第54話 2034年7月26日水曜日

7月26日水曜日

 前の歴史で足立と馬斗矢から聞いた通りだった。一の容姿からは想像がつかない住居だと純武も思った。更に、出迎えてくれたあの染谷という老人は何者なのかという疑問が生まれていた。

(単純に一の母親の祖父ってことなのかな?ウェイクフィールドの性は父親がアメリカか何処かの人で……離婚して母親の実家のここに住んでいる、ということか?いやいや、それなら母親の性になっているはずや……それに以前──というか前の歴史の記憶じゃ、聖真が一に家族について聞いた時、一は自分の周りには染谷さんしか居ないと言っとった……まさか、一も蓮子ちゃんみたいに両親を亡くしとるのか……?)

 幅の狭い階段の前で立ち尽くしたまま、純武は考えを巡らせていた。

(考えとってもしょうがない。それに、聞きたいのはそれじゃないしな)



「僕の家で良かったのかい?遠かっただろ?」

 一が純武にソファに座るよう促しながら、座ったままオフィスチェアを促した方向に回転させる。

「あぁ。いいんだ」

 腰を掛けながら言うと、一が「それにしても」と話を振った。

「よく思いついたね。『アイザワソウイチロウを調べろ。虹はそこにある』だなんて。彼方さんの憂いを見事に解消する魔法の言葉だ。それが無ければ、僕らの記憶が戻る事も無かったかもしれないね」

「その事か。自分でもナイスな閃きやったと思う。でも……結局俺が運命を信用出来んかっただけかもしれん。自分で瑠璃ちゃんに言った癖にな」

「純武がその場面で閃いたこと事態が運命なのかもしれないよ?」

 そう言われて苦笑いをする。一だって分かっている癖にと。運命なんて曖昧な言葉は、捉えようによってはどうとでも取れる。インチキ占い師はその曖昧さで商売をしているのだ。

「で、2人で話したい事があるってのは何かな?皆と一緒じゃ駄目だったのかい?」

 それは純武も考えた。だが、記憶を取り戻してから様々な事を考えた結果、一と2人で話した方が良いと結論を出した。自分の考える可能性の話を聞けば、とても皆には〈それ〉を受け止められないかもしれない。

「うん。2人の方がいい」

 真顔をすると、一は背もたれにもたれて脚を組んだ。と、思ったら椅子ごと反転し、机の下の小さい冷蔵庫から缶コーヒーを2本取り出した。手渡されると「ありがとう」と言った。「いや、直ぐに出すべきだったね」と先程のもたれる姿勢を作った。純武が栓を開けるのを見ると、一も栓を開けてコーヒーも飲む。

「それで?」

 片手で持った缶コーヒーを両手で持つと、純武は口を開いた。

「一は────何かに気付いてるだろ?」

 そこまで驚いてはいないが目を少し大きくさせると、口の端を上げてから答えた。

「そう──だね」

「だよな。しかも、それは話した事があるよな?あのアパートでの話の中で」

「あぁ。そうか……君も考えたんだね。〈その〉可能性────」

 純武は眉間を硬くさせる。予想が外れていてくれという少しばかりの祈りを持って。

「──〈この世界がVRバーチャルリアリティーである》という可能性に」

 純武は、前の歴史の記憶を取り戻したことで、この歴史の自分として客観的に記憶を眺めることが出来た。その結果、分かったことがあった。それが今、一が口にした〈この世界がVRである〉かもしれないという可能性があるというものだった。

「あのコテージでも言ったけど、こんな事は有り得ないんだよ」

「言ってたな……量子力学・量子物理学的にって」

 両手の冷たさが増すばかりだったが、それよりも一の話の続きに意識が向いている。

「そもそも、君が過去改変をしたことによって世界は2つに分かれたはずなんだ。今の僕らはその枝分かれした〈6歳の純武と舞谷さんがタイムスリップしなかった世界〉のはずなんだよ。その僕らがこの記憶……〈2人がタイムスリップした世界〉の記憶を持てる訳が無いんだ」

 どこか、悩ましそうにしている一の表情を見て純武は確認したくなった。

「一は……嬉しくないのか?」

 純武は嬉しかった。自分達が動いたことで、蓮子が不幸な体質になることや宗一郎や諸崎と松木の死を無かった事に出来たことが。あの蓮子が今も学校に通い、トランペットを吹いていることが。そして、あの歴史の記憶を取り戻したことが。

「いや、嬉しいさ。だけどね、僕が複雑な感情を持っているのは──僕達に都合が良過ぎるということだよ」

 確かにそれは純武も感じたことだった。客観的に記憶を辿ってみると、あのもう1つの祠があったこと、仲間達を危険に巻き込まずにその祠を使わせることが出来る都合の良い第三者、ブラック・ハッカーが近くに居たこと。これらが無ければ、純武達は歴史改変をすることが出来なかっただろう。

「もう1つの祠、ブラック・ハッカーの存在……」

「それだけじゃないよ。僕らの記憶が残った──戻った事……これも加えるべきだ」

 いずれか1つだけが起こったのなら〈幸運な偶然〉だと思えただろう。サイコロを振って6つのそれぞれの目が出る可能性は1/6であるが、例えばサイコロを振る時に、自分が出したい目があったとして、その目が連続で出たら運が良いと思える。たまたま1/36を引けたのだと。しかし、3連続で狙った目が出る確率は1/216だ。しかも、今回の件では1/6の可能性よりももっと低い確率が連続したのだ。天文学的な確率であろう。

「そうか……それも加味するべきか」

「そう。そんな低い確率の偶然起きたと言われるよりも、誰かが僕達の都合の良い方向に導いてると考える方が妥当だよ。君の魔法の言葉の様に」

 先のサイコロで例えるなら、イカサマサイコロ。特定の目が出続けるのであれば、確率よりもイカサマをしている可能性の方が高いはずだと一は言いたいのだ。

「とりあえず、その導かれているといつのは置いておこう。これは考えても分からないだろうし。ところで、君はどの程度VRであることを感じている?」

「何となく……というくらいだ」

 背もたれに掛けた体重を一時的に無くすと、缶コーヒーを純武の座るソファの前に置かれた机に置く。一は自身の考えの詳細を話し始めた。

「〈この世界がVR〉────コンピューターの中の世界だと仮定すると、この一件も説明できなくは無い。いいかい?」

「あぁ」

「前の歴史の舞谷さんは購入したもの以外〈触れられない〉という体質。彼女は〈歩く〉ことも出来るし、自分の部屋まで階段を〈昇る〉ことも出来る。おまけに祠のタイムスリップも〈乗る〉ことで可能になった。これを踏まえると、僕は彼女が〈通常の存在から外れた存在〉になったと思えた」

 口を半開きにさせながら聞いていると、一はもう少し分かりやすく言った方が良いと思った様だった。

「すまない。飛躍した話だったね。例えば僕ら人間、犬や猫、虫、微生物、ウイルス、菌……この世界に生ける全ての存在がプログラムとして生まれた存在だとする。そのプログラムはこのVR世界に合わせて作られる訳だから、当然、木を登ったり、葉っぱを触ったり、大地に立つ、川を泳ぐ、浜辺を走る……様々な自律行動を許可されている。しかし、それぞれのプログラムされた内容に応じて行動が出来る環境が制限される。例えば人間は生身のままでは地球から出ることは出来ないといった具合にね。

「宇宙には酸素が無いし、宇宙ってマイナス何百度だって言うしな」

「そうだ。人間はプログラム的に酸素と外気温によって行動制限されているという訳だ」

「それを酸素ボンベと宇宙服という外部プログラムを使って行動出来るようにする訳か……何となく分かってきたぞ」

「うん。そうすると、全ての生き物には物を使うというプログラムが許されている。蜘蛛は糸を使って巣を張るし、鳥も木の枝を使って巣を作る。人間は特に色々と出来るよね。だけど、舞谷さんは〈触れられない〉という体質になった。これを踏まえると──」

「蓮子ちゃんは……元々のプログラムとは違う……バグみたいなものか?」

 一が指をさして「それだよ!」と興奮気味に言った。

「そう!僕が考えたのもそれなんだ!6歳の舞谷さんと16歳の舞谷さんが出会うという、通常起こり得ない事態が本来プログラムされていた〈舞谷蓮子を形成するプログラム〉の内部情報に損傷あるいはバグを生じさせたんじゃないかと考えたんだ」

「けど、それだと自分で買った物は〈触れられる〉というのはどういう事なんだ?」

 組んだ脚に両肘を当てて純武に顔を近付けると、何度目かの例え話をし始めた。

「例えば、あるオンラインゲームで僕が操作するキャラクターが、世界に1つだけの〈金の剣〉を手に入れたとする。僕の〈金の剣〉を君が操作するキャラクターや他のキャラクターが使えるかい?」

「それは……使えないだろ」

「それは何故だい?」

「何故って……所有者登録……所有権、みたいな?」

「そう。所有権を僕のキャラクターが持っているからだ。チコパフなんかもそうだろ?声紋登録をした彼方さん、聖真と可世木さんしか声を掛けられないのも。話し掛ける権利を持つのはこの3人だけだという訳だ」

 チコパフを例えに出して貰うと分かりやすかった。因みに、記憶を取り戻してまず初めにやったことは、KAIに入り込んだあの男を弾き出す事だった。

「も、もしかして……購入するという手続きを取ることで、プログラムから外れた存在でも所有権を得られる……所有権を得られれば触れて使うことが出来る?」

「恐らくだけど。だから舞谷さんは自分のスマホを操作出来た。元々彼女名義の物だったのであれば所有権を有している以上、プログラムから外れても問題無いんだろう。でも普通にスーパーで買い物をする為には、商品を手に取ってレジに行かなければならない。ネットショッピングなら、スマホ経由で所有権を得られる訳だね」

「そうか……だから全てネットから買い物をしていたのか!」

「これは彼女が知らずして始めたのか、それとも色々模索した結果なのかは聞いてみる必要があるけど……多分後者だろう」

「でも、所有権を得ないと〈触れられない〉けど、道や地面を歩けるのは?土地の所有者とかはあるだろ?家も、あのキャンプ場だって」

「そこは聖真のお手柄なんだよ。阿久里さんが舞谷さんに向けて発砲した時に無効化されたって話で煙幕になってしまったんだけど……〈触れられない〉というのは副産物だったんだよ。やっぱり〈使えない〉というのが正しいと思うんだ。〈使えない〉から〈触れられない〉という感じにね。舞谷さんは〈使う〉という行動だけが出来なくなってしまったんじゃないかな?」

 弾丸は〈使えない〉から〈触れられない〉ということになる。だから弾丸が当たっても、蓮子に触れた途端に下に落ちたということだ。

「ということは……土地を〈使えない〉というのは〈歩けない〉とは違う……!」

「うん。これはもう確かめようが無いけど──恐らく、舞谷さんがテントを買ったとして、それを誰かの名義になっている土地で設営しようとすると、テントを組み立てることが出来なくなるんじゃないかと思う。テントを設営するということは、その土地を〈使う〉ことになるからね」

「まるで言葉遊びみたいだ……でも、もしそうだとすると何処でも歩いたり、昇ったり、乗ったり出来る説明が付く……!」

 この世界がVRだと仮定すると、蓮子というプログラムのバグによって〈所有権を有しなければ物が使えない〉という制限が掛かったという様な説明が出来る。

「そして次、舞谷さんが実験した6人と、僕と諸崎さん、松木さんの位置情報を得た方法」

「方法か……蓮子ちゃんは何となく分かるって言っとったよな?」

「うん。だけど、ここはVR云々は抜きにして、僕は君の考えを聞きたい。もし、君が舞谷さんだったとして、6歳の頃にたった一度だけ会った人物に、自分がおかしくなった事について話を聞きたいと考えた場合、それを可能にする方法は何がある?」

「それは……やっぱり、あのアパートでも言ってたGPSじゃないか?スマホの……」

「うん。だけどね、ハッキングの出来る僕ですら、10年11年前に一度だけ会った人の顔だけでその人物を特定して、そのスマホをハッキングするのは不可能だよ」

「そんな……一でも出来ないなら蓮子ちゃんには絶対に無理だろ?」

「純武、違うんだ。僕が聞きたいのは、どんな前提や方法があれば話を聞くことが出来るのか考えてみてくれということだ。僕は君の“考え病”に期待しているんだ」

 そう言われ、純武は大きく深呼吸をする。以前、井上に言われて記憶を客観視して有益な情報を引き出したように。

(どんな前提条件があれば、6歳の時に一度だけ、しかも短時間しか会っていない人間の顔を忘れずに覚えていられる?単純に考えれば写真やけど……そんな物無かった。だとすると瞬間記憶?いや、蓮子ちゃんにそんなものは無いはずや。──そうや、聞いたことがある。人間の脳には産まれてから今までの記憶が実は記録されていると。ただ、その中から必要な記憶を取り出すことが出来ないだけやと。──よし。まずそうやと仮定しよう。その後は……そうだな……井上さんが言っていた個人情報データベースが使えるか。顔を覚えていたとして、似顔絵をリアルにアウトプット出来れば、そこから個人を特定できる!そうすればスマホの電話番号まで辿り着けて、後はハッキングでGPS情報を取得できるかもしれない!)

「よし──かなり無理くりやけど……昔の記憶が眠っているとしてどうにかそれを呼び起こす、似顔絵を作成する、警察や行政にハッキングして個人情報データベースでその顔を照会する、そこからスマホの番号を特定する、スマホをハッキングしてGPS情報を取得する。こんな感じが限界かな……」

 脳をフル稼働で働かせたことにより、純武は無性に甘い物が食べたくなってきた。

「流石だね。僕もその方法しか無いと思う。何せ情報が会った人数と顔と性別だけだからね。そうなったら顔から調べる方法一択だ。顔から調べるにはマイナンバーカードの情報、個人情報データベースからハッキングするしかない。まぁ、どちらにしても前提として顔を完璧に覚えておかないと似顔絵は描けないけどね」

 一は意地悪そうな笑みを浮かべると、純武の目を覗き込んできた。

「ところで、君は……なぜ位置情報を調べる必要があったんだい?」

「え?」

「僕は『話を聞きたいと考えた場合』と言ったんだ。事実、舞谷さんも『聞きたかっただけ』だと言っていたと馬斗矢から聞いた。でも、純武の言った方法なら名前や住所、電話番号が分かるはずだよね?電話で聞けば良いとは思わないかい?住所だって分かれば高校生にとっては離れた場所なのは分かるんだから、普通は電話を選択するとは思わないかい?」

「いやいや、それは一が位置情報を得た方法って言ったからだぞ?」

「確かにそうだ。だけど、『話を聞きたい』というお題なら普通は電話だろ?舞谷さんがわざわざ会いに行く理由は?」

 もう意地悪な笑いをしていない。いつもの涼しげな笑みも無い。それが意味するのは、その質問の答えが重いからだということが分かる。

「────殺す為、か?」

「うん。そうだと思う。しかし、それは逆に言えば仕組まれた事だ。なぜなら、舞谷さんは電話番号は知らないんだから。位置情報だけを知っていた。これが重要なポイントなんだ」

「つまり……蓮子ちゃんはVRの中の何らかのプログラムから、9人の位置情報を送信されていたってことか……!会いに行くように仕向けて……殺させる為に──」

「恐らく、システム側のセキュリティプログラムが重大な問題が起きたとして、9人の存在を消去しようとした。だが、病死や事故死などで人の死を引き起こすことはシステム的に出来ないんじゃないかな?だから、舞谷さんを利用することで9人を抹殺しようとした。彼女は位置情報を得られたのはこういう風にも考えられる」

 この世界のセキュリティプログラムが本来起こり得ない情報を保有する9人を削除する為に、蓮子の特性を利用した。だから、蓮子は位置情報を得ることが出来たのかもしれないということだ。

「次は脳が熱傷するという急死について考えみよう」

「VRの世界でってことだな?」

「うん。僕は、阿久里さんが言ってた仮説がかなり近いと思う」

「なら……タイムスタンプとかログとかか?」

 タイムスタンプやログというのは、プログラムが操作された時間や、どう操作されたのかという経過を情報として残す為のものだ。純武はそれを引き合いに出して考えた。

「6歳の蓮子ちゃんを見た場合、9人のプログラム内には6歳の蓮子ちゃんを見たというタイムスタンプとログが残る。でも9人のタイムスタンプは10年後11年後の時間軸で記録される訳だろ?それなのに、そのタイムスタンプから1年も経たない内に同一人物が16、17歳になっている情報が入る。それがプログラムに誤作動を起こさせる。それで視神経と頭頂葉に該当する箇所が破損……熱傷する」

「タイムスタンプを合わせる為にプログラム内で膨大な処理が生じた──という感じなのかな。脳の熱傷ってコンピューターで言うところの熱暴走にも似ているよね。そのまま熱暴走によって熱傷という情報がこの僕らの世界の死因として表出されたのかもしれない。ただ、君は6歳の舞谷さんを知っていたはずだ。当然、舞谷さん自身もだ。その君達は16歳と17歳の舞谷さんに会っているね?何故、6歳の君と舞谷さんは急死しなかったと思う?」

「それは……一が言ってただろ?急死するのは現代の人間だけだって」

「僕はそう考えた。だけど、何故だと思う?」

 あの時、一は唐突に過去の人間は死なないという持論を展開した。つまり、あの時からVR世界の可能性を考えていた事になる。何故、一はその考えを持てたのかと純武は疑問に思った。

(そうだな…………例えばバージョンとかか?VR世界がコンピューター世界の中であるなら、当然バージョンアップが繰り返されているはずや。10年前11年前のプログラムと現代のプログラムとではバージョンが違う……アプリとかでもあるよな?SNSとかでも、アップデートをしていない古いバージョンのままやとメッセージを受信出来なかったりする事がある……VRの世界も時間経過によってバージョンが更新されているなら……俺と蓮子ちゃんには将来のバージョンのプログラム情報が入らんかった……?)

「……バージョンか?」

「バージョンか……いいね。バージョンが古いと最新のバージョンのプログラム情報を処理することが出来なかったりする。逆に、新しいバージョンのプログラムは古いバージョンのプログラムを同期出来たりする。勿論、全く互換性の無い場合もあるけど、可能性はあるよね。ついでに言えば、16歳の舞谷さんだけがおかしくなった説明も成り立つ。6歳の舞谷さんには16歳の自分の情報が入力されなかったんだから。因みに僕が考えていたのは、情報の方向性だ。そのプログラムが記録しているタイムスタンプは、現在からそれ以前のものしか記録出来ないんじゃないかというものだ。つまり今日のプログラムに明日のタイムスタンプ情報が入ってきたとしても、今日のプログラムには反映されなくて、明日になった時にタイムスタンプが記録される、とかね」

「タイムスタンプを予約しておく、みたいなものか……」

「上手いこと言うね。その通りだよ」

 急死の仕組みもバージョンやタイムスタンプやログなどのコンピューター内での話で説明することが出来なくはない。

「なら、あの祠も……」

「何らかのバグかも知れないね。あの石の祠がいつ、誰が、何のために作ったのかは分からないけど……VRの世界だとしたら、バグだったと考えた方がいいかもしれないね」

 ここがVR世界──コンピューターの中であるとすると、蓮子の異変やタイムスリップは〈バグ〉、蓮子の位置情報を知れた理由は〈セキュリティプログラムの干渉〉、急死は〈バージョン〉や〈タイムスタンプの記録方法〉による影響と一応の説明が出来る。

「でもこれは全部仮定の上の仮定だよ。この世界がVRだとしたら、というね」

「こじつけだけど説明は出来る──か」

 ただ、現実的に考えると説明が付かないことが多い。そういった意味で、こじつけでも話が通る方に自然と純武の考えも傾く。

 純武は思った。人間がプログラムであるとすると、世の中で起こる常人では理解出来ないような事件を引き起こす犯罪者やテロリスト等は、プログラム内にバグが生じたことで、倫理や道徳というものが機能しなかったのかもしれないと。それと、このご時世ではデリケートで口にし辛いが、同性愛やバイセクシュアルといったもの、天才やサイコパス、特別な身体能力、空間把握能力や瞬間記憶能力等といったものもプログラムのバグなのかもと。

「でも確定的では無いよな……」

「まぁ、殆ど僕らの妄想だからね。ただ、少し引っ掛かることもまだあるんだ」

「何や?」

「僕はね、前の歴史で────今の舞谷さんを〈見て〉しまった気がするんだ」

 純武は驚き、両手で持つ缶コーヒーをソファの上に落としてしまった。だが、垂直に底から落ちたのでソファの上に乗る形となった。6歳の時のあの祠で石を置いた時の記憶が思い起こされた。

「い、いつだ?!」

「聖真が逃げろと言って君が気を失った時さ。あの時50mくらいは離れていたけど、白いシルエットを〈見た〉気がするんだ。でも諸崎さんと松木さんが急死したと知らされた時、だったら僕の気のせいかと思ったんだ……」

「じゃあ、もしそうなら……さっきの急死の仮説は成り立たないじゃないかッ?」

「うん。だから、気のせいかもしれない。別に自分でも生に執着があると思っていないけど、自分が急死するかもしれないと分かったら恐怖心が生まれて〈見てしまった〉と錯覚しただけかもしれない。実際、2033年だけでなく、あの日も舞谷さんは白いワンピースだったんだろ?」

「そう……だけど……」

 純武は、急死が起こる条件についてはある程度、自分の考えに自信を持っていた。一が死ななかったのは嬉しいが、それではその考えが破綻してしまう。一がそんな感情を見透かした様に笑う。

「いや、君の考えには僕も同意だよ。僕が──それこそ舞谷さんと同じ様にイレギュラーなのかもしれない」

「一が……イレギュラー?」

「…………僕が、逢沢さんに家庭の事情で揉めた事があるっていうのは、大介と馬斗矢から聞いてるだろう?」

 宗一郎が急死したことを知ったあの日、馬斗矢から聞いたことだった。「何で取らないんだっ!」という言葉を一に対して言った言葉だということは、前の歴史で馬斗矢と足立が一に最初に話を聞いた時に聞いていた。

「知ってるよ。『何で取らないんだ』ってやつだろ?」

「もう僕と君達との仲だから言うよ。僕には〈戸籍〉が無いんだ」

「何だって?〈戸籍〉が無いって……どうして?」

 一は組んでいた脚を解き、前傾姿勢になっていた身体を再び背もたれに預ける。

「僕はね……孤児なんだ。僕が2歳の頃──と言っても僕は覚えてないんだけど、両親と一緒にある観光船に乗っていたらしいんだ。君も最近聞いたばかりだろう?伊勢湾観光船沈没事故、いや、殺人事件だよ」

 純武は驚愕の色を隠しきれなかった。それは、一度警察が事故と発表し後に阿久里さんが解決した殺人事件だった。純武はあの時、一が驚いた顔をしていた本当の理由が今、分かった。それはそうだろう。自分の両親を亡くした事件なのだから。

「それが結局は殺人事件だったということは後に知った。阿久里さんが殺人犯を暴いたというのは知らなかったから、あの時は本当に驚いたよ」

 あの事件は船員2人、乗客20人が全員死亡するという世間を騒がせた大惨事だった。しかし、後に1組の老夫婦の息子が、両親の死亡保険金目当てで他の船員・乗客諸共殺害を企てたことが判明した。詳細は分からないが、その息子は2人の船員に睡眠薬を飲ませて、観光船を航行不能にして沈没させることが目的だったらしい。一の両親はその事故で亡くなったということか。

「でも、あの事件は乗客が全員死亡って……」

「遺体が見つかったのは6人だけ。僕の両親も見つかっていない。そして僕も。だから死亡扱いになったんだろう」

「あの……染谷さんは?」

「……染谷夫妻には、子供が出来なかったらしくてね。たまたま、観光で三重の海岸を歩いていた時に、浜辺に打ち上げられていた僕を見つけたんだそうだ。────ここからは大体分かるだろ?」

「黙って引き取って育てたのか……?じゃあ一は学校には行ってないのか?今も?」

 寂しそうとも悲しそうとも言えない表情で一は頷いた。染谷夫妻と言っていたが、この家に奥さんが居る気配は無い。亡くなられたということだろう。

「でも、勘違いしないでくれ。染谷さん達には感謝をしてるんだ。僕は何不自由無く暮らしているんだから。僕が物心付いた時に、2人は僕と自分達が血の繋がりの無い人間だと告白していた。子供だったけど、僕は嫌じゃなかった。夫妻は2人共教師だったから、教育はしっかりしてくれたし。パソコンの機器も色々用意してくれたおかげで、独学だけどハッキングスキルも身に付いたしね。これは逢沢さんにも染谷さんにも話していないけど」

 一の境遇を知って、宗一郎が〈戸籍〉を取った方が良いと言ったということが分かった。〈戸籍〉が無ければ高校や大学には行けないだろう。純武にも宗一郎の気持ちが分かった。こんな天才であれば、高校や大学に行ってもっと能力を高めるべきだ。しかし、一には染谷夫妻に恩義を感じているからか、〈戸籍〉を取ることに否定的なのだろう。もしかすると、誘拐罪等の罪を染谷さんが負うかもしれないからか。

「どうしても……〈戸籍〉は取りたくないのか?」

 結局、純武も宗一郎と同じ事を聞くこととなった。しかし、強制したい訳では無い。一の本心を知りたいのだ。

「どうだろう……宗一郎さんは感情的に言ってきたからね。僕もつい拒絶を含んだ物言いになってしまったけど、実際はどちらでもいいんだ。多分、〈戸籍〉を取りたいと言っても染谷さんは嫌な顔はしないと思う」

「そうか……ありがとう。話してくれて。でも、それがイレギュラーだってことか?」

「……そうだよ。これもVRだったらという仮説になるけど、いいかな?もしも、〈戸籍〉というのがプログラムの構造上かなり重要な情報だったと仮定する。例えば……サーバーと接続出来る条件が戸籍があることだったりとか。舞谷さんが僕の位置情報を得ていたことから、サーバーに僕の情報があるんだろうけど……それは2歳で死亡したことになっている僕の情報のまま位置情報だけ送信されていただけ。〈戸籍〉を無くしてからの僕は、VR世界のサーバーとは接続されない、独立したプログラムになっていた。さらにプログラムに使われる言語や構造も独自のものになっていた。6歳の舞谷さんに会ったタイムスタンプやログ情報があって、17歳の彼女を〈見た〉としても通常のプログラムと同じ急死を引き起こさなかった……なんてね」

「ちょ………………何だかよく分からなかったけど、要……はパソコンはパソコンでも異なるOSがあるよな?俺と一は同じ人間だけど違うOS……みたいな感じなのか?」

「そうそう。そんな感じかもしれないね。ま、本当にあの時に舞谷さんを見たかどうかは分からないんだけどね」

 一は「ハハッ」と笑いながら缶コーヒーをグイッと一気に飲み干した。

 純武はその時だろうと思った。一は諸崎さんと松木さんが急死をしたと聞いた時に、自分の〈戸籍〉が無いことが要因で蓮子を〈見て〉も急死をしなかったと仮説を立て、そこでVRの可能性を考えたのだろうと思った。

「どちらにしても今の状況は僕らにとっては都合が良い。それで良しとしないとね」

「……なぁ、一。今までの仮定の話をしてて思ったんやけど……もしこの世界がVRだとして、何か問題が有るんかな?」

「君は本当に……本当に気が合うね。何の問題も無いと思うよ。きっとこの世界がVRだということが事実だったとして、それで僕らの何が変わる?その事実を知っててんやわんやする人間は浅はかとしか言えないね。大介なんかはそうかもしれないけど。でも少し違うね。大介の場合はピュア過ぎるからか」

 その答えに純武は声を出して笑う。確かに足立なら血相を変えて焦っているに違いない。

 この世界がVRで無かったとして、人間はこの地球から離れることの出来ない言わば〈檻の中〉の存在だ。近年では宇宙ステーションや月等、宇宙に人間が行けるようにはなったがそれだけだ。ずっと地球の外で生活することは出来ない。その宇宙も広大過ぎて未だに観測をするのがやっとだ。仮に火星に人が住めるようになったとしても、まだ宇宙全体で考えたら限りなく狭い生活範囲だ。地球と火星という2つの檻の中ということになるだけ。自分のしたい仕事が決まったとしても、その職場が1つの場所にしか無いというのもそうだ。そのしたい仕事をする限り、その周りの土地から生活圏を移動することは出来ない。地球を股にかけた仕事があったとしてもそうだ。広い宇宙の中の1つの星でしかない地球でしか仕事が出来ないとも言える。リモートワークでも同じだ。パソコンというツールが無ければ仕事が出来ないという不自由を負うことになる。

 仮にこの世界がVRという檻の中だったとして、この外に本当の現実があったとして、そこに行くことはきっと叶わないだろう。ならば、自分の生が本当の生き物としての生であろうが、コンピューターの中の無数にあるプログラムの1つであろうが、自分の生活圏内で人生を全うするだけだ。

 蟻にスポーツもオンラインゲームも出来ない。それを不自由と言うのか?いや、言えないだろう。彼等はスポーツもオンラインゲームも理解することの出来ない存在なのだから。ならば、適当な場所に巣を作り、子孫を残し、種の歴史を存続させることに一生懸命に生きるべきだ。

「だな。俺が……俺らがすることは変わらない。ただ、自分らしく生きるだけだ」

 一と同じ様に缶コーヒーを飲み干す。とりあえず、一に聞いて知りたかったことは全て聞き終えた。

 自分が引っ掛かっていた連続した幸運な偶然もVRの世界の中で操作されたものかもしれないが、考えても仕方がない事だ。有り難くその恩恵を受け取ろうと思う。ひょっとすると本当に宝くじで1等を当てるくらいの幸運だったのかもしれない。「ぷぁー」と井上の煙草の煙を吐く時の様な声を出した。すると、一も気分的にリラックスしたのか普段より高い声色で聞いてきた。

「そういえば、純武は可世木さんと舞谷さんのどっちと恋愛をするつもりなんだい?」

「はぁ~ッ!?な、な、何を急に……」

 純武はバタバタと手足をバタつかせながら咳き込んだ。

「いや、どう見ても可世木さんは君のことが好きみたいだし。君が意識を失った時、可世木さんは阿久里さんの銃で純武の仇討ちをするつもりだったんだよ。聞いてない?」

「何ィ?!」

 バイオレンスな内容に度肝を抜かれて狼狽する純武を余所に、一が話し続ける。

「舞谷さんとの再開もある意味ロマンチックだよね」

「い、いや、蓮子ちゃんは6歳の時に仲良かっただけやし、11年も話もしてなかったんやからそれは無いやろッ」

「そうかな?僕は舞谷さんは君に気があると思ったけど。だから純武はどっちと恋仲になるのかなーと興味が湧いてね」

「は、一、そんなことに“好奇心”を湧かせるな。頼むから!」

 純武は右手の手の平を広げて、一の眼前に突き付ける。その腕の動きで、手首にぶら下がる赤いミサンガがゆらゆらと揺れていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る