第44話 2034年7月25日火曜日⑮

「そこに一君が居るだろう?彼には雨の中で申し訳無いが、そこの窓から外に出て軒下からでも話を聞いてくれと伝えてくれ」

 野太い井上の声は、コテージ内の全員に聞こえていた。一はゆっくりとした動きで言われた通りに窓の外に出て、窓を開けたまま背をこちらに向けてもたれ掛かった。

「もう大丈夫です。一は外に出ました」

「よし。じゃあ入るぞ」

 井上がドアを開けた。自分は入らず「入りな」と白いワンピースを着た女性を先に入れた。舞谷蓮子だった。続いて足立と馬斗矢が入ってくる。純武は、今朝別れたばかりなのに随分と久し振りな気がした。だが、それよりも久しく会っていない人物がここに居る。

「────久し振り。蓮子ちゃん」

 蓮子が前を通ると声を掛けた。その顔は記憶のままだった。あれだけ自分の中で恐怖の印象であった白い服を着た女が、幼馴染だと思い出した途端に懐かしさを感じさせる。つくづく、自分は現金な奴だと思った。

「本当に……大きくなったね。さっき聞こえてたよ?尾張弁。懐かしいなって思ったよ」

 その菜々子とも瑠璃とも違う声色に、勝手に顔が熱くなった。すると後ろから強い怨念の様な圧を感じた。見ると菜々子が目を逸らしたが、隣の瑠璃が苦笑いをしていた。その視界の中を井上が通り過ぎていった。

「いつから僕らの話を聞いてましたか?」

「君が子供の頃の回想を話している途中からだ」

 純武が聞くと井上が窓の方へ歩き、一の横から外へ顔を出した。

「すまん。真横で吸っていいか?」

「ハハッ、禁断症状ですか?──構いませんよ」

 一からは井上の指が震えているのが分かった。しかし、井上はそれを否定した。

「いや、興奮が収まらなくてな。自分の“におい”が正しく機能してて嬉しくて吸いたくなっちまったんだ」

 何を言っているのか一には分からなかったが、中に居る足立が説明してくれた。

「井上さんはよぉ、舞谷さんの顔を見ても“におい”を感じないって言ってショックを受けてたんだよ」

 足立が舞谷蓮子のことを〈さん〉付けで呼んでいることからある程度察しが付いた。「ぷは〜〜〜〜」と窓の外に煙を吐く姿を見ながら、馬斗矢が井上と合流するまでの経緯を話し始めた。





「うわッ……い、今、雷落ちたぜ?」

「うん……空も黒い雲が増えてきたし、そろそろ雨も降るんじゃないかな?」

 聖真に言われた手前ここから動くのは良くない気がしたが、雨や雷の下で待ち続けるのは御免被りたい。雨宿り出来る所で腰を据えたかった。

「せめて、あの建物の横に入らない?あの建物なら上に避雷針が付いてるし、あそこの下なら雨にも当たらないよ」

 舞谷蓮子の自転車に近い場所にある白い建物を指差して言った。危険人物とされる者の自転車の近くで待機するというのは怖いが、それと同じくらい雷に打たれるのも怖い。背に腹は代えられないというやつだ。

「お前の言う通りだ。行こうぜ」

 〈ザッザッザッ〉と砂利道を走り建物の横に移動する。上を見上げると、屋根が2m程出っ張った場所があったのでそこの下に2人並んで立つ。ここからだと、舞谷蓮子の自転車は建物の真裏になる。様子は観察出来ないが、周りが砂利なので人が近付けば足音で気付ける。

「皆、大丈夫だよね……?」

「さっき井上さんから電話があったろ?よく分かんねーけど、京都府警の刑事2人と探偵が一緒って言ってたから……大丈夫だろ?」

 馬斗矢は自分だけでなく足立も心配なのだと、その口調で何となく分かった。

 それから立ったまま結構な時間が経った。井上から電話があった正確な時間は覚えていないが、すでに高速道路を走っているということだったのでそんなに時間は掛からないだろうと足立は思っていた。

それからまた数分経ち、何時しか雨が降り始めていた。壁に預けていた背中を下に滑らせてコンクリートの地面に座ったその時だった。

〈バァ────ンッ!〉

 何処からか乾いた音が聞こえた。

「今のって銃声だよね?」

「この辺りで狩猟でもやってんじゃねぇか?」

 自分で言って、夏休みに入ったら馬斗矢と死ぬ程やり込もうと思っていた狩猟ゲームが頭に浮かんだ。当初の予定とは全く違った夏休みの始まりだったけれど、馬斗矢には不謹慎でとても言えないが、何かやり甲斐を感じる日々に思えた。

「あのよぉ……結局、舞谷蓮子が犯人ってなったけど……それでも馬斗矢は……舞谷蓮子が憎くないのか?」

 足立には、舞谷蓮子が犯人という確定的な情報を井上から聞いても尚、舞谷家で調査をしたことで感じた彼女に対する同情的な気持ちがある。あの神社で、馬斗矢も同じ気持ちだと言っていたが、それは今も変わっていないのかどうかが気になった。

「どうなんだろう……」

 馬斗矢には、兄を失ったことに対しての〈憤り〉の気持ちは確かにある。しかし、それが舞谷蓮子に向けてのものかどうかが自分でも判断出来ない。けれども、彼女には〈可哀想〉という気持ちが未だにある。だから、足立の質問にハッキリとは答えられなかった。

「そっか……」

 その自問する様な答えを聞いて、足立には馬斗矢の心情が何となく理解が出来た。

〈バァン!バァン!バァン!バァン!バァン!〉

「ま、また?」

「これは────狩りじゃねぇぞ!猟銃ってそんなに連射出来ねぇだろ?!」

 足立は戦争を体験できるゲームで猟銃を使ったことがあった。その経験から、猟銃にはボルトアクションという毎回手動で弾を入れ替える作業が必要だということを知っている。

「じゃ、じゃあ、この銃声ってもしかして……?」

「雅巳達と一緒に居るっていう刑事が撃ったんじゃねぇか?だとすると、舞谷蓮子を……撃ったんじゃ……」

足立がそう言っている途中から〈ザッザッザッ〉という砂利の上を歩く音が建物の裏側から聞こえてきた。2人は本能的に身を低くして身体を寄せ合った。

「(井上さんかな?)」

 馬斗矢が耳打ちしてくる。しかし、足立は違うと思えた。体感時間から、まだ井上が到着するには早過ぎると感じたからだ。それ以前に、この足音は森側から聞こえるのだ。

「(いや、違うぜ)」

「(ま、まさか……舞谷蓮子?)」

 今の銃声が純武達と行動している刑事が、舞谷蓮子に向けて発砲したものだとしたらそれもおかしい。銃声はもっと遠くから聞こえてきたのだ。だとすると────。

「──おわッ!!き、君達、こんな所で何してるの?」

 くっつく様に近づいて耳打ちをし合っていた足立と馬斗矢の存在に気付いて、瞬間驚いた男はそう質問してきた。

「あ、いや……」

 足立が戸惑っていると、馬斗矢もアタフタとしている。その様子を見て「ははぁーん」と意味深な表情をしてニヤニヤとした。

「そういう趣味なんだろ〜?……いや、すまない。今は多様性の時代だしね。何も言わないよ」

 男にそう言われた2人は「ひぇ──ッ」と距離を取って弁明した。

「ち、違います違いますッ!そうじゃなくてッ!」

「お──お──俺達ッ!ここで森に入ってる仲間を待ってるだけなんすよッ!」

 必死にそう言うと、男の顔色が変わったのが分かった。

「な、仲間?……あッ!……。な、なるほどね〜。分かった分かった。そういう事にしておくよ」

 それでも勘違いをしていると思った足立は話題を逸らそうと必死になった。

「お、お兄さんはここで何をしてるんですか?」

「俺かい?俺は……こ、ここのキャンプ場のスタッフだけど?」

 雨に濡れたその男は、東海地区のプロ野球チームの帽子を被り、耳には小型のインカムを付けている。男はそのインカムをチョンチョンと指で叩きながら言った。

「君達の事はオーナーには黙っておくから……後は宜しくやってておくれ」

 また極端にニヤニヤしながら言うと雨に打たれながら向こうへと走っていき、そのままキャンプ場の事務所と思しき建物の陰に消えていった。

「お、恐ろしい勘違いしやがって……!」

「ホントだよ……変な汗掻いちゃった……。でも、キャンプ場のオーナーには黙っててくれるっていうのは良かったね」

 自分達は私有地に不法侵入をしているのだ。見過ごしてくれるのであれば非常に有り難い。

「でもよ、さっきの銃声は何だっ──」

 走り去った男の方を見ていた足立が馬斗矢に向き直りながら言ったが、途中で言葉を止めた。

「うん……。ん?どうしたの?」

 こちらを見た足立が硬直していた。瞬きもしない。「おーい」と呼び掛けるとやっとその瞼が動いた。

「ま、ま、ま……」

 馬斗矢の後ろの方を指差す。馬斗矢は足立の反応から、おおよその予想がついてしまった。やってしまったと。気の緩みから2人とも足音を聞き逃したのだ。馬斗矢は心の中で「お兄ちゃん、今逝くよ……」と呟く。

「君達……こんなところで何してるの?」

 そう問いかけられると足立が脱力して跪いた。口から漏れるように言葉が出ていた。

「ま、ま、舞谷……蓮子……」

 馬斗矢は目を強く瞑って祈りを捧げている。自分も旅立つのだと、生を諦めたのだ。

「どうして……私の名前を知ってるの?君は……何を祈ってるの?」

 澄んだ声だった。周りは〈サーッ〉という雨音に包まれている。それでも声量の割には耳に届く。

「お、おい、馬斗矢……馬斗矢!」

 目を閉じて祈りを捧げるその姿は、いつぞやの瑠璃を彷彿とさせる。しかし、馬斗矢にはあれ程の神聖な雰囲気は無い。頭を強く叩く。

「あたッ!」

「馬斗矢!俺達、何ともねぇぞ?!」

「あ、あれ?本当だ……生きてるよ!」

 目の前で何故かはしゃいでいる2人を物珍しそうに蓮子が眺めている。それに気が付いた足立が、蓮子に向かって尋ねた。

「お、お前が……馬斗矢の兄ちゃんを殺したんだろ?」

 馬斗矢が「あ、足立君……」と口を挟もうとしたので、足立は馬斗矢に黙ってろという意味を込めて手で頭を抑えつけた。

「ち、違う…………」

 蓮子は泣き出しそうな表情をさせて首を振った。写真で見た通りの、少し日に焼けた肌色のせいで直ぐには気付かなかったが、よく見ると目の周りが赤く腫れ上がっている。すでに泣いた後だということが分かった。

「違うって……どういうこと?」

 足立の高圧的な言い方とは対照的に、馬斗矢が彼らしい優しい声で聞く。図らずも、その緩急の具合が良かったのかもしれない。蓮子は自然にその問いに答えてくれた。

「私は……知りたかっただけ。聞きたかっただけなの。でも……やっと見つけたと思ったら……皆倒れちゃって……」

 蓮子はそのまま話し続けた。違う場所で純武が話した内容とほぼ同じ内容を。そして、聖真が推測した自分で購入したもの以外は使えないということ。自分は先程まで愛知県のアパートの前で女性が外に出てくるのを待ち続けていたこと。ここにはハーフの少年と男性2人に会いに来たことを話した。

「訳が分からないでしょ?……信じ……られないでしょ……?」

 蓮子は分かってくれなくて結構、というように力無く笑った。しかし、馬斗矢も足立もその話が真実味を帯びている事が分かった。

「ううん。信じるよ」

 馬斗矢が蓮子の目を見て言い切った。

 蓮子の目が大きく見開かれた。涙が溢れ出す。その様はつい先日、玄関で自分の父親が泣いていた時と同じくらいの涙の量だった。

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