第15話 2034年7月23日日曜日①

2034年7月23日日曜日

 今の気温は39℃で昨日の最高気温より1℃低いが、それでも茹だるような暑さだ。

 馬斗矢は自転車で風を受けながら走っているが、全然涼しさを感じていなかった。

「あぢーなー」

 言った足立に馬斗矢は「僕の方が暑いよ」と言いたかったが、この脂肪は自分の不摂生のつけなので口には出さない。

「まだ着かねーのがー」

 馬斗矢が自分の自転車に取り付けたスマホのナビゲーションにはあと12分と表示されている。最初に足立と合流した場所からでは25分と表示されていたので向かい始めてから半分は切っている。

「あと12分だって……」

 馬斗矢が腕に付けたリストバンドで顔の汗を拭いながら、真っ青な空を見上げた。雲一つ無い晴天だった。せめて雲で日陰を作ってくれよ、と馬斗矢は空に文句を言いたかった。

「僕達もあんな風に移動できたいいよね……」

 見上げる馬斗矢の視線を追って足立も空を見る。今では飛んでいるカラスや鳩を見るのとそう変わらない。配達用ドローンが頭上を通過していくところだった。馬斗矢の言う通り、ドローンに移動させて貰えればこの上なく楽なはずだと足立も思った。

 数年前から配送でドローンが本格的に使用されるようになったが、法律的に人間を移送することは禁止されている。理由は当然危険だからだ。だが、足立はそれでもいいからドローンに自分を運ばせたいと思った。



 昨日の喫茶店で決まったことは4つ。宗一郎のスマホから井上が、周防実千、一・ウェイクフィールド、彼方瑠璃に連絡を取ることに成功した。周防実千は生きていた。これは大きな収穫だった。その後決まったことは4つだ。

 1つは〈郡上市のキャンプ場もしくは付近にいた白い服を着た女〉の捜索は後回しにすること。

 2つ目は周防実千には井上と純武が会いに行くこと。

 3つ目は一・ウェイクフィールドには馬斗矢と足立が会いに行くこと。

 4つ目が菜々子と聖真が彼方瑠璃に会いに行くことである。

 井上の連絡により、午前11時に自宅に行くアポイントメントを取ったので、馬斗矢と足立が自転車を漕いで一・ウェイクフィールドの下へ向かっている。

 彼の住所は馬斗矢と足立と同じ津島市内であるが、かなり過疎化が進んでいる地域であり、田んぼだらけの空き家が目立つ場所だ。

 馬斗矢は、ウェイクフィールドという名前からハーフの男子を想像していた。ハーフはお金持ちという偏見があったが、コンビニさえも近くにないあの地域に高い身分の人間が住むとは考え難いと馬斗矢には思えた。

「あど何ぶんー?」

「あと6分ー!」

 昨日、菜々子が会いに行く人員をいきなり勝手に割り振ったが、足立と組ませてくれたことは馬斗矢には有り難かった。加えて、馬斗矢は女性と話すと緊張してしまうタチなので彼方瑠璃と話せる気がしない。なので、足立はブーブーと言って不機嫌そうだったが、馬斗矢はそうでも無かった。

 それより、馬斗矢は純武の言っていたことが気になった。結局周防本人に連絡が取れて安心材料は増えたとは言え、危険を伴う人物にわざわざ自分から会いに行くと言い出したことが馬斗矢には理解出来なかった。責任と言っていたが、馬斗矢には純武に責任があるなんて毛ほども思えない。



 馬斗矢がそんなことを考えていると、ナビゲーションが「目的地に到着しました」と音声を発した。

「着いた……みたい……」

 2人の目の前には旧時代のトタン屋根のあばら家が一軒ある。ここが一・ウェイクフィールドの家なのか。揃って表札を見ると、汚れた木製の表札に〈染谷そめや〉と書かれている。

「お……おい……間違って……無いか……?」

 足立がこの世の終わりの様な顔で表札を見ている。馬斗矢は慌てて確認するが間違ってはいなかった。

「合ってる……はずなんだけど」

 足立はリュックの横ポケットから半分凍ったスポーツドリンクをがぶ飲みし、手の甲で口を拭った。

「間違っててもいいや……」

 そう言って古臭いベルを親指で押し込んだ。〈ジー〉と聞いたことの無い音が屋内から聞こえてくる。数秒待って玄関の引き戸がカラカラっと空いた。出て来たのは白いタンクトップシャツを着た70代くらいの男の老人だった。

「はーい。染谷ですが──って、おたくら……なんだね?」

 予想外の登場人物に2人は動揺し顔を見合わせた。足立が俺が聞く、と態度で示したので馬斗矢は任せることにした。

「あっ、あの!俺達──いや、僕達は一・ウェイクフィールド君に約束して、それで──会いに来たのです!」

 馬斗矢は空いた口が塞がらなかった。足立はいつもはオラついている訳では無いが、もっと頼り甲斐のあるオーラを出している。

 昨日の喫茶店の時も今もそうだが、実は上がり症なのか?と馬斗矢は足立の意外な面を昨日今日で知った。

「おや、一の友達なのかね?久しぶりだね〜。この前来た兄ちゃんはもう1、2年前くらいだったかな?嬉しいね〜。さ、どうぞどうぞ」

 足立は、この家で合っていたのかと、色々な疑問が浮かんだがこの際どうでも良いから早く涼しい室内に入れてくれと思った。そんな足立をよそに、馬斗矢はきっと〈この前来た兄ちゃん〉は宗一郎のことだと思って、ここに訪れたであろう亡き兄の顔を思い浮かべていた。

 染谷に促されて玄関に入ると中は冷房が効いているのか、ただ日が当たらないからなのかは分からないが2人にはとても涼しく感じた。

 そして外見とは裏腹に中は綺麗だった。古臭さはあるが、仄かに感じる木の匂いが2人の心を落ち着かせた。廊下を先導してもらい、階段の前で立ち止まる。

「2階に上がって左の部屋が一の部屋だよ。後は宜しくね」

 染谷はそれだけ伝えると奥の和室へと入っていった。またも2人は顔を見合わせ、足立が俺が先に行く、と態度で示した。階段を1段登ると〈ギシッ〉と音がする。それを何度か繰り返し、左側から小さくフィーンと音が聞こえる。足立は2回ノックをすると、びっくりする程小さな声で話し掛けた。

「(あの〜、一・ウェイクフィールドくーん。僕ら、井上って人の代わりで来た者共なんですがー?)」

 馬斗矢は心の中で(それじゃ聞こえないでしょ!)と言ったが、部屋の中からちゃんと反応があった。

「あー、鍵なら掛かってないから入ってくれて構わないよ」

 何とも涼し気な声だと馬斗矢は感じた。その声だけで、馬斗矢は声の主がイケメンハーフであることを確信した。

「し、失礼しまーす」

 緊張した面持ちで足立がドアを開ける。すると、そこにはこちらに背を向けてキーボードをブラインドタッチしている金髪色白の男子が居た。馬斗矢は貴公子がピアノを弾いている錯覚に陥った。

「ちょっと待っててくれるかな」

 カチャカチャとさせる指がピタッと止めると、オフィスチェアをくるりと回して立ったままの2人に姿を晒した。馬斗矢の予想通りのイケメンで、耳に掛かる程度の金髪に右の目元には小さな泣きぼくろがある。目の色は緑色に近い黒色をしている。2人が一・ウェイクフィールドの容姿に気を取られていると、先に彼の方から口を開いた。

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