第18話 2034年7月23日日曜日②'

 2人が話し始めたすぐ後、注文の品がテーブルに置かれた。アイスカフェオレとアイスコーヒー、それと見たことの無いサイズのパフェ。チョコレートパフェに分類されるのか不明だが、プリンがはみ出したそれにはチョコレートソースがふんだんにかけられていた。

 シリアスな内容の話をし始めたばかりでなんとも不釣り合いなテーブル上の光景だったが、瑠璃は気にすることも無く、「すみません、溶けてしまうので」と細く長い先端が小ぶりのスプーンを器用に使いパクパクと糖質の塊を口に運ぶ。聖真は何か言いたげな顔をしていたが、話の腰を折ってしまうので菜々子は語りを進めた。

 「────なるほど。それは、なんとも……」

 時々目を大きく見開いたり、眉間にシワを寄せたり、頬に手を当てたりはしたが、瑠璃が動かすスプーンが止まることはなかった。気が付くと話が終わる頃にはあの巨大なパフェは消えて無くなっていた。

 おしぼりで口の端を拭う瑠璃のその姿は、高級レストランでナプキンを使っている様な錯覚を菜々子に与えた。

「ですが、本当に逢沢さんやその方々が殺されたとすると殺害方法は何が考えられるのでしょう……」

 顎先に人差し指をつけて瑠璃はそう言うと、普通の高校生には縁のないブランドバッグを持ち上げ中から赤いスマホを取り出す。すると、そのスマホに向かって独り言を言い始める。

「ねぇチコパフ。人を殴打などの外傷を加えず、薬物や生物兵器も使わずに、その脳だけを熱傷させるなんてことはできる?」

 菜々子も聖真も、瑠璃が何を言い始めたのかと不思議に思う。それは誰かに質問している口調なのだ。もしかすると、スマホをずっと通話状態にしてあって誰かと通話をしているのだろうか。だとしたら、瑠璃はやはりこの事件の関係者で、通話先の犯人に今の会話を聞かれてしまったのではないか。

 菜々子は一瞬身構えるが、その考えは杞憂に終わることになる。

「いや〜瑠璃嬢、それは無理っしょンー!」

 アニメのキャラクターのような声がスマホから聞こえた。菜々子は立ち上がり、フラフラっと瑠璃の背後に移動した。瑠璃のスマホの画面には茶色と白のコントラストを持ち、頭にプリン型の帽子を傾けて乗っけたヒヨコが映っていた。

「何……これ?」

 いつの間にか背後にいる菜々子に驚いた瑠璃は慌てて振り返る。

「キャッ!────びっくりしました……申し訳ありません」

 軽く息を一つ吐くと、瑠璃は菜々子にスマホを見せるようにすると微笑みながら話し始める。

「これは私が作った次世代AIのプロトタイプとも言えるAIで、正式名称は仮称ですがKanata’s Artificial IntelligentでKAI〈カイ〉といいます。もう特許も申請済みです。この子の名前はチコパフ。名前といっても自分で付けられますし、アバターも声も自分で細くカスタマイズ出来るんですけどね」

 画面に見入っている菜々子の様子がおかしいことに聖真が気付く。聖真の席からは瑠璃のスマホは見えないが、何となく事態を理解した。始まってしまったかと苦笑いを浮かべる。

「か…………可愛い────ッ!!」

 突然の大声で瑠璃の臀部が軽く浮く。周りの客が菜々子を一瞥いちべつした。それにも気付かず菜々子は瑠璃に顔を急接近させて捲し立てる。

「こ、これ何てアプリ?!いつリリースされてたの?!ここWi-Fi飛んでるよね?!ねぇ教えて教えて────!!」

「菜々っち、落ち着いて落ち着いて〜。周りの人に迷惑だし、瑠璃っちも怖がっちゃうよ〜」

 そう言うと我に返った菜々子が両手を口に当てる。周りに向けてペコペコと小さくお辞儀をする。瑠璃は小声で「瑠璃っち……?」と戸惑っているが2人には聞こえない。

「ごめんね。で、これって何処でダウンロード出来るの?」

 声の大きさは普通だが顔は相変わらず瑠璃に近い。

「こっ、これはアプリでは無いんです……そもそもこれはスマホでは無くて、スマホとは少し規格の違う小型のコンピューターみたいなもので……」

 瑠璃は今しがた話した内容をもう一度菜々子に説明する。

「────じ、じゃあこれは私には……」

 あっさり瑠璃に首を縦に振られ両腕をダランと垂らす。

「こんなに可愛いのに……嘘だぁ」

 軽く握った手を口に近づけて瑠璃が言う。

「ふふっ──可愛いって褒められてるよ、チコパフ」

「おおっ!それはとても嬉しいよンー!で、誰が褒めてくれたのン?」

「えー、可世……木、菜々子さんだよ。私、間違えてないですよね?」

 まるで地面から生えた槍に串刺しになっているのではと思える姿勢をした菜々子ではなく、聖真に対して確認する。

「合ってるよ〜。てか俺にも見せてもらえる?」

「構いませんよ」

 手に持ったままテーブルの上に立て掛けるようにスマホらしき物を置く。少し傾けているので聖真から画面がよく見える。

「え?菜々子さんってこのちょいイケ男子なのン?」

「違うよ。この方は平岩聖真さん。可世木菜々子さんのお友達よ。どちらも逢沢さんの弟さんの友達なのよ」

 その独り言というか会話を聞いて聖真は驚いた。このAIには視覚があるのだ。

「瑠璃っち?!この子は俺の姿が見えてるの?」

「(また瑠璃っち……ま、まぁいいかな)そうです。このカメラでチコパフ──KAIが人物や物、景色を認識できるんです。声もこのマイクから声紋認証で聞き取ってくれます」

 瑠璃がスマホでは無いらしいスマホらしき機器に指を当てて説明してくれる。

「へぇ〜!すごい〜!宜しくチコパフ〜」

 聖真が画面に向かって手を振る。しかし、チコパフにリアクションは無い。

「あれ〜?聞えてない?おーい、チコパフ宜しく〜」

 瑠璃は聖真に対して「申し訳ありません」と苦笑いをする。

「声紋登録をしていない声には反応しないんです。元々自動車用に開発していて、盗難防止やその他諸々の目的も兼ねて不特定多数の声を拾わないようにしたので」

「なるほどね〜。じゃあ俺と菜々っちの声を登録することってお願いできるちゃう?」

「勿論です。構いませんよ」

 瑠璃が端末を操作し始め、聖真、そしていつの間にか目の輝きを取り戻した菜々子に向かって画面を向けて何種類かの言葉を発声するよう促す。「これで大丈夫です」と言うと、席に戻った菜々子と聖真に端末の画面を向ける。

「可世木さん、平岩さん、チコパフに喋りかけてもらえますか?」

 菜々子が前のめりになって話し掛ける。

「チコパフちゃーん!私、菜々子って言うの!宜しくね!」

「俺は聖真〜。宜しく〜」

「菜々子に聖真だねン!宜しくン!」

 チコパフが画面内で羽ばたきながら横回転をする。それは見て菜々子が身体をクネクネさせていた。

「このチコパフ──KAIは逢沢さんとの出会いがあったから、開発が本格的に進めることが出来たんです……」

 その内容で流石に菜々子も本来の目的を思い出す。綻んだ顔を引き締めて瑠璃に向き直る。

「差し支えなければ、詳しく聞いてもいいかな?」

「はい。あれは2年前……丁度今頃の暑い時期だったと思います。KAIの構想を練っていた私は、開発に際して大きな問題を抱えていたんです。藁にもすがる思いでネットから様々な研究分野の情報を集めていたら、名大の大学院の学生さんが掲示板で小中学生に意見を求めているスレッドに目が止まったんです」

「それが逢沢さんのスレッドだったんだね〜?」

 瑠璃は頷き話の続きを始めた。

「もしかしたら、お互いに有益な情報交換が出来るかもと思い書き込みをしました。逢沢さんの素性もはっきりしていましたし。それで、この喫茶店で何回かお会いして逢沢さんの研究やKAIについてのお話をしました。逢沢さんとの会話がなければ今頃KAIはどうなっていたか……」

 菜々子はチコパフの方に興味が行きそうになるのを必死に堪らえ、まずは宗一郎の方から質問をした。

「具体的に逢沢さんは何の意見を求めてたの?」

「重力と気温の関係についてです。私はプログラムの知識には自信がありますが、物理にはあまり自信がありません。それでも逢沢さんは『インスピレーションが欲しいから分からなくても良いから何でも言ってくれ』と。それで私は、自然現象などでその重力と気温が作用して生じたケースは無かったのでしょうか、と単純に思ったことを口にしたのです。でも、何故か逢沢さんは凄く喜んで下さったんです」

 菜々子と聖真は顔を見合わせて渋い顔する。

「ちょっと、私達には難しい話……だよね?」

「う〜ん。そもそも瑠璃っちがこのチコパフを作ったってところから、頭が追いつかないよね〜」

「で、瑠璃ちゃんは……ごめん、瑠璃ちゃんって呼んで良い?」

「俺なんか瑠璃っちだけど〜」

「か、構いません──」

 そう言うと、頬を赤らめてコップの水に口を付ける。

「瑠璃ちゃんは、逢沢さんから何の話を聞いてチコパフの開発が出来たの?」

 瑠璃は数口水を喉に通すと思い出す様に目を細める。

「量子コンピューターのお話です」

 菜々子も、そして聖真も頭がクラっとしたが、耳をしっかりと瑠璃の言葉に傾ける。

「逢沢さんは量子力学を専攻しているとのことで、たまたま会話の中で量子コンピューターの話題が出ました。現在、私達が使用しているコンピューターよりも遥かに優れた性能を持つ量子コンピューターが世界中で使用されていると。ですがバグが多く発生するので、まだ完全に完成した訳ではありません。不完全なのだと。そんな内容の会話です」

 菜々子も聖真もとりあえずフムフムと頭を小さく動かす。

「私達の使うコンピューター、これらは0と1の組み合わせ、2進数で計算をしたり文字を表したりしているのですが、量子コンピューターは0と1を──」

「ちょっと待って!」

 菜々子は額に手をつき汗を垂らす。聖真もだ。

「簡単に、凄く簡単に説明してもらえると嬉しいな……あはは」

「わかりました」

 瑠璃には全く気に障った様子は無いみたいであったので、2人とも胸を撫で下ろす。

「簡単に言うと、通常のコンピューターと量子コンピューターは同じコンピューターという名前をしていても全くの別物なんです。私はKAIを開発するに当たって可世木さんがさっき仰ったように、スマートフォンアプリとして開発するつもりでした。ですが、それだとどうしてもスマートフォン側の容量やバックグラウンド下での負荷が大き過ぎたのです。よくよく考えてみれば単純なことですが……1人で開発をしていたので視野が狭くなっていたようです。その量子コンピューターのお話から、予めKAI専用の端末があれば事足りるということに気付きました。KAIはスマートフォンの規格に元々合わない別物だったと、逢沢さんが気付かせてくれたのです」

 菜々子は何となくは理解が出来た。要はアプリが重すぎるから別のスマホにアプリを1つだけ入れたようなものか、と単純に考えた。

「な、なるほどね!で、また逢沢さんの話だけど、自然現象がなんちゃらって後は何か無かったの?」

「はい……その次にお会いした時、逢沢さん少し元気が無くて。多分、私が言った自然現象に当てはまるケースが無かったのではないでしょうか。その後、確か2年前の年末頃また他のことで落ち込む件があったみたいで……それ以降は連絡は取ることも無くなり、お会いすることも無くなってしまいました」

 瑠璃は伏し目がちにそう言うと、表示されているチコパフの画面をちらりと見た。

 2人は、昨日の段階で宗一郎と瑠璃とのやり取りが2年前の年末頃で止まっていることを知っている。なので、瑠璃の話に矛盾が無いことが分かった。

「瑠璃っち〜。弟の馬斗矢がね、逢沢さんが『何で取らないんだ』とかって割と強く言ってたことがあるらしいんだけど、心当たりある?」

 瑠璃は本当に何も知らないといった困った顔になる。

「『何で取らない』……ですか?──すみません、私には分かりかねます。それが逢沢さんが落ち込んでいた原因なのですか?」

「ううん。まだ分からないの。逢沢さんが連絡を取っていた学生ってもう一人いるんだけど、瑠璃ちゃんが知らないなら多分そっちの学生との間であったやり取りなんじゃないかな」

 一応、2人はこれで瑠璃に聞きたいことは全て聞けた。宗一郎のスマホに残る履歴との整合性は取れたと言える。

 だが、更に菜々子が瑠璃に質問をした。

「ねぇ瑠璃ちゃん。さっきチコパフに死因についての質問をしてたけど、そういう難しいこともチコパフは分かるの?」

「KAIは常時オンラインですから。質問すれば数多の検索を一気にかけて、信憑性の高い情報だけを抽出してくれます」

 瑠璃は菜々子とは違い寂しくない胸を張って控えめにではあるが自慢げに言う。

 それを聞いた菜々子は、宗一郎が優秀と言う瑠璃の頭脳とKAIの情報収集能力があれば今後も捜査で非常に頼りになるのではないかと考える。刑事1人とただの学生5人よりも、優秀なプログラマー学生が加わってくれた方が心強いと思ったのだ。

「──瑠璃ちゃん、そのチコパフの能力と、瑠璃ちゃんの知識を私達に貸してくれないかな?」

 聖真にも菜々子の考えが分かった。しかしながら、確認をしておかなければならないことがあると感じたので、菜々子の提案に付け足しをした。

「ただ、安全では無いと思うんだよね〜。逢沢さんも他の4人も実際に命を失ってるし。瑠璃っちには何の得にもならないかもしれないから無理とは言わないからね〜」

 すると、意外にも瑠璃の目に力が入った。

「いえ──是非とも協力させて下さい。元々このKAIは理由はどうあれ、逢沢さんのお陰で開発に成功しました。いつかその恩をお返しするつもりでいましたが……亡くなられてしまった以上、普通には返すことは出来ません。ですがその井上という刑事の方が殺人だと仰るのであれば、真相を突き止めることが最大の恩返しになるかもしれません」

 菜々子は嬉しい気持ちを感じつつも、聖真の言った危険性について思うところが無い訳では無いので念押しをする。

「本当にいいの?」

「はい。──私は子供を産んだ母親の気持ちが分かる訳ではありませんが、KAIは私が私なりに苦しんで作り上げた子供の様な存在です。それを与えてくれるきっかけを、逢沢さんはもたらしてくれたのです。先程のお話を聞いている途中から可世木さんが言って下さる前に、私から協力したいと言い出すつもりでした。それくらいの危険を冒す覚悟は出来ているつもりです」

 菜々子は瑠璃の決意を確認し、それ以上は何も言うまいと押し殺した嬉しさを素直に感じた。

「わかった。それじゃあこれから宜しくね、瑠璃ちゃん!私のことは菜々子でいいからね!」

「わかりました。こちらこそ宜しくお願い致します。菜々子さん、平岩さん」

 菜々子がお互いの連絡先を交換することを提案し、瑠璃は自分のスマホを取り出す。プロフィールを交換しながら聖真が何気なく瑠璃に聞いた。

「てかさ〜、瑠璃っち新聞紙くり抜いて俺らを見てたじゃん?あれは何だったの?」

 菜々子もその回答には興味があったので瑠璃の方を見る。瑠璃は「あ〜」と言い笑う。

「昔何かの漫画で見たことがあって一度やってみたかったんですよ。もしかしたら怪しい人が来るかもしれませんし」

 瑠璃はカナタ自動車会長の孫娘でKAIを開発する程の天才高校生。自分達とは住む世界の違う人間だと思っていたが、意外と普通の高校生なのかもしれないと菜々子も聖真も少し親近感を感じた。

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