エピローグ 2045年2月22日水曜日

2045年2月22日水曜日

 無機質な白い壁と天井、灰色のビニール製のシートが敷かれた広々とした部屋。その天井の中心から円柱状の物体が大きく迫り出している。まるで建物の支柱の下半分だけを切り捨てた様な形状だ。隅に置かれたテーブルとオフィスチェアの周りには複数のモニターが映像を映し出している。

「ふぅ……」

 そのチェアーに座る人物は、自分専用のテーブルからマグカップを右手に取り、温かさが失われたコーヒーを飲む。それと同時に、左手で自分の頭部に取り付けたC字状をした遠隔操作用のインターフェースを外し、専用のソケットに嵌めた。

「概ね……予想通りか」

 そう漏らすと、少し離れた背後のドアが僅かな音と共に横スライドした。

「どうだったかね?」

 白衣を着た50代くらいの紳士とも言える男は、部屋に入るなり進捗を教えろと聞いてきた。コーヒーを飲む彼からすれば恩師とも言える存在だ。

「やはり昔、僕らが考えていた結果でした」

 振り返らずに答えたのでマグカップを置く。チェアを半回転させて目を合わせた。

「村瀬室長。先にお詫びします。僕としたことが……人為的な介入をしてしまいました」

 村瀬は無表情だった顔を微笑させると、壁に立て掛けられていた折りたたみ式の丸椅子を広げて腰を掛けた。

「ふっ、確かにらしく無いな。でも君のことだ。解析不能の場面で手を加えたのだろう?」

 村瀬の言う事は当たっていた。やはりこの恩師には自分の考えはお見通しという訳か。

「その通りです……もしもログを解析されても、上にバレることは無いはずです」

「そうか。ならば問題無い。それで?君の体験した〈あの夏〉はどういう事だったのかね?」

「はい。やはりあのキャンプ場の南北でバグが生じていました。1600年の八幡城の合戦で戦死した武士の家族が墓標代わりに石を組んだ物──それがあの祠の正体でした。その座標、用意された石やその形状が絶妙な数式のプログラムで組まれたことで、時空の歪みを生んでタイムスリップを可能にしています。祠の形状を一度壊す事を起動条件として」

「そんな事が……であればその座標に同じ材質の石、形状を再現できれば複製が可能なのか……いや、無理だな。石の形状と成分が全く同じ物を用意するのは不可能か」

「あの祠は全てが終わった後に破壊してしまいましたし、検証も不可能ですよ」

「まぁ……当然の処置か…………例の、購入した物しか使えないという現象と急死とはどういう理由だった?」

 無念そうに目元に影を作ったが、解析の結果も気になる様で、村瀬は気を取り直して質問してきた。

「やはり彼女のプログラムに破損が見られました。〈使用〉というアクティビティに制限が掛かるというバグが。急死を引き起こす原因も旧友の予想通りです。入力された情報の辻褄を極めて短時間で合わせようとした結果、個体プログラムが暴走──熱傷という形で表出していました。過去の人間が急死しなかったのは、未来の人間に会ったという事実をプログラム内に記録するには、その未来の人間の情報の時間になるまで保留する必要があるからでした。友人曰く『予約』だそうです」

 そう言ってメガネを外す。自分の白衣の胸ポケットに引っ掛けると、目頭の辺りを親指と人差し指でマッサージをした。

「なるほど。未来の時間情報は過去には入れられないという訳だな。サイコメトラーの様な能力は?本当にセキュリティが働いたのか?」

「ええ。このセキュリティは賢いですよ。流石は彼方自動車初の最年少女性副社長の開発したAIです。位置情報だけを送信するというのは、この世界のルールの中で最も効果的な間接的手段でしょう。ついでに、もう1つの祠も問題の事象を消去するためのツールとして、セキュリティAIが複製したものでした。つまり、セキュリティ側も誰かの……僕らの活躍に期待していたようです」

 VR世界を構築するに当たって、数年前、システムを監視するAIを導入することが決まった。導入するAIを決める品評会で、プレゼンテーションをしたのが彼女だったので村瀬も彼女とは面識がある。村瀬は彼女を高く評価している様で、今のを聞いていきなり「ぶぅ〜らぼぉぅ!」と流暢な発音で吠えた。苦笑いをする部下の顔に気付くと、頬を紅潮させて咳払いをし、質問を続けた。

「ゴホンッ──き、君に関する疑問も……予想通りかね?」

「────はい。と言っても少し違ったのは、僕の場合はシステムからのアップデートを受けずにいたということです。説明は難しいですが……きっと単独のプログラムに芽生えた生存本能みたいなものでしょうか。僕のプログラムはサーバーにハッキングして得たアップデート情報を、独自のプログラムコードで自身に組み込んでいました」

 連続する質問を返した後、我慢できずあくびが出る。すると村瀬が「実に、君のプログラムらしい判断だな」と笑う。

「ところで、君はVR世界が完成してから随分家に帰っていないだろう」

「……はい。観測時間をリアルタイムに設定していたので……自宅には帰らず10日くらいはこの研究所に箱詰めでした」

「そりゃまた非効率な」

 室内の真ん中の物体──VR世界を構築する量子コンピューターに目を向けてその質問に返答した。

「懐かしくて……つい。まさかここまで同じだとは思わなくて」

「──そこまでか。なら私も観てみようかな?」

「村瀬室長は止めたほうがいいですよ。僕よりももっと家に帰りたく無くなりますよ?」

 村瀬が大笑いをした。心当たりが有り過ぎてそんな反応になったのは分かりきっていた。

「そうかそうかっ。君が言うなら絶対にそうなるな。なら、もう過労で尿路結石になるのは御免だから止めておこう。あんな痛みは懲り懲りだ」

 「そっちですか」とお互いに笑い合うと、村瀬は話題を変えた。

「……しかしこの〈46世界〉の情報は超最重要機密事項だ。上にもダミー情報を上げているし」

 村瀬の判断で、〈46世界〉の情報は46台中の1台、つまりはこの量子コンピューターの担当者と村瀬以外には情報をシャットアウトしている。

「〈46〉はこの世界そのものと呼べますからね。これを観てしまえば将来の株価から発明される物、地価、産まれてくる人間……全てがシュミレート出来ますからね。僕は2045年以降は観る気にはなれないです。この先の時代に興味が持てなくなってしまいますから」

「私もだよ。だが、多くの欲にまみれた人間は、この〈46〉の情報が喉から手が出るほど欲しいだろうな。で、分岐の方はどうだ?やはりこれ以上はしないかね?」

「ええ。原因は不明ですが〈46〉が限界みたいですね……分岐すべき事象があっても、強制的に分岐をキャンセルされるみたいです。僕らが体験したように……何故なんでしょうかね?」

「分からない……が、しかし面白い。我々の宇宙を構成するする全ての数式を入れて再現した世界。理論上は無数に生まれるはずの並行世界が46個で打ち止めとは……まだサーバーには十二分な容量があるんだがね。打ち込まれた数式に問題があるのか……それとも、宇宙の95%を占めるという現在でも観測不可能なダークエネルギーとダークマターの解析が進まない内は46が限界なのか……ふっ……それにしても、人間の染色体の数と同じだな、と思うのは私だけかな?」

「いいえ。僕も思いましたよ。しかし村瀬室長、〈46〉が本当に完璧なVR世界だとしたら、この現実世界も46個目のラストケースという事になりますよ」

「そうだとするなら、分岐する世界に限界があることになる。正に学問の理論崩壊だな」

 村瀬が「それじゃ、私はそれそれ行くよ」と立ち上がる。それを見て確認をする。

「介入した箇所をお聞きにならなくて宜しいんですか?」

 背中を向けた状態で村瀬は即答した。

「ああ……前に君から聞かせて貰った話から察しはつく。雷だろ?未だに解明されていない事象だからね。君が介入するとしたらそこだろ」

「お見通し……ですか」

「後は──君が前の歴史の記憶を持っている事。〈46〉から〈47〉に分岐しなかった事が鍵だな。私が考えるに──君のソレ。恐らくソレに起きているんじゃないかな。分岐するはずの世界がキャンセルされた事による産物と言えるバグが。量子コンピューターお得意のね」

「──ッ!分かっていたんですか?」

 答えることは無く、手を挙げて部屋を去る村瀬の最中を見送る。自分以上に頭のキレる上司を持つのは、半分嬉しく、半分悔しい。

 モニター画面に目をやり、先程外したインターフェースを頭に再装着する。思考した通りにモニターの画面が切り替わる。目的のプログラムコードを開くと、それをまじまじと熟読する。

「この8つのミサンガを僕らが〈付ける〉ことで、それぞれのミサンガに前の歴史情報が入力された……これはこのVR世界では分岐出来なかったことによるバグだが──こちらでもやはりそうなのか?だとしたらやはり……」

 インターフェースを外し、テーブルの上に置かれた写真を見る。そしてそこに写る彼が、かつて言った言葉を口ずさむ。

「ただ、自分らしく生きるだけ……全くその通りだ」

 真ん中に立つタキシードを着た180cmくらいの男性とウェディングドレスを着た150cmくらいの女性。その周りに集まり8人が笑顔で映る写真。

 それを眺めた後、つい笑みが溢れる。自分の手首を見る。お世辞にも綺麗とは呼べなくなってしまった、その紫色のミサンガを。

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2024年9月28日 20:00

虹と焼ける脳 吉木生姜 @KG-mt

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