第29話 2034年7月25日火曜日④
舞谷家の場所は、奇しくも純武達が向かったキャンプ場の最寄り駅から歩いてすぐの場所であった。
足立は大場から住所を聞いた時に聖真の勘が当たっているのではと思い、自分が舞谷について調べる意味がないと豪語していたことを恥じていた。
祠に向かった4人はすでにホーム近くには見当たらなかったが当然だ。聖真達3人は彼らよりもかなり遅れてこの駅にやってきたのだ。
「地図だとキャンプ場とは反対側だね」
馬斗矢が指を差す。
この辺りはついさっきいた場所で聞こえた川の音よりも、かなり小さい音しか聞こえない。通りから川までの距離が空いているせいかもしれないと聖真は思う。
「おー、気球みたいなのが浮かんでんなー!」
足立が振り向くと自分達が向かう方とは逆の方に大きな気球が膨らんでいるのが見えたので言った。
「俺らも乗ってみたいね〜」
言い方から「そんなことを気にしている時間は無い」と暗に言っているのが足立には分かる。足立は後ろを向くのを止め、先頭の馬斗矢に付いて行くことに集中した。
舞谷の家は駅から10分も掛からない場所だった。表札に〈舞谷〉と文字があるのを確認する。家はやや古さを感じさせるが、一が住んでいる家よりは遥かに新しい。家の軒下には自転車が2台置いてあり、1台はモーター付きの電動自転車で、もう1台は少し古臭い普通の自転車があった。その普通の自転車にはどこかの学校の校章ステッカーが貼られていた。倉庫らしきスペースには白い軽自動車があり、所々凹んでいたり色が剥げていたりと年季を感じさせる。玄関のドアはどういう訳か開け放たれており、ゴムで出来たドアストッパーがドアの下に挟まっていた。
「何で開けっ放しなんだ?」
足立が言うが、2人にも分からない。ドアが空いているからといって流石に中に入る訳にはいかないので、〈ピンポーン〉とチャイムを鳴らす。
足立は(これが知ってるチャイム音だよ)と一の家のチャイムを押した時の〈ジー〉という音を思い出した。
30秒ほど応答が無かったが、中から足音が聞こえていたので留守では無いことが3人には分かった。玄関の向こうから声が聞こえる。
「は〜い。どちらさんですか〜」
言いながら家人が出てくる。大場からはおばあちゃんと聞いていたので、てっきり足立と馬斗矢は染谷老人のような格好をしている老婆が出てくると思ったが、しっかりと私服を着こなした60代にも見える女性が出てきた。
何かしらの家事をしていたのだろう。その腕が水で濡れているのが聖真には確認できた。
「こんにちは〜。僕達、舞谷さんの高校の後輩なんですけど~、舞谷さん居ますか?」
電車の中で立てた作戦は、3人は舞谷の高校の後輩ということにして、学校に来なくなった先輩を心配して訪ねてきたという設定で話を聞こうというものだ。後輩という立場であれば、当たり前に知っているべき情報も学年が違うから分からないとしらを切ることが出来るからだ。
聖真の質問を聞き、舞谷の祖母は訝しげに3人の顔を見る。
「
自分らが調べようとしている女は
聖真が玄関の中を見ると、確かに蓮子の祖母が履いている靴以外には泥で汚れた黒い長靴しか見当たらない。外出しているのは本当かもしれない。さっきのステッカーの自転車が蓮子の物だとしたら、徒歩で出掛けたということかと聖真は考えた。
「帰りは何時頃ですか?俺達、高校でも舞谷先輩を見掛けなくて心配してたんです!」
足立が力んだ感じを出して聞き出そうとする。馬斗矢は、素では
「帰りねぇ……いつ帰ってくるかわかんないよ。一昨日の夕方頃から居ないけど……まぁいつもの事だわ」
一昨日ということは2日も帰ってきていないということになる。17歳の女子高生が家族に何も伝えず、2日も居なくなるなど大事だ。しかしながら、この祖母の振る舞いは心配している様子はあるものの、そこまで危機感を感じている様子は無い。
「それよりもあんたら……蓮子が退学したことを知らんのかい?」
「え……」
やばい、と全員が思った。舞谷が退学していたとなると、その時期によっては自分達が後輩という話には無理がある。これはやばい。本当に動揺している3人を見て、不可抗力ではあるが蓮子の祖母は気が緩んだ様だった。ショックを受けていると勘違いしてくれたのだ。
その隙を馬斗矢が上手く突いた。
「僕らに……舞谷さんに何があったのか教えてくれませんか?何か……力になれるかもしれません」
細々とした声で言った。蓮子の祖母は少しだけ考える素振りをした後「上がって」と3人を家の中へ招き入れた。
案内されたのは背の低い大きな長方形のテーブルが中央に置かれた和室だった。蓮子の祖母は、途中であった洗い物だけ終わらせるから少し待ってくれ、と言って台所の方へ消えていった。腕が濡れていたのは洗い物によるものだったかと聖真は思う。
テーブルの長辺に3人並んで座った。座布団のは無かったので直に畳の感触が伝わる。窓側には障子の襖があり、太陽光が障子に当たることで心地の良い光を放っている。
「(馬斗矢ナイス!)」
「(足立君も上手かったよ)」
「(2人共良かったよ〜)」
ヒソヒソ声で称える。洗い場からの水音が止み、人の気配が近くなったので3人は距離をとって静かに待った。
「待たせてごめんね」
テーブルの上にカランカランと音をさせて麦茶を人数分置くと、蓮子の祖母は3人に正対する真ん中に正座して座った。真ん中の馬斗矢も正座をしているが、その他はあぐらをかいている。
「蓮子のことを聞きたいんだったね?」
「はい」
「何処まで知っているんだい?」
返事をした馬斗矢は自分が答えるべきだと思い、大場の言葉を思い出す。
「──1年くらい前から学校に殆ど来なくなって、何処かに居なくなっては数日経つと戻ってくるのだと。一緒に住んでいるおばあちゃんが捜索願いを出したけど、ちゃんと帰ってくるから今は好きにさせている……そう聞いています」
蓮子の祖母は目を閉じたまま、馬斗矢の言葉を黙って聞いた。
「そうだね。その通りだね。学校で聞いているのはそのくらいかい?」
「そ、そうです」
「退学のことは周りから聞かないのかい?」
「は、はい」
馬斗矢が質問攻めをされて焦っているのが分かる。
「いっ、いつ……退学しちゃったんすか?」
足立が助け舟を出す。自然な流れでの質問だった。
「今年の5月だよ。最後に登校したのは……あれは4月の休みの日だね。多分部活だよ」
そう言うと、何かに納得するように「あ〜」と何度も頷いた。
「あんたらは蓮子が中学の時の吹奏楽部の後輩かね?」
何を言っているのか分からないという感じに足立がギョッとした顔をしたが、聖真がスラスラと嘘を付く。
「そうです〜。僕がクラリネットで──」
馬斗矢と足立も言いなさい、と手で促した。
「僕は──シンバルで!」
「お、俺は……と、トランペット!」
そう言い終えると、蓮子の祖母は足立に向かって嬉しそうに微笑みかけた。
「あぁ〜、じゃあ、あんたが蓮子と同じトランペットの後輩かい。話は聞いてるよ。随分と頑張り屋さんなんだってねぇ。でも、てっきり女の子の後輩だと思い込んでたわぁ」
足立は(何でよりによってトランペットぉ────!)という反応をしている。聖真も馬斗矢も絶対に笑ってはいけないと顔面の筋肉に力を込める。こういうテレビ番組が昔あったが、あの番組に出ていた芸人の気持ちが痛い程に聖真と馬斗矢には理解出来た。
「あっあはッ、お、俺、女の子に見えますぅ?だははッ……」
「トランペットが大好きな子でね。蓮子が言ってたのよ……吹奏楽部は自分の学年は1人だけだから、先輩が抜けて1年生が入って来なかったら2年生1人だけの吹奏楽部になっちゃうって。だけど中学校の吹奏楽部の後輩が何人か入部してくれるって言ってたって喜んでたのよ。中でもトランペットを教えてた後輩が入学してくれるのが楽しみだって。本当に同じ高校に入って吹奏楽部に入部してくれてたんだね……」
3人はそれを聞いて、自分達が蓮子の祖母の中で勝手に、孫娘の高校の吹奏楽部の後輩になったことが分かった。崩れかけの橋を渡るようにガバガバな設定だったが、思いがけない流れで辻褄が合ったことに胸を撫で下ろした。
しかし、蓮子の祖母は暗い顔になり「でもね……」と続けた。ここからだ、と3人ともその口から出る話に意識を集中させる。
「去年の今頃だよ。夏休みに入ってすぐくらいの日に、蓮子はいつもの様に散歩に出掛けたんだ。昔から1人でこの辺りを散歩するのが好きでね。でも──」
蓮子の祖母は手で顔を隠すようにして、両方の肘をテーブルに突いた。
「その日は中々帰ってこなくて、心配になって探しに行こうとしたら、玄関の前に立ってるんだよ。『帰ってきてるなら入りなさいよ』って言ったら『これからドアを閉めないようにして』って言うんだよ。訳が分からないだろ?そしたら、その日から食事も食べないって言うようになって……自分の部屋に引きこもってしまったんだ。でも、どういう理由か部屋のドアだけは閉めなくってね。閉めようとしたら凄い剣幕で怒るから……。それから、さっき言ったけど最初は食べないって言ってたんだけど、自分に食材を買わせてくれるなら食べるって言うのよ……まぁ、私としても買い出しに行かなくて済むのは助かるし『いいよ』って言ったんだけど……そしたらオンラインショップで購入してたみたいで、宅配ドローンで食材が届くようになったの。家にあるのに箸やらスプーン、食器、調味料一式も全部注文してあって『今の箸や食器、調味料は全部捨てて届いた方を使って』って。その後は普通に食べるようになったんだけど……何があの子に起きているのか私には全く理解出来なくてね……」
和室内が静寂に包まれる。
3人は話は分かった。しかし目の前の人物が今言ったように内容が理解が出来ない。とりあえず、玄関のドアが開け放たれていたのは舞谷蓮子の要望であるということだけは分かった。
「玄関のドアは?ずっと開けてあるんですか〜?」
「いいや、昼間はいつ帰ってきてもいいようにああしてるのさ。何度か夜中にあの子が帰ってくることがあったけど、その時は電話があってね。もうすぐ帰るから玄関を開けておいてくれって。いくらここが田舎でも夜中にずっと玄関を開けっ放しには出来ないよ」
それはそうだろうと全員が思った。
「食事は一緒に食べるんですか?」
「蓮子が家に居る時はね。でもこの机で食べるって言って聞かないから、あっちにある食卓はそういえば随分使ってないわね」
馬斗矢の言葉に蓮子の祖母は、洗い物をしていた方向に一度だけ顔を向けると言った。食卓は洗い場と同じ部屋にあるということだろう。
「散歩か〜。この辺りだと、先輩は何処を散歩するのが好きだったんだろう〜?」
聖真が上手く自問し、解答は目の前の見かけは初老の女性にさせた。
「そうだねぇ……よく行ってたのは川沿いか、神社の方か、すぐそこのキャンプ場の辺りかねぇ」
3人とも〈キャンプ場〉というワードに反応を示す。すると、蓮子の祖母は思い出したように聞いてきた。視線は馬斗矢に向けられた。
「というか、あんたら蓮子に直接連絡取れるんでないか?」
「え?」
「同じ部活の先輩後輩なら、電話なりSNSだったりで連絡取れるだろう?」
「連絡したんですけど〜……無視されちゃって」
危険な質問が飛んできたが、平然とした顔で聖真が嘘で乗り切ろうとする。
足立は(こいつは……)と嘘の上手さに舌を巻いた。
「やっぱりそうだったかい……」
「やっぱり、ですか?」
「前にもあんたらの顧問の先生がここに来てね。電話しても出ないって言ってたからさ」
「そうか〜。でも先生は何にも教えてくれなかったな~」
「そうかい……きっと、蓮子に気を使ってくれたんだね」
聖真に任せておけば大丈夫な気がしてきた、と2人は思う。足立に至っては、聖真のあだ名を〈嘘マシンガン〉と命名しようと考えている始末だ。
「こんなことをお願いするのは申し訳ないんですけど〜、元の先輩に戻ってもらう為に力になりたいので、部屋を見せて貰うことって出来ますか?何か分かるかもしれませんし」
馬斗矢と足立はそれは無理があるんじゃないかと思ったが、思いの外、蓮子の祖母は不快感を示すこと無く「見るくらいならいいよ」と了承した。
舞谷蓮子の部屋は2階にあり、今しがた聞いた通り、内開きのドアが開けっ放しになっていた。挟んであるゴム性のドアストッパーは玄関のと同じ物だ。
蓮子の祖母が先に部屋に入り3人も続く。部屋は白を基調としており、5段のタンスとクローゼットが1つ、窓際にベッドが置かれている。床には綺麗に折りたたまれた服が何着か重ねて積まれており、靴下やブラジャー、丸められた下着もあった。これには男共は遠慮して視線を当てないよう気を付けた。何故か冬服であろうセーターやダウンジャケットも床の隅に畳んで置かれている。ベッドの枕元にはスマホの充電器、小さなハート型のテーブルには蚊取り線香とマッチ、勉強机の上には真新しいヘアドライヤーがコードを丁寧に結んだ状態で置いてある。見逃す訳にはいかなかったのは、その奥に置いてあった写真だ。トランペットを持ち、笑顔でピースサインをする女子の写真。セミロングの黒髪に少し日に焼けた肌の綺麗と言ってよい女子生徒だ。系統で言うと元気いっぱいの菜々子系統ではなく、瑠璃系統の品を感じさせる雰囲気だ。
「これくらいでいいかい?」
返事を聞くつもりはないという言い方だったので、3人はそこで舞谷蓮子の部屋を出ていくしかなかった。
「何か分かったかい?」
「そうですね〜……」
ここはどう言うべきかと聖真は考える。あの部屋を見て感じたことはいくつかある。でも、自分ではなく純武の方がこういうのは適任だと思われた。あのミステリーオタクなら何か気付くのではないかと。
「すみませ〜ん、ちょっと外に出て考えてきてもいいですか?」
馬斗矢と足立を呼び、一度外に出る。蓮子の祖母は「あぁ、また教えて頂戴」と不審がることは無かった。
「あ、でも1つだけ聞きたいんですけど〜」
「なんだい?」
「先輩がおかしくなった日の日付は覚えてますか?あと──服装も〜?」
「日付は忘れもしないよ。7月25日だよ。服は……えーと、確か──」
馬斗矢も足立もその質問の意味するものが何かは知っている。その答えの──重要性も。
「────白いワンピースだったねぇ」
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