第39話 2034年7月25日火曜日⑪

「大丈夫なのでしょうか……?」

 瑠璃が言いたいのは、急死させる方法が分かっていないのに、安全に舞谷蓮子を捕まえることなど出来るのかという事だ。

「どうだろうね……」

 そう返した一の表情は、懐疑的というよりは意味深なものを含んでいるように瑠璃には見えた。

「何か、心当たりでもあるんですか?」

「いや。僕が祠を触る時にね……阿久里さんが言ったんだ。『俺と同類かもな』ってね」

「『同類』……ですか?」

 その意味を理解しようと僅かに考えたが、瑠璃には見当が付かなかった。

「彼方さんには僕の“好奇心”の強さは話してなかったね。僕は自分の“好奇心”の強さに勝てない。どんなに人に嫌われようと、命の危険があろうと、その欲に向かって忠実に突き進む。要するに、狂ってるんだ」

 涼しい顔で「純武は〈狂ってる〉ところまで気付いてたみたいだったけど」と付け加えた。

「つまり……阿久里さんも、狂っているということで──あっ」

 瑠璃は言いながら阿久里の風体、言葉遣い、ピッキング技術、拳銃を所持している等のことを踏まえると、確かに〈狂っている〉のかもしれないと思う。

「多分、あの人は舞谷蓮子を捕まえるためならある程度の犠牲はやむ無しと考えていると思う。雨宮さんや松木さん、諸崎さん、自分自身さえ犠牲になったとしても目的を達成させるつもりなんだろう。ただ、そこに子供を巻き込みたくない。良識はあるよね。そして──恐らくあの人が考えていることは、最悪──」

 一が言葉を切った。気にはなったが、何か縁起の悪いことを言いそうな気配を感じたので、瑠璃は黙ったままでいた。

 瑠璃はそのまま、床に座り込んで啜り泣く2人の傍にしゃがみ込み、あの喫茶店へ、自分に会いに来てくれた2人の背中を交互に擦ってあげていた。





 コテージから出ると阿久里と雨宮が銃を構えながら左右に散る。周囲に誰も居ないことを確認すると、2人が頷き合う。阿久里が諸崎を、雨宮が松木を指を差して付いて来いとサインを出す。4人はそのまま祠からコテージまでの道のりを逆に進む。森の手前まで来るとポツポツと雨が降り始めた。



 再び指でサインを出し、阿久里・諸崎と雨宮・松木が距離を取る。納得する距離が取れると阿久里が手の平を出して止めた。サングラスの位置を再度頭に掛けると、そのままの距離を保ったまま森の中に入っていく。

 「(先生、舞谷蓮子を見つけたらどうするんですか?)」

 「(問答無用で脚を撃つ。お前は直ぐにその手錠を掛けろ)」

 後ろを歩く諸崎に振り返らず、前方180度を見渡しながら言った。阿久里には見えないが諸崎はしっかりと頷いた。

「(居たぞ……!)」

 諸崎に向けて「待て」のサインを出す。木々の隙間から白いワンピースを着た舞谷蓮子の姿が見える。だが、何故か立ったままであった。動いていない。僅かに震えている様にも見える。理解し難い状況だが好都合だ。立っているだけなら狙い易いことこの上ない。距離はここから30から40メートルの間といったところだ。阿久里は持っていた銃を構える。

「(すぅ──ふぅ────)」

 照準を合わせる為に静かに深呼吸をする。銃には、銃口の上方に凸状のフロントサイト、撃鉄側の上方に凹状のリアサイトがあり、この2つを使って照準を合わせる。右眼を瞑り、左眼でリアサイトを覗き込む。木々の隙間から露出している舞谷蓮子の左脚を狙う。そこにフロントサイトを重ねる。

 引き金が引かれる気配を感じ、諸崎がポケットから音を立てずに手錠を取り出す。捕まえる対象の位置を確認しようと、阿久里の背中から顔を出した。その時だった。

「あぁ……ッ」

 耳元で聞こえた。阿久里は引き金に掛かっていた指をずらして声がした方を見る。そこには、痙攣して辛うじて立っている諸崎の姿があった。

「(諸崎……ッ、どうしたッ?)」

 その言葉に答えること無く、崩れ落ちた。持っていた手錠が大きな金属音を立てて地面に落ちる。

「(おいッ、諸崎ッ!)」

 構える銃を下ろし、足元の諸崎の肩を揺らす。ぐるりと首が回りその顔が露わになる。その諸崎の目には、最早生気は感じられなかった。

「(も、諸崎……ッ!)」

 雨音がしているとはいえ、手錠が落ちた時の音で舞谷蓮子がこちらに気付いてしまった可能性がある。すぐに目視で確かめた。しかし、女は狙いを定めていた時と同じ様に、震えて立っているだけだ。

「松木ィ──────!!」

 右手方向から悲鳴にも似た大声が聞こえた。草木で遮られてハッキリとは見えないが、今さっき阿久里がした動きと同じく、雨宮が屈み込んで何かを揺すっているのが分かった。

「────クソがァッ!!」

 迅速に舞谷蓮子に照準を合わせる。今度は脚では無い。その頭を狙う。興奮で全身が振戦する。それでも、照準を合わせるまでに数秒も掛からなかった。

〈バァ────ンッ!〉

 引き金を引き、発射音が森の中に鳴り響く。感触は完璧だった。初めて人を殺めた罪悪感よりも、自分に鬱陶しいほど擦り寄り、慕ってくれる若者を殺されたことで噴出した激情がそれを上回る。確定的に感じた手応えから、女が倒れるまでが想像できた。しかし────。

「なっ…………」

 女は無傷だった。震えながらその場に膝を抱えるようにしゃがみ込む。射撃は完璧だったはずだ。確実に女の頭を弾けさせる自信があった。

 阿久里は先程合わせた照準の角度を下方に修正して、もう一度引き金を引く。激しい音が再び森の空気を振動させる。また手応えは完璧だった。ところが、結果は先の再現となった。

「な、何で────」

 その時に阿久里見た光景が、頭の中に残る聖真の言葉を蘇らせた。「僕ごときの推理ですが……」という、あの会話の前後の内容が。

「クソっ──そういうことか!」

 阿久里は銃を仕舞い雨宮の方に移動しようとしたが、視界に地面に転がる助手の姿が入った。瞬間、その場を離れることに躊躇したが、両瞼に強く力を入れた後、走り出した。

「うわァァァ────ッ!!」

〈バァン!バァン!バァン!バァン!バァン!カチッカチッカチッカチッ……〉

 少しばかり離れた場から、悲痛さが込められた絶叫と銃の乱射音が交響した。いつの間にか立ち上がっていた雨宮が、舞谷蓮子に向けて発砲していたのだ。

「雨宮ァ──ッ!無駄だッ!」

 距離を詰めると雨宮に飛び付く。そのまま2人で地面にヘッドスライディングする様に地面に倒れると、少量の土砂を散らす。反射的にその飛散した粒を目で追うと、焦点の合っていない目をした松木の亡骸が阿久里の網膜に映し出された。

「────畜生ッ!アイツに弾は当たらねぇッ!一旦引くぞッ!」

 倒れて標的を見失い、弾倉を撃ち尽くしたにも関わらず、未だ引き金を引き続ける雨宮には、阿久里の言葉が届いているとは思えなかった。

「お前が──お前が脳だけ焼いて殺しとんか────ッ!!」

「しっかりしろッ!」

 雄叫びにも似た大声を上げた雨宮の左頬が激しく波を打った。目の色が普段のものに変わったのが分かる。自分の左手で頬を触れると、阿久里の張り手を食らった事を認識した。

「あ……阿久里……松木が……松木がぁ──」

「分かってる!とにかく……一旦引くぞッ!身を低くするんだ!いいなッ?!」

 意味のある言葉にはなっていなかったが、雨宮から了解したという挙動を認めた。



 屈んだ姿勢で2人が連なって森の出口を目指す。森から出て後ろを振り返ると、視界に収まった人物は雨宮だけだった。安堵した阿久里だったが、真隣で絶命した諸崎が溢した小さな声と、雨宮を連れて逃げようとした時に踏み付けた松木の左手の感触が思い起こさた。

(それでも……やはり引くべきだ……ッ)

 足を止めると憤怒で昂った気持ちを無理矢理鎮める。見ると、雨宮も同じく感情をコントロールしようとしているのか、大袈裟に深呼吸を繰り返している。

「……いいか?一旦、コテージに戻るぞ」

「……わ……分かった……」



 走りながら振り返った雨宮は雨と涙に濡れた目で、森に怒りとも悲愴とも取れる視線を送った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る