第4話 2034年7月18日火曜日①
2034年7月18日火曜日
現在時刻は13時12分を示している。愛知県警一宮警察署捜査一課の刑事である
井上は12年の刑事生活の中で数多くの凄惨な殺人事件を捜査した経験として、事件には“におい”があると断言する。刑事として駆け出しの頃から5年前までの配属先、名古屋市の中村警察署で
刑事になった初めての夏、庄内川の堤防の階段下で遺体が見つかった事があった。偶然、現場近くの麻生行きつけのラーメン屋を訪れていた井上達は、無線連絡を受けて交番の巡査よりも早く遺体を確認した。遺体は70歳前後とみられる男性で、上下にジャージを着ており靴はランニングシューズ。左側頭部から出血を認めたがアスファルトに溜まる血は殆ど乾いていた。現場の階段は車通りが多く散歩をしている人も少なくなかったが、周りをマンションに挟まれているため見通しが悪い。井上はしばらく現場を見て、争った形跡が認められないのでウォーキングをしていた初老男性が階段でつまづき転落し、打ち所が悪く絶命した事故だろうと推察した。ところが、麻生は現場を見た瞬間に「殺しだな」と言った。井上は、まさかと思ったが、現場を見た後には自信を持って(これは事故だろ?)と内心ほくそ笑んだ。だが、被害者の身辺調査が進むと、1年前に被害者に3000万円の保険金がかけられていたことが分かった。その保険金の受取人である息子のアリバイを確認したところ、供述内容と矛盾が見つかり、加えて現場付近に設置されている防犯カメラに死亡推定時刻と同じ時間に息子の姿がはっきりと捉えられていた。証拠を突き付けると息子はあっさりと自供し、これにより被害者の息子を殺人容疑で逮捕することとなった。井上は麻生に「どうして最初から殺しだと分かったんですか?!」と食って掛かったが、麻生はひと言「“におい”だよ」と答えるだけだった。
この事件の後、井上は麻生から盗めるものは全て盗もうと決めた。彼の考え方や目の付け方、感性や勘といったあらゆるものを見逃さないようにし、学び、身に付けていった。その麻生も5年前に定年を迎え、時を同じくして井上は一宮署へ異動となった。麻生の退職時に花束を手渡した井上は、「お前には俺の全てを教えられた。後は頼んだぞ」と力強く肩を叩かれた。
その教えられた“におい”が一宮駅のホームから感じられたのだ。その後確認した他の4件の急死についてのネットニュースからも、それを感じた。しかし、鑑識結果も検死結果も事件性は無いと出ていた。身辺調査も白だった。この“におい”を感じて空振りだったことなど、井上は麻生に付いて5年目以降一度も無い。煙草の火を灰皿にねじ込んで消し、また天を仰ぐ。
「必ず何かあるはずだ……必ず」
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