃん!良かったー!」

 純武と菜々子が移動してきた音だった。菜々子は瑠璃に「無事で良かったよー!」と抱きつく。

「純武。丁度良かった。今祠を調べて分かったことがある」

「こっちもだ。井上さんから映像を調べた結果が出た!」

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