六章 四

「人工陰茎が完成するまではもどかしかったよ」


 うつむいた逢子が、彼の胸にひたいをこつんとぶつけた。髪をすく指先が頭皮に触れる、わずかな接触に胸が高鳴った。思い出せる、これは彼の癖だ。涼風ではない、これは一季の仕草だった。


「代わりに道具を使っても満たされる度合いが違う。下半身にそれをつけて君を貫いたときの感覚、たとえようがなかったよ」


 機械人形は快楽を感じない。これがそうである、と一概にデータとして記録できるものではないと教えるほうも難しいせいだ。たとえ三大欲求であろうとも、食事を快楽と考える人間もいれば口に入ればみな同じと考える人間もいるわけで、快楽はやはり人それぞれ。個性がない均一な機械人形に、どれが快楽でどれがそうでないかの判断をさせることはとても難しかった。


 一季は、もともと人間だった。そのために、恋人と結ばれた瞬間を体が感じ取り、魂にまで響きを与えてきた。肉体を捨てたむき出しの心に直接浴びせられる快楽は、生身の人間が感じるものよりもはるかに大きかった。


 ようやく逢子とひとつになれた!


 自分の支配下に置かれ、伏せ、されるがままに喘いでいる。ああなんて愛しいのか。髪を振り乱すうなじのおくれ毛に噛みついてむしり取ってやりたかった。腰を左右に揺する骨盤に添える手の内側に、己が入っているとは信じがたいこの細さ。体を独占している愉悦が大津波となって押し寄せた。


「どれも、どんな姿の君も、とても美しかった」


 恥じらいですっかり身悶えた逢子は、うつむいたまま頭を振った。


「逢子、ぼくは今でも君を愛しているんだ」


 手首をつかまれた逢子は自由を奪われた。ずいっと、顔が近づいてくる。涼風の――満月の瞳の奥には一季がいて、逢子をのぞきこんでいた。


「君はどうだ。ぼくのことをまだ、もちろん愛してくれているよね」

「私は」


 あ、違う。


「あの男か」


 機械人形が顔に貼りつけている、喜怒哀楽に応じた表情筋のセンサーが偏る。しわの寄せ方を調整し、表情を形作る。右と左の眉頭がぶつかろうとしてそりあがった。口角は定位置におかれる。これからどんな言葉でも瞬時に吐き出せる位置についた。目は両方とも、焦点を定めずに中央にある。眼振がかすかに生じた。


 怒りへの豹変。


 逢子は、間違えたと思った。思った、という時点で間違えていなかったとも思った。

 私も。すんなりとそう答えていたら、自分はまだ一季を愛していた。確信が持てた。私に続く接続詞が、私の意思はと答えているだけでもう、そうではないのだと表明しているも同じ。


「あんな男がいいというのか」

「待って」


 手首を絞める、涼風の細い指はひものように食いこんできた。呪いによってハリをなくした皮膚は、引っ張ればすぐに破れる。裂け目が友を呼び、手首から先の皮がずるりとむけてしまいそうだ。


「君はそうだ。心変りが激しい。ぼくがこんなに一途に想い続けているというのに、裏切るんだ。ぼくを一生愛すると口にしておきながら、ぼくが死んですぐ別な男と初夜を迎えようとした!」


 否定しない逢子に、一季が涼風の体で唇を重ねてくる。無理に強く舌を差しこんできた。首を限界まで上向きに折り曲げて、逢子は応じていたつもりだった。これで彼が満足するのなら……。


「げほっ、おえっ……げっぶえっ」


 一季は、逢子が口内にあふれさせる唾液で窒息しそうになってもやめてくれなかった。二人をつなぐ唇のすき間から逃げ道を見つけた空気と唾液が吹き出される。逢子が求めた酸素は一気にのどへと向かい、つられて唾液が気道に侵入してくる。むせった逢子は我慢できず、拘束してくる体を突き飛ばした。


「やっぱり、君はぼくを嫌っているんだ」

「ちがっ、えほっ」


「それならあの男だって殺してやる。ぼくから君を奪おうなんて男は、みんなみんな殺してやる」

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