四章 三
「は?」
「知らなかったって顔ね。当然よ、娼館の人間なら楼主と私しか知らないもの」
長話の一服に、魁人も美静も煙草をくわえていた。美静がいうには煙にも呪いを退ける効果があるらしく、二人が吐き出す煙によって逢子は守ってもらえているらしい。驚愕の事実に目を丸くした魁人が、口からたばこを落として手の甲を火傷している。美静はその様子に腹を抱えて笑っていた。
「姉様はね、機械人形なの。人じゃないの。女ですらないのよ」
「あいつ、娼婦じゃなかったのか……」
「見た目は人と変わりないでしょう。でもね、本当にすごくすごくすごーく近くで見たり触ったりすると、ちょーっとだけ違和感に気づけると思う」
魁人が美静に「知っていたか」と訊ねるが、おしゃべり男も敗北を認めることがあるようだ。このときだけは名のとおり、黙って首を振った。
「機械人形とどうやってセックスするっていうんだ。おれはお断りだ。ほかにはいないだろうな。見分け方を教えろ」
「私が教えられたところによれば、ほかはいない。それに性行為の機能はつけられていないから安心して。布団に招いたところで、姉様が相手に睡眠剤を投与しておしまいだから」
「おい待て、じゃあお前の昨日のあれはなんだったんだ」
痛いところを突かれて、饒舌だった逢子の口の動きも鈍くなる。
「あれは、本当のところをいうと、私もよく分からないの」
女性の生殖器よりは、男性の生殖器のほうが勝手としては造りやすい。涼風のメンテナンスにたびたび訪れる開発局職員や整備用機械人形が、試作として涼風の体に取りつけたということしか逢子は知らされなかった。
「女の見た目の機械人形にチンコをつけたのか。バカなのかそいつらは。女だと思って呼びつけた娼婦が機械人形でしかもチンコつけてたら、おれなら迷わず壊すぞ」
「姉様のことは壊さないでちょうだい」
涼風のメンテナンスのために、一季はよく娼館を訪れた。涼風に付き従っている逢子と会うのは当然で、はじめこそ子どもだった逢子をかわいいからと気に入ってくれていただけだった。次第に逢子が成長するにつれ、慈愛の情は色恋の情へとうつろいでいった。逢子も、思慮深い知識人だった一季にいつの間にか想いを寄せていた。
惚れる。村では決して知ることがない感情が、逢子の中に沸き立った。知らなかった自分と対面させてくれた一季を、逢子は心から好いていった。
頭の片隅に、この体を汚せない御加護が離れないことはなかったが。
「近づいてくる呪いには、そのときはまだ娼館の娘だったから、楼主が定期的にお祓いをしてくれていたの。あなたみたいにこうして、魔除けの道具も用意しておいてくれてね。だからたいした傷も負わなかったし、苦しむこともなかった」
娼館に引き取られて数年。逢子もそろそろ客を取る頃合いとなった。同じ時期に田舎から連れてこられた娘たちの中には、すでに客を取っている者もいた。年齢としては十八歳、最適な時期だった。
そのころにはもう、数年に渡って続いた人形大戦も終結していた。機械人形開発局は新たな機械人形生産ラインを増産した。対人保護プログラムの強化をほどこし、その中には涼風の学習によって得られた人に対する愛情のデータも組みこまれた。人に決して害をなさない機械人形として、それらはまた人々の生活に溶けこんでいった。
ともすると、機械人形開発局の社員は順風満帆な仕事の先行きを見据えていた。宝船に乗った気持ちで、娼館を貸し切る猛者もいた。一季も例外ではなく、懐にぬくもりを抱いていた。
逢子の初夜を買いたがる客は大勢いた。楼主は値段をつりあげていったが、応じられる額を出せる者は徐々に減っていく。楼主は逢子に、望みの人物はいるかと訊ねた。これから大店の看板娼婦となる逢子だから、最初くらいわがままを聞いてやろうという心づかいもあったが、逢子が誰かと答えるか知っていたので、答え合わせのようなものでもあった。
楼主のお墨付きも得て、逢子の初夜の権利を買ったのは一季だった。
二人は恋人として、初夜を迎えるはずだった。
「怖くは、なかったのか。逢子。その御加護がある状態でというのは」
「一季さんは、呪いとかそういうの信じない人だったから」
人形大戦の走りとされる機械人形の演算結果がはじき出した暴動は、機械人形に人の魂が取り憑いたために起きた――そんな都市伝説もあった。開発局職員の彼は、おそるおそる尋ねた逢子に、そんなのありえないと笑って一蹴した。誤作動と演算結果が導き出した、未来のひとつの在り方としての暴論だと説明してくれた。
論理的な彼の思考は、目に見えないものを決して信じない。
「じゃあ私たちの関係性だって、信じるに足る理由がないってことですか」
逢子は少しむっとして、一季につめ寄った。人の思いだって目に見えない。なら、自分がどれだけ彼を好いていても、彼は信じてくれないということになる。それは悲しい。
「目に見える形にすればいいだけだよ」
今なら騙されたとか、ほだされたとか、なんとでも言える。一季に抱きしめられるだけで不安はほぐれていった。惚れるが負けという言葉が真実なら、逢子は一季に完敗だった。
「一季さんとだけは、本当に少しも怖くなかった」
破瓜は痛くて血が出るよ。先に水揚げされていた同期の証言を耳にしていたから、逢子はそちらのほうが怖かった。裂ける感覚が分かるんだよ、こう、ぴりぴりって。ええやだ痛そう。なんて笑い合っていられるくらいには、自分の体が他人とは異なっていることを忘れていた。
あのときばかりは、逢子は、ただの女になっていた。
待ちわびた初夜の日、一季が言葉にしてくれた。
「逢子、愛しているよ。ぼくと家族になろう」
誰かの犠牲になって死ぬ必要なんてない。君は君のしあわせを追い求めればいい。一季が教えてくれた、自分のしあわせというものを逢子は考えた。彼の胸に抱かれて、頭をなでられながら考えてみた。
自分のしあわせとはなんだろうか。
目の前にいる彼と、死ぬまでいっしょにいられたら――。ありのままの胸中を伝えただけなのに、一季は喜んでくれた。逢子もますますうれしくなった。
目を閉じて。一季に言われて、逢子はまぶたを伏せた。唇が重なるだけの、かわいらしい口づけがあった。
それはそれは胸が躍った。
ああ、私は今がしあわせ……
触れていた唇が遠ざかった。今、目をあけていいのかな。離れていく一季の表情は、どんなふうに変わっているのだろう。どんな顔で見上げればいいだろう。
迷いながら、逢子はゆっくりと目を開いた。
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