八章 三
「涼風、君は逢子をとてもかわいがっているようだね」
「ええ、もちろん」
涼風を機械人形だと知っても、逢子は人間の姉にするように涼風になついてくれた。異性への恋心と同性への愛情の違いを学習させてもくれた。どんなに両想いであったとしても、男と女という性別の壁を乗り越えた恋は尊ぶべき。同じ性同士の恋は、生殖以外の理由があって成立する――機械人形の彼女には、少しまだ、理解しきれない世界があった。逢子は同性同士の恋とも異なる、家族愛を涼風に教えてくれた。血縁関係どころか、人間と機械人形の種別を越えた愛。
「涼風、知っているだろうけれど、ぼくも逢子が好きなんだ。彼女への愛情も、ぼくのデータには保存してある。もし君の内部から逢子のデータが飛んでも、ぼくがまだ維持している。だから逢子のために保持している容量を、ぼくに貸してくれないか」
逢子が好き。一季はしょっちゅう、涼風に言い聞かせていた。人に恋をすることとは、愛を抱くこととはいかなることか。自分と逢子を例にあげて聞かせてくる一季を、開発者の言葉としてしっかり記録していた。
同時に、逢子に対する深い愛情と拮抗する何かが脳内ではじけるのも感じていた。
ぱちんときらめき、すぐに消える。しかし硝煙はいつまでもくすぶっていた。涼風の動作を不快にさせる力もあった。いつも正体を探ったが、判明しなかった。
「いいね、涼風。開発者として命令だ。逢子のデータを電脳空間に預けて、ぼくを受け入れるんだ」
開発者に抗えず、涼風は内部にあった逢子のデータが電脳空間に送られていく感覚を味わった。それはなんだか、とても冷たかった。肌に冷気が触れたときに判断する「ここは冷たい場所」という認識が、急に内部に膨らんだ。遠ざかる逢子との記憶に、涼風は手を伸ばしたかった。伸ばしたところでつかめるものではない。情報は目に見えない。けれど、確実に存在する。……涼風の中を占領しようとする、一季のように。
空いたスペースに一季が入ってきた。
涼風は、逢子との記憶が遠ざかった感覚をすぐに忘れてしまった。
胸を満たす喜びが勝った。機械人形であるはずが、涼風は全身を感動で震わせた。
一季は、自分が涼風の内部を独占したことで異常が生じ、故障を疑うほど衝撃を受けた。
「どうした涼風、こんな……壊れては、いないようだけれど」
涼風は衝動に身を委ねていた。機械の鉄の体でもない、かといって愛玩用に開発された人工知能でもない。自分の中に、開発者たちがひそかに何かを埋めこんでいたのではないかと考えるほど、得体の知れない何かが燃えあがる感覚を味わっていた。
いわば、涼風は一季とひとつになれたことに対して恍惚を極めていたのだ。
愛し合う男女がひとつになる。なんてすばらしいことだろう! しかも自分は死なない。一季は死んだが、こうして生き延びて、死なない自分の体といっしょになった。ということは、彼も死なない! 彼もまた、自分と同じ機械人形になった!
これから先を一生、一季とともに過ごしていける。
一季は知らずしらずのうちに、性行為を知らないどころか、そのための生殖器すらない機械人形を絶頂に導いていた。涼風はより一層、彼への愛を深めていった。
一季は時折、涼風に開発者命令を送った。自分の自由意志を許して、体を貸してほしい。涼風はそのあいだ、休眠状態となってデータの整理を行っていればいい。涼風は五官から入ってくる情報を遮断し、膨大な情報から必要と不必要に小分けする練習をしていた。開発局にデータとして送信すれば、必要なデータから不必要を、不必要から必要を判断してくれる。次からはまたそれに応じて必要なデータだけを集める精度をあげていく。開発局にあげるデータとはまた別に、一季へ抱いた強い愛情とあの衝撃の一瞬だけは、自分の中にとどめておいた。
涼風は、一季が自分の体を操って何をしているかは知っていた。逢子と会うのだ。一季に恋した自覚を持った涼風にとって、妹分の逢子は恋敵にも等しい。許すしかなかったのは、開発者の命令には背けないということと、すでに一季と身をひとつにしているある種の優越感から。逢子のデータを遠くに追いやってしまったことで、妹分へ抱く愛情が薄れてしまっていたことには、なかなか気づけなかった。
涼風は一季の内部から逢子のデータと再会するしかなかったが、一季の内部には涼風が目にしたことのない、恋をした女の顔が残っていた。逢子の輝く瞳、愛らしい笑顔を見ると、電脳空間に追いやった逢子の記憶を体に戻したくなる衝動に駆られた。容量がないので不可能だったが、たまに、自分がためた逢子の記憶すべてを抱きしめてしまいたくなった。叶わない分、涼風となった一季に抱きしめられて苦しいとうめきながらも無邪気に笑う逢子に、満足するしかなかった。そのあいだだけは、逢子は恋敵である以前にかわいい妹分だった。
笑う逢子の情報が、途中で途切れることがだんだんと増えてきた。一季が意図的に、涼風が閲覧できないように情報をシャットアウトしているとは気づいていた。開発者に逆らえない以上、涼風に強い要求はできなかった。
そのころ、逢子が初夜を新たな男性に捧げる機会が訪れた。同じことをまた繰り返すだけだろう。涼風はそう結論づけたが、逢子が一季を忘れるちょうどいい機会だ。応援すると涼風は彼女に告げるつもりだったが、一季は別だった。
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