九章 五

「え……」


 逢子は息を呑んだ。己の目に映る光景を、信じたくなかった。

 衝撃を受けた魁人の体が、頭を中心に大きく揺れた。緊張を失った体が地面に向かっていく。もっとも重い頭部が真っ先に落下し、次に胴体が落ちる。腰から脚を地面に強打する瞬間、地面から跳ね返されていた頭が今一度地面にぶつかり直す。反動を受けた肩も軽く浮いて、着地をやり直す。


 そうして、魁人の動きはとまった。

 とまった。


 終わった。


「逢子、逃げて! 逃げるの!」


 涼風の警告は明確な指示となっていた。倒れた魁人に意識を奪われていた逢子は、警告の意味を噛み砕く前に、ぢりっと肌を焼いていた。凶弾は逢子の右腕を傷つけていた。かすり傷なのはまさか、照準を決して外さない機械人形が狙いを定めなかったわけではない。あえて、という威嚇射撃だって彼らはお手の物だ。

 警備用機械人形が同胞の個体も撃ち抜いて破壊する。周囲を取り巻いていた人々の足もとに向けても数発発砲し、外界と内界を仕切ってしまった。近づけばどうなるか、想像つくだろう? 命の水を垂れ流しにしたくなければ近づくなと、明白な脅しをやってのけた。


 逢子は、溝の周囲に張り巡らせてある鉄柵に背中を打った。右を見ても左を見ても、騒ぎを聞きつけた野次馬の群れが密集している。すき間を縫って逃れる道を見つけるのは不可能だった。鉄柵に体をこすりつけながら、視線をどんどん落としていく。とすん、と地面にお尻をつけた。相変わらず土は太陽の熱を吸収していて、切なくなるほどあたたかい。


「逢子」


 迫りくる機械人形は、警備用の個体には不必要な残酷な笑みを浮かべていた。口角があんなにあがる機械人形などいない。表情豊かな愛玩用の涼風ですら、人を愛するための個体として嘲笑の表情は必要なしとの判断からそんな顔は作れない。

 機械人形の制限を超えて表情を浮かべる警備用の個体に、逢子は、悟っていた。


「逢子」


 臓腑に手を突っこまれて、かき混ぜられる錯覚。

 はたまた、腹に穴をあけられて子宮に直接精子をかけられる厭悪の情。


「ぼくはあんな機械なんかといっしょに死なない。ぼくが開発した機械人形は決して死なないんだ。死なない機械人形に入っているぼくがどうして死ななければならないんだ。ぼくにはまだやるべきことが残っているっていうのに」


 嫌だと口にしたら、彼の激昂は頂点を極めていただろう。分かっていても、逢子は否定した。口にはせず、首を振るという動作で意思を示した。力は弱かったが、意思だけは確固たる強さで首を振った。


「逢子」


 あ、怒っている。異性の怒りを、性の本能が嗅ぎ取った。

 眉間にしわを寄せた機械人形が、逢子の頭に手を伸ばしてきた。力づくで頭をかち割られてしまうのか。痛くなければいいなと思い、逢子は目を閉じた。


 ぱらぱらと、何かの破片が降ってくる。月の障りに似たにおいがした。視界を確保すれば、機械人形が鉄柵を数本まとめて握っている。握力で折り曲げた鉄柵を束ねていた。コンクリートの堤防に深々と刺さっている柵を何本もまとめて、無理にねじ切った鉄の棒の断面はひどく曲がっていて、とても鋭利だった。風さえも、触れたせいで切り傷を負ったとばかりに悲痛な音を立てて消えていった。


 鉄の棒を、機械人形が掲げた。

 人々の視線が、棒に集中した。

 永遠の命を手に入れた人間に逆らった者の末路を、見よとばかりに。


「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 刺された本人は恐怖のあまり、悲鳴などあげられなかった。

 不明瞭な、それでいて痛みに耐えるだめだけに発した悲痛のうめきを、自分の口内で必死に押しとどめた。

 右の太もも、膝に一本ずつ、ふくらはぎには皮を貫いてぶらさがる一本。貫いた棒には処女の陰部が男の棒にまとわりつくように、皮膚と肉片がしがみついている。鮮血を流す有様は、まさに処女喪失の光景そのものだった。

 左の太ももは、肉を削いだかすり傷が残るだけだった。膝は骨が見える深手を負いながらも、棒の当たり所が悪かったのかはじき返していた。それでも、ふくらはぎのやわい肉には二本も刺さっていた。見ようによればパフェのアイスに乗っかっているチェリーの枝だ。根元には毒々しいほどの赤い果実がぷっくりと姿を表しつつあった。逢子の血液から生成されたチェリーは程なく熟れて、食べごろも過ぎて破裂すると地面へ落ちていった。


「ああ、逢子……」


 機械人形は、逢子を愛おしげに胸に抱き寄せた。警備用機械人形は紺色のジャケットの下に白いシャツの着用も義務づけられている。皮脂を分泌しない彼らはいつも清潔なにおいをまとっていて、逢子にはこの無機質な体臭がなんとも不愉快に感じられた。


 腐敗する命ある体の自分と、決して腐らない鉄の体の彼ら。違いをまざまざと、これでもかと嗅がせつけてくる機械人形のくせに。こいつがこれからしようとしていることは、人にだけ与えられた特権だ。


「待っててくれ、逢子。すぐに終わらせるから、終わったら、ちゃんと病院に連れていくよ」

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