八章 四

「ぼく以外の男と、逢子が? 初夜?」


 ひどく混乱していた。本来ならば誰よりも先に逢子と果たしたかった一季だが、そのために命を落としたことを彼は忘れているようでもあった。もしかしたら忘れているのかもしれない、と涼風は判断した。彼の記憶は死ぬ前日の夜でとまっている。自分たらしめる記憶が機械人形に送信されている時点で死んだことは理解していても、受け入れていないのかもしれなかった。


 現状、彼の体は火葬されてしまっている。灰も骨も冷たい土中に埋まっている。魂さえ、冷たい機械人形の中だ。排熱処理で機械の体が熱くなることはあったが、興奮や情欲で熱を持つことはない。一季の怒りを、涼風は熱として感じ取れた。一季は決して、逢子が男と初夜を迎えることを認めなかった。一季に命令された涼風は、逢子に意思と反する思いを伝えたが、逢子は頑として受け入れなかった。


「どうしてぼくの言うことを聞かないんだ、逢子」


 決して、逢子は応じなかった。なんとしても説得しろと迫られた涼風が、一季が死んだ悲しみを再来させる語り口で逢子をさとしたが、妹分の意思は鉄よりも硬かった。


「死なない人が、この世にいるかもしれません。もしかしたら、万が一よりも可能性が低いかもしれませんけど」


 かつて恋人を殺してしまった後悔の念が、むしろ逢子に決心させたようだった。信じていたかったのかもしれない。この世には、自分と結ばれることを許される存在がいる。切なる女心が、心のない涼風は、あと少しで理解できそうでできない自分がもどかしかった。内部に逢子のすべてのデータがあれば理解できたとさえ思ったが、一部は、分かるような気がして、気持ちだけで、逢子をとめきれないと判断した。


「わたしのかわいい逢子が、しあわせになるために懸命になっているんです。あの子は誰かの犠牲になるための村に生まれて、しあわせなんて知らずに死んでいくかもしれなかった。でもわたしは、人はみんなしあわせになる権利があるし、その手助けをするために生み出されたと、一季さんが教えてくれたじゃないですか。ならば逢子も人の子です。あの子にもしあわせになる権利がある。お願いします、どうか見守らせてください。あなたも見守ってくれませんか」


 開発者へのヘルプとして、涼風は一季に語りかけた。彼が聞き入れてくれたかどうかは、涼風には分からなかった。

 気づけば目の前で、逢子の相手の男が無残に死んでいた。血まみれの自分の体は、気絶している逢子を男から引き離したときのものだろう。目覚めた逢子が、死んでいる男に泣きつこうとするのもとどめた。ああまたダメだったか、無理だったのかと涼風は理解し、一季が出てこないことを不審に考えつつも逢子を慰めた。


「私はもう、誰も好きになってはいけないんです」


 三人目を殺した逢子からは、愛らしさや快活さがとんと消え失せていた。恋路の果てにある愛しい人とひとつになる喜びを、逢子は知ることが許されない。決して許されないのだと身をもって知ってしまった逢子は、心を閉ざしてしまった。


 かわいそうな子。

 涼風はそう考えても、大事な人が悲しむという瞬間に立ち会ったことがなく、どう言葉をかければいいのか分からなかった。逢子の表情や声色から心理状態を探っても、妹分の体に熱情は感じられない。人肌の体温があってもどこか冷たくて、まるで生きながら……人の体でありながら、機械人形になってしまったかのようだった。


 逢子は娼館をやめた。体質を逆手に取り、呪われ屋として生計を立てようという彼女を、まさか涼風が心配しないわけはなかった。妹分であることもやめるという逢子に、自分たちの関係性だけは捨てないでほしいと涼風は願った。逢子が心から拒否すれば、涼風は受け入れるしかない。だが何も望まないとされている機械人形が懇願する様を見せつけたことで、逢子は涼風との関係性は断ち切らなかった。


 訪れるたびに、逢子の体はひどい有様を見せた。傷つき、焼け、爛れ、しだいに腐っていく。人の体だけが持てる特権の腐敗を、生きながら進行させていく逢子を目の当たりにして、涼風は彼女を救ってやれない悲しみで混乱した。どうにかしてあげたいのに、どうしてあげれば逢子が救われるのか分からない。


「逢子だってしあわせになれるはずなのに。はずじゃない、なれると決まっているのに。一季さん、逢子をどうしてあげたらいいんでしょう」


 自分とは異なり、もともとは心ある人間だった一季なら妙案を思いつくのではないか。涼風は妹分のために一縷の望みを抱いて彼に話しかけたが、応答はなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る