八章 ニ
「本当に、どうして、信じられない」
涼風のつぶやきは、逢子に向けられたものでも、とがめない楼主たちに向けたものでもなかった。言葉を自分の口から発して、空気の振動に乗せて、自分の耳に入れて、冷静になって演算処理を行え。そう自分自身をいさめたかっただけだった。
「涼風、ぼくが造った機械人形」
涼風の脳内で、語りかけてくる男性の声があった。この音声は、声帯の主――形を失った体からではなく、その心自体が発している音だった。涼風は人でいうところの聴覚器官にあたる集音機能を疑った。故障の可能性がある場合に作動させる自己修復プログラムを自ら作動させようかと動いたほどだった。
声はどんどんと涼風に近づいた。親が幼子に言い聞かせるように、何度も執拗に言い含めるように――。
「ぼくが造りだした機械人形、涼風。聞こえているだろう。涼風。ぼくの理想の女性」
声は耳元……耳の内部で自分を呼んでいる、と気づいたときには思わず返答していた。
「一季さん?」頭の中で返事をした。「一季さん、いるんですか」
「そうだよ。やっと返事をしてくれた」
「これは、どういうことなんですか」
彼は死んだ。逢子が、体質で彼の肉体を殺してしまったのではなかった。
涼風は検索した。死んだ人間がまだ生きていた、前例はあるのか。無線通信によって外部の検索エンジンに知りたい情報を入力する。膨大な情報量から必要なデータだけを選別し、閲覧した。死んだ人間が生きていたケース、吸血鬼。違う。死んだと思われていたが実は生きていた、検死の間違い? 違う。一季は一目見ただけで、誰もが死を否定できない有様だった。
それでは、幽鬼? 死んだ者が魂となり、この世を漂う。幽鬼は人の形をしたものに取り憑きやすい。かつての人形大戦の原因とされている噂話のひとつのように、彼は幽鬼と化してしまったのだろうか。
「電子的な憑依現象だよ」
検索よりも簡単に、彼は答えてくれた。
電脳空間に、生前の彼はあらかじめ自分のデータを預けておいた。人を人たらしめるものは記憶だ。記憶の積み重ねがその人個人を作りだす。遺伝子が同一な双子がまったく同じ人間にならないのも、自分と同じ人間が左にいる違いと右にいる違いによる。記憶が異なれば遺伝子が同一であろうとも別人として成長していく。
一季は毎日、一日の終わりに記憶のバックアップを取った。死ぬまでに自分そっくりの機械人形を開発しておけば、寿命が迫る頃合いに、その個体に自分のデータを入力すればいい。そうすれば死ぬ直前の一季、最後にバックアップを取った夜の一季が復活する。
「まさか本当に逢子の体質で死ぬなんて思わなかった。自分の体を造成するには時間の余裕がなかったから、現時点でぼくが最高傑作と胸を張る君の中に入れてもらおうと思っているんだ」
涼風に拒否する理由はなかった。
愛玩用機械人形として、開発者に書きこまれていたデータがあった。娼婦は男性をえり好みしてはいけないが、より人として近い存在になれるように、涼風には好みの男性となる人物が書きこまれていた。起動した涼風がまぶたを開いていちばん先に見た者が、己の男性の好みの基準となる――書きこみどおりに、涼風ははじめて目にした男性を理想の人とした。
一季。
涼風にとって、理想の恋人は一季だった。
人は、恋しいと願う人物とひとつになりたいと願う。恋愛の最果て、性行為とはそのために行うものとして涼風は教えられていた。
一季とひとつの体を共有するということは、自分と一季はひとつになれるということだ。なんて喜ばしいことだろう。ぜひとも彼にこの体を使ってもらいたい。ひとつになりたい。
しかし、障害が残る。
人一人分のこれまでの記憶を保持させる膨大なデータを受け入れる容量が涼風にはなかった。顧客一人一人のデータは電脳空間に預けてあり、来客に応じて当該人物のデータを引き出す。それ以外の恋愛についての詳細データや娼館の楼主、職員、同期、世話になっている髪結いや化粧師の女たちのデータは内部に記録されていた。人にはたったそれだけと思われるかもしれない個人の記憶だが、記憶を取捨選択する人とは異なり、涼風は丸ごとすべてを記憶する。会話の内容も、たわいもないあいさつから語尾の「よ」「ね」まで一言一句覚えている。そうなると数人ほどのデータを内部に残すだけとはいっても、容量はバカでかくなる。
特に、涼風の容量を占めていたのは逢子だった。かわいい逢子。自分を家族と慕ってくれる逢子とは、毎日のささいな会話から逢子の一挙手一投足、髪のほつれている位置も、足をひっかけた段差さえ違えることなく情報としてとどめている。
一季とひとつになるためにも、涼風は体の中のどこか一か所でいい、どこかを、彼に明け渡したかった。どこにも見当たらないというのは、涼風自身想定していなかった。
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