第五章 虹の行方

第48話 2034年7月23日日曜日Ⅰ

2034年7月23日日曜日

「なるほど……面白い話だね」

 アイスコーヒーの氷をストローで触りながら感想を述べる。見た感じ、まだコーヒーは半分以上あった。自分の注文したアイスコーヒーも、まだ半分位残っている。喉が渇いているので一気に飲み干したいと思うが我慢だ。目上の人間よりも先に飲み干す訳にはいかない。

「それを思い出したのは正確にはいつ頃なんだい?」

「一昨日の7月21日です。終業式の後のホームルームが終わって、ちょっとしてから急に思い出したんです」

 動かしていたストローを咥えると、何回か喉を鳴らす。それを見て自分も水分を食道に送り込む。

「馬斗矢とは1学期から交友は会ったんだよね?それでも急に思い出したのが一昨日……。何かから連想したとか?」

 馬斗矢の兄、逢沢宗一郎が不可解だという言い方をする。

「いえ……本当に急に……しかも、結構僕の中では怖い記憶だったので……その場にいた馬斗矢も気にしてくれたんです。それで、お兄さんに話を聞かせて貰おうと……」

 純武が幼稚園の頃、岐阜県の郡上市にあるキャンプ場で体験した記憶。一昨日まで忘れていた記憶が、いきなり頭の中に表出した。森の中に入った途端に、恐ろしい叫び声と共に聞こえたその言葉を。

「『アイザワソウイチロウを調べろ。虹はそこにある』……か。ごめんね。やっぱり全然分からないな。11年前だったよね?僕はまだ中学生だし、誰かに調べられるような身分でも無いと思うんだけど……」

 それには純武も同感だった。あの森の中で聞いた男の叫び声と、この宗一郎との関連は無いであろうというのが自然な結論だ。

「やっぱり……偶然、自分の友達のお兄さんが同姓同名だった……それだけなんでしょうね……」

 テーブルに出来たアイスコーヒーのコップ底状になった水滴の輪を見つめる。宗一郎は「それに──」と腕を組んで天井を仰いだ。

「──それに〈虹〉っていうのも心当たりが無い。〈虹〉ってあの虹だろう?ちょっと見当が付かないよ」

「ですよね……」

 項垂うなだれるように頭を下げた純武は、弱々しい笑いを作りながらお礼を言った。

「すみませんでした。こんな訳の分からない話を聞いて頂いて」

「いや、いいんだよ。僕も不思議な話を聞けて面白かったから。それに、まだ分からないよ?馬斗矢以外にも君の友人が話を聞きに行ってるんだろ?あの2人に。もしかしたら、その記憶の名前が本当に僕だったとして……僕自身に心当たりが無くても、僕と関わりを持った人間が何か知ってるという可能性も捨てきれない。……どっちにしても不思議な話だけどね」

 笑いながら純武を励ましてくれる。確かに「アイザワソウイチロウを調べろ。虹はそこにある」という言葉は〈アイザワソウイチロウに聞け〉ではなく〈調べろ〉となっていた。“調べる”という動詞が使われているのだ。それを踏まえると、宗一郎が言う様に彼の周辺の人物を調べろ、という意味にも捉えられる。

「そう……ですね。皆の報告に期待します」

 宗一郎は机の上に置かれた伝票を素早く手中に収めて立ち上がった。純武は慌てて財布を取り出して、その中に人差し指と親指を突っ込んだ。

「いいんだよ、雅巳君。僕は社会人なんだ。学生の君に割り勘をさせるなんて格好は出来ないよ」

「い、いえ!」

 食い下がろうとしたが自分の財布の中に目を向けた隙に、宗一郎はすでにレジの店員に千円札2枚を渡していた。

「悪いですよ!僕の話を聞きに来てもらったのにお金まで──」

 口元に人差し指を立て「シッ」と言った。声を大きくし過ぎてしまった。

「大人が学生に奢るのは当然だよ。申し訳無いと思うのなら、君が大人になった時──今度は君が後輩なり学生を奢ってあげてくれ」

 そう言われてしまうと、もう何も言えなかった。純武は釣り銭を受け取る宗一郎を見ながら、この人を兄に持つ馬斗矢を羨ましく思った。

「──ありがとうございます。ご馳走様でした」

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