第21話 2034年7月24日月曜日①

2034年7月24日月曜日

「でも井上さん。ここにそんな大勢の人間を集めて大丈夫なんですか?」

 フローリングの床に座り、右手にたまごドック、左手に缶コーヒーを持った大里が言い、小さな口で朝食のたまごドックを噛じっている周防を見る。

「俺は大丈夫だと思うぞ」

 口の中の咀嚼物をコーヒーで流し込んでから言う。

 ここは空き部屋なので家具は1つもない。よって、食事をする時だけでなくそれ以外の時間もほぼ床に直に座っている。

「彼らは7人でここに来る。俺とお前で9人。人間が犯人の場合はそんな大所帯の中に突入してくるなんてまずありえない。それに万が一にも彼方瑠璃か一・ウェイクフィールドが犯人なら俺が“におい”で気付く。もし──幽霊が犯人だとしても……」

 そこで井上は口をつぐむ。井上は幽霊だとしても大人数の前には出来ないのではないかと言いたかったが、それは専門外過ぎて予想がつかない。ホラー映画では大抵グループで行動している時は安全で、グループの中の馬鹿が単独で行動すると殺される。井上にはこれくらいしか思い付かなかったのだ。

 大里も井上の言おうとしたことを皆まで聞かなくとも察していた。

「……それでも子供です。何かあったらマズいですよ……」

「分かってる。たが、彼らもそれなりの覚悟はあるんだ。特に弟の馬斗矢君と──雅巳君には」

 井上が腕時計で時間を確認する。針は8時36分を示していた。

 昨晩、井上は純武からの連絡で今日9時頃にこのアパートに来ると聞いている。純武が前回の資料を彼方瑠璃と一・ウェイクフィールドにも読ませたいと聞いていたので、今のうちにファイルを用意しておこうと床から立ち上がった。ファイルを取ると、ついでに煙草を吸うか、とあの日のようにファイルを脇に挟み別の部屋の窓からベランダへ出た。

「ふぅ────」

 井上は自分の精神状態が普通では無いことを自覚していた。よりによって犯人が人間でなく幽霊である可能性が出てきたのだ。幽霊相手に自分の“におい”の能力が役に立つのかと井上は不安を感じていた。犯人の幽霊を突き止めたとして法で裁くことなど出来よう筈が無い。除霊でもするか、と幽霊に対しての思案を巡らせていると勝手に笑いが吹き出る。

「はっ!……馬鹿馬鹿しい……」

 携帯灰皿に灰を落とす。笑ったものの心の動揺は収まらない。井上は今まで事件を追い、捕まえてきた犯人達の顔を思い出す。全員、人間の顔をしていた。



 グループ通話では最寄りの駅で集まってからアパートに向かおうと決まった。井上の借りたアパートは一宮市内ではあるものの、稲沢市との境目にある。付け加えると、この稲沢市を通過すると純武が通う高校のある津島市だ。そういう位置にあるためアパートに対して一宮市の駅と稲沢市の駅2つのの最寄り駅が存在した。そこで、それぞれが違う駅に集合するよりもどちらか1つの駅に集まって一緒にアパートへ向かおうということになった。

 「もうあっちは駅にい着いとるって」

 菜々子がスマホのメッセージを見て言う。乗る電車は違うが、登校する時と同じ面子で純武は目的地へ向かっていた。

「電車のダイヤ的に向こうが先に着くよね〜」

 待ち合わせた時間だと、津島方面から来る電車の方が数分前に着く。少しの時間ではあるが、暑い中待たせていることが気に掛かる。

「アパートに向かう前にコンビニ寄るべきかもな」

「そうやん!アパートには最低限の物しか無いんでしょ?」

「そか〜、飲み物とか色々買っておかないとね〜」

 それもあるが、純武には4人を涼ませてあげたいという思いで言ったつもりだった。



 駅に着くと4人がベンチに腰を掛けて待っていた。見慣れた2人とは違い、1人の女子と1人の金髪のハーフには純武は初めて会う。聖真と菜々子が昨日会った瑠璃はこちらに向かい礼儀正しくお辞儀をした。一は微笑みながらこちらを眺めている。

「改めて、初めまして。雅巳純武です」

「こちらこそ初めまして。彼方瑠璃です」

「一・ウェイクフィールド。宜しく頼むよ」

 純武は2人を見る。高貴で清楚な雰囲気の女子と涼感漂わせるイケメンハーフ。どちらも純武が人生で初めて出会う種類の人物だ。

「私は可世木菜々子!一君、宜しくね!」

「俺は平岩聖真〜。宜しく、一っち〜」

「宜しく。可世木さん、聖真」

 名前で呼ばれた聖真が「お〜」と笑みを浮かべる。純武は(こいつ、もう行くつもりか?)と聖真のねらいを見抜く。

「ねぇ、一っち〜。会ったばっかで早々だけど……一っちの家族や周りの人も金髪ハーフなの〜?名前で呼び合う関係なんやし教えてー!」

 合掌し頭を下げて、上目遣いに一を見るが、こんな姿の聖真を純武は見たことが無い。勿論、菜々子もだろう。しかし、菜々子は苦笑いを浮かべているだけだ。純武は、菜々子も聖真の偏った趣味嗜好を知っているのかと驚いた。

「いや、普通の日本人の爺さんしかいねーぞ。あっ」

 足立がそう言ってから手で口を押さえる。一を横目で見て〈やらかした顔〉をしている。それに気付いた一は気にする素振りもなく頭を振る。

「それくらいは構わないよ大介。大介の言った通りだ。僕の周りに居るのはその人だけだよ」

 足立の後ろに立つ馬斗矢が顔で「ごめん」と言っている。皆にその事を伝え忘れていたということが分かる。

(一の周りに日本人のお爺さんだけ?普通に考えれば両親どちらかの祖父に当たるんじゃないか?でも……よく分からんけど……複雑な家庭状況もあるやろう。ここは追求せず自然に接しよう)

「だってよ!聖真、諦めろ」

 肩を叩いてそう言うと、聖真が泣きそうな顔を純武に向ける。瑠璃はその様子を見て何が起きているのか理解できないといった様子だ。

「暑い中こんな所に居ちゃ身体が保たないよー!とりあえずコンビニ行こ!」

 菜々子はそう言うと「行こっ、瑠璃ちゃん」と瑠璃の手を引いて駅の出口へ向かう。それに5人の男子も続いた。聖真だけは何時ぞやの馬斗矢の様に背を丸めていたが。



「10分くらい早く着きそうやな」

 純武は地図アプリの到着予測時間を見ながら後ろを歩く面々を軽く振り返る。皆暑そうにしているが、一だけはどこか涼しげだった。

(あいつの周りだけ適温にでもなっとるんか?馬斗矢の兄ちゃんの実験みたいに気温が下がっとるとか。あ、でもあれは重力にも変化があったらしいから、そうすると一の周りの物が地面から浮いたりへばり付いたり振動したりすることになるか)

 くだらない事を考えてしまったな、と純武が思っていると、目的のアパートが見えてきた。周りにも同じ様な建物が集まっている。ちょっとした団地といった感じだ。

「これ、どこの部屋か分かり難いね」

「うん。井上さんに電話して出てきてもらおうか」

 菜々子に言われ純武は井上に電話を掛ける。ドアの開く音が聞こえると、中から出てきた人影がこちらに向かって手を挙げた。そこは1階の部屋だった。

 「あじー……中にエアコン無いなんでごどないよだー?」

 足立が恐ろしいことを言うが、そうだったらどうしようと一以外の人間がゾッとしている。

「すみません、少し早く着いてしまって」

「いや、構わない。それより早く入りなさい。熱中症になったらいけない」

 井上よその言葉で中は涼しいぞという意味だと分かり、一を除く全員が雪崩込むように室内へ入る。

 「良かったー!涼しい!」

 「生き返りますね」

 2人の女子が笑い合って言う。足立は部屋に入るやいなや、エアコンの設置場所を探してその直下でパタパタとTシャツの中に冷気を含ませる。

「うはー!最高!──て、あ……初めまして……」

 足立が中に居た大里と周防の存在に遅れて気付き挨拶をする。

「じゃあ、まず自己紹介をしよう。その後、情報を全員で共有しようじゃないか」

 そう言った井上が瑠璃と一を凝視した。2人はその視線に気付いて暫く立ち尽くす。

 緊張した空気が流れたが、井上が純武に向かってOKサインを出すと一気に場が弛緩した。この2人からは“におい”を感じないという良い知らせだった。

「さっ、まず適当に座ってくれ」

 各々が適当な場所に腰を下ろそうとするが、井上が「2人はこっちへ来てくれ」と瑠璃と一を近くに座らせた。そして、お互いの自己紹介と今までの経緯や収穫した情報を全員で共有していった。

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