第47話 2023年7月25日火曜日

2023年7月25日火曜日

「〈マムシちゅうい〉ってかいてあるぞ」

「げ!やばいじゃん!にげ──」

「うおぉぉぉぉぉぉ──────ッ!!」

「ひぇあ────ッ!!」

「うわぁ─────ッ!!」

〈ドタドタドタドタッ〉と走り去る小さな足音が聞こえた。男は直ぐには目を開けず、足音が消えるまでは様子を気配で伺った。

「行きました?」

「はぁ、はぁ、はぁ……ああ。逃げてったぜ」

「顔は見てないですよね?」

「ああ。まだ目を閉じてるからな」

 純武は立ち上がると、男の背中から顔を出したい衝動に駆られた。6歳の自分を見てみたいと思ったのだ。しかし、見てしまえば蓮子の二の舞いになりかねないので、何とか自重をした。

「本当に11年前なのか……信じられねぇ……確かに少し涼しいな。で、この後はどうするんだ?」

「向こうの祠まで移動します。道は覚えていますか?」

「あぁ。俺の背中でも見つめてな」

 男の台詞から、やはり今までの話を聞いていて状況をしっかり把握しているなと感じた。走る男の背中を凝視することに努めて後に続く。背中越しに辺りの日差しが強くなったことが分かった。森の出口が近いのだろう。

「森を出たらそのまま一直線で反対の森に行くのか?」

「いえ、園児が集まっていると思います。ひょっとしたら今ので驚いて、皆と合流しているかもしれません。迂回して行っても6歳児よりは早く祠に着けるはずです」



 男は避雷針の付いた白い建物を目指して走る。その裏から祠のある森に入った。男の背中を見ているだけでも、祠に向かう方向が合っていることが分かった。

「もうすぐのはずです!」

「分かってる!」

 男が足を止めた。背中から顔を出して祠を確認した。

「よっ、良かった……」

息を切らしながら祠を見ると、まだ壊れている形跡は無い。

「お、おい……い、一応触って確認した方が良いんじゃねぇか?」

 男の提案はもっともだった。可能性は低いが、すでに純武と蓮子が2033年に行って帰ってきた後という可能性もある。

「じ、じゃあ……お願い出来ますか?」

「お、俺がやんのか?ま、まぁ……1回も2回も変わらんか……」

 男が肩を上下させながら祠に触れた。しかし、何も起きなかった。

「よし……」

 それを確認して純武は軽くガッツポーズをした。その時、草木の擦れる〈カサカサカサ〉という音が聞こえてきた。

「だいじょーぶかー?」

「へーきー!」

 その声は純武の鮮明な記憶通りだった。

「クソ!ビビって皆と合流しとけよ!」

 男が純武に向けてダメ出しをしてきた。そんなことを今の自分に言われてもどうしようもない。

「追い払うしかありません」

「どうやって追い払う?また叫ぶか?」

 それは急に閃いたことだった。瑠璃の言葉が脳裏に響く。瑠璃や一と出逢う〈キッカケ〉となった出来事。それは宗一郎の死だった。だが、本当にそんな不幸が起きなければいけなかったのだろうか?人の死が無ければ出逢わなかったのだろうか?純武は、その閃きに賭けた。先程、瑠璃が賭けたのと同じく。

「お願いがあります!こう叫んで貰えませんか?」

「こうって……どう、だ?」

 純武が叫ぶ内容を手早く要望する。それを聞いた男が露骨に嫌そうな声をさせた。顔を見ればもっと嫌そうにしているに違いない。

「はぁ?長ぇな……。大体どういう意味だよ……まぁ、分かったよ。んじゃ、いくぞ」

 男が雄叫びを上げながら言の葉を飛ばす。草木の向こう側から男の子と女の子の悲鳴が聞こえた。走り出した小さい足音が遠ざかっていくのが分かった。



 暫くその祠の横で耳を澄ませていた。園児達が帰り出したのが分かると、男が周囲を確認した。園児を乗せたバスがキャンプ場を出て行ったのを見届けると、純武は安堵の息をついた。

「これで……歴史は変わったのか?」

「分かりません……少なくとも僕は急死事件を覚えています。もしかすると、元の時代に戻った瞬間に色々変わるのか……もう変わっているのかもしれません」

 男は「そうか。ま、俺も覚えてるしな」と言いながら、もう1つの祠に向かって歩き始めた。



 暗い森の中に入り、天井の石がずり落ちた祠の前に着くと、男がその石を持ち上げた。

「待って下さい」

「なんだよ?」

 不思議そうにする男の顔は見えない。今も彼の背中に隠れているからだ。

「何で祠が壊れているんですか?」

 2034年の祠を壊したのに過去の2023年の祠も壊れているのはおかしい。純武は嫌な予感を感じた。

「あー、違う違う。こっちに移動する直前に石をズラしただろ?その余力が抜けなくてこっちに来た時にもずらしちまったんだ。タイムスリップ直後に力を抜くなんて出来ねぇよ。ややこしくさせて悪いけど」

 純武は心底ホッとした。ここで計画が頓挫してしまっては心が持たない。

「そうですか……良かった。すみません、それを戻すのは……僕にやらせてもらえませんか?」

 そう言うと男は石の天井を地面に置いて、純武に背を向けたまま一歩距離を取った。

「ほらよ。チャッチャとやってくれ」

 この石を置いた瞬間、元の時代に戻る。自分達の「虹」はどうなるだろうか。瑠璃が危惧したように、出逢わない歴史に変わるのだろうか。

「────運命、か……」

 石を持ち上げる。子供の頃に感じた重さは無い。念じても意味は無いかもしれない。それでも、純武は念を込めた。

(もし歴史が変わったとしても────)

 純武は、石を持ち上げる右手の手首で揺れる赤いミサンガに目を落とした。そして、その石をゆっくりと下ろした────。

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