第一章 焼ける脳

第1話 2034年7月19日水曜日

2034年7月19日水曜日

 純武は、愛知県の一宮市にある木曽川町という田舎とも都会とも言えない地域に住んでいる。この地域に住む人間は〈尾張弁〉と呼ばれる方言を喋ることが多いが、家庭によってそのなまりは違ったりする。

 純武が現在通っている県立津島高等学校は、一宮市から1つ市を挟んだ津島市にある。偏差値もそこそこで自由な校風が有名だ。父親の強い薦めで進学を決めたが、通学は片道1時間。自転車で最寄り駅に行き、そこから1回乗り換えをし、駅からまた自転車と普通の人間であれば結構大変と感じる距離だ。

 しかし、純武はあまり気にしなかった。この道中は気の知れた友人も一緒なのだ。

「うぃ〜っす」

 180cmは軽く越える長身と全体的に長めの髪の毛が特徴的な平岩聖真ひらいわ きよまは、気怠そうに右手の親指と人差し指を立てた。

「おう」

 純武が一言応える。ほぼ同時に駅へ着いた二人は、幼稚園時代からの幼馴染である。それから小学校、中学校、高校とかれこれ11年間ずっと一緒であり、気を使う間柄では無いので「おはよう」と言い合ったことなどお互い記憶に無い。

 2人で改札を通り駅のホームへ向かう。岐阜方面から来る急行電車に乗り込むが、すでにかなり人が乗っているので座ることは出来ない。毎回決まって6号車に乗り、いつも空いている入って左側の壁にもたれ掛かる。

 次に電車は一宮駅に停車する。昨日、純武達はそのタイミングでニュースでやっていた騒ぎを目撃した。岐阜方面から乗ってきた多くの人がここで降車するため、車内にある程度の空間が生まれるがそれも一時的である。降車した数を上回る人数が一気になだれ込む。まるで呼吸をする時の肺の様に、電車が人を吐いて人を吸う。

 その人混みの中から、純武と聖真に一直線に突っ込んで来る小さな人影がある。この光景も3ヶ月以上になるので純武達には見慣れたものだった。

「くふぅ──おはよっ!」

 一仕事を終えたと言わんばかりに深々と呼吸をする可世木菜々子かせき ななこが、片目を伏せたままセミロングの黒髪を耳に掛けつつ二人を見上げる。

「おはよう」

「うぃ〜っすぅ」

 菜々子がこの6号車に立つ2人に合流するのは、かなり難易度が高い。何しろ駅のホームも電車内も人で溢れかえっているのだ。一宮駅で停車する際、開くドアは純武達が立つ場所と反対の右側なので、ここに辿り着くには車内を横断する必要がある。そのため、本人曰く必ず先頭に並ぶようにしているらしい。何度か合流出来ないことがあったが、純武の記憶では4、5回といったところだ。

 菜々子と2人が知り合ったのは2年になってからで、純武と聖真、菜々子は1年時は別々のクラスだった。この3人は理系を選択したことで2年時から同じクラスになり、それから仲良くなった。元々は純武と聖真での登校だったが、今年の4月からは菜々子が追加された。

 津島高校に通う生徒は大体が津島市近辺の出身のため、家から自転車で通う者ばかりだ。一宮市から通う生徒は純武が知る限り、同学年ではこの3人だった。そういう背景もあるので3人が仲良くなるのは必然だったと言える。

「もうすぐ夏休みだねー!」

 菜々子が見上げたままの姿勢で交互に2人を見る。聖真も身長が高いが、純武も聖真程ではないものの180cm近くある。春の身体測定では178

cmだったので、150cmそこそこの菜々子が2人と話すとなると当然見上げる形になる。

「あれ〜?今日何日だっけ?」

聖真がスマホのアプリを操作しながら言う。

「19日だからあと3日で夏休みか」

「純武君や、終業式は21日。ということは、21日の終業式が終わったら夏休みな訳ですよ!」

 チッチッと指を振り、菜々子は何やら得意気であった。

「そうだ、忘れるとこだったわ〜」

 ふと、スマホを弄っていた聖真が更に視線を下にして尋ねる。

「昨日、菜々っちが一宮駅から乗る時に人が倒れて騒ぎが起きてたじゃん?もう死んじゃってたってやつ。菜々っち何か知らんの〜?」

 昨晩、その件であまり寝つけなかった純武が隙を見て聞きたかったことだった。菜々子からの返答を待つ間、心なしか周りの乗客が聞き耳を立てている気配があった。

「ううん。私もニュースになっとること以外は知らんよ。それにあの時は電車に乗り込む寸前だったから、どんな人が倒れたのか見てないし」

(そうか……考えてみると電車が一宮駅についた時には、救急隊の人が担架を用意しとった。ということは……)

「倒れてたのはもう少し前やと思うよ」

 純武は自信を多分に含んで言った。

「俺らが騒ぎに気付いた時には、もう階段のところに救急隊の人が来とったからな。少なくとも、菜々子が乗ってくる10分前くらいにはもう男の人は倒れとったはずだわ」

「確かに〜。流石ミステリー一家〜。純武、やるやん」

 聖真が肘で純武を小突いてきた。

「あー、でも私さ、列に並んでる時は音楽聴いとるんだよね。2人に合流する為に1番に並ばないといかんから、10分以上は周りの音は聞こえとらん……」

 ですよね、と純武と聖真は残念ながらも納得する。呼応する様に、周りの気配は普段通りになっていた。



 学校への道のりの間、最近続いている急死事件の話題で盛り上がった。その中で純武が初めて知る情報があった。脳の頭頂葉を中心に損傷がみられたこと、外傷が無いこと等は知っていた。しかし、急死した人の性別や年齢がバラバラであること、薬物の反応がみられないこと、ウイルス等の感染症の疑いは無いという情報は知らなかった。菜々子がネットニュースから拾ってきた情報だ。

 学校から最寄り駅に着くと、また自転車に乗る。3人で喋りながらの通学は、片道1時間かかったとしても全く苦ではなく、寧ろ心地良い時間だと純武は感じている。



「よーし。ホームルームを始めるぞ」

 担任の溝口が、普段通りに朝の出席を取りながら話をする。

「最近、夏風邪が流行ってるから皆気をつけろよ。夏休みまで引きずるのは嫌だろ?今日も体調不良で何人か休みの連絡が入ってるから」

 言われてクラスメイト達が辺りをキョロキョロと見渡す。純武もつられて見るが、確かに4つ席が空いている。この時期に風邪を引くと高校生活の思い出に支障が出かねない。あの頃を思い出すと〈手洗い・うがい奨励〉の文字が頭に浮かぶ。当時は読み方がわからなかったが、今となっては当たり前に読むことが出来る。

 学校での生活は特に変わり無く、時間割通りに教科が切り替わる。昼食は菜々子は女子グループで、純武と聖真は2人で喋りながら親が作ってくれた弁当を食べる。学校が終わり3人で自転車小屋へ向かい、そのまま来た道を帰る。



 帰りの電車の中で、菜々子がネットで発見したという新しく登場した御当地キャラクターの記事を見せられた。

「うわっ。見て見て!このストラップ、可愛くない?」

「どれどれ〜菜々っち?」

 聖真と一緒に純武も菜々子のスマホに映る商品を見る。純武は(これが可愛いやと?)と思うが、口にすると厄介なことになるので口のチャックをジリジリと閉めた。

「可愛い物収集家の血が騒ぐよ……欲しいよ、このストラップ」

「菜々子。お前値段見て言っとるんか?これで1,500円やぞ?」

 純武の金銭感覚では、ストラップに支払える金額は精々500円が限度だ。この大して可愛いと思えないストラップに、その3倍の価値があるとは到底思えない。

「俺も1,500はちと高いと思うな〜」

 純武と援護射撃をした聖真の声は菜々子の鼓膜を揺らしてはいるはずだが、脳には届いていない。スマホの画面から目を離さずに楽しそうにしていた。これだったら正直に「可愛くない」と言っても良かったのではないかと純武は思う。

「(聖真。あのキャラ、可愛いと思ったか?)」

「(全然〜)」

 自分の感性が正常域にあることに内心で安心した。

 その菜々子が一宮駅で降りて、また明日、と手を振り別れる。2人になった純武と聖真は駅に着くとお互い自転車に乗り「んじゃ」と、適当にジェスチャーを交え解散した。



 帰宅して風呂に入り夕食を摂りながらテレビを観る。今日のニュースでも先生が言っていた、夏風邪が流行っているという特集が流れた。一番多い患者の年齢層は10〜20代とのことで、純武はより一層体調管理には気を付けようと思った。その他は特に興味を持つニュースが流れることは無かった。バラエティー番組も面白いと思えるチャンネルが無かったのでテレビの電源を切った。

 退屈を感じる純武だったが、不意に連続していた急死のニュースのことを考えそうになった。あの既視感は何だったのだろうと。

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