七章 四
「逢子」
声が呼ぶ。
今まで逢子を恐怖の底にまで追いつめていた声とは違っている。
鈴が転がるような、心地よさと安堵をくれる響きが耳に残る。女がうらやむ理想的な、逢子が再会を待ち望んでいた声だ。
「姉様……?」
「そうよ」
声色は変わった。逢子を女としてひたすら見つめてきたあの視線も消えている。
緊張が解けた。ほっと胸をなでおろしたとたん、両目からあふれだす涙がとまらなくなった。
「姉様のっ、中に、いるんですかまだ、あの人」
「一季さんね」うなずく逢子に、彼女は答えた。「いるわ。今はわたしが抑えこんでいるの」
「いつから、姉様の中にいたんですか」
「死んですぐよ」
「どうして教えてくれなかったんですか」
「開発者に黙っているように命令されて、従えないほど不出来な機械人形じゃなかったの」
涼風に抱き起された逢子は、ひんやりと冷たい土間の上で正座を崩した格好となった。涼風に向かい合うと、彼女の袖が涙をぬぐってくれる。
「あの人が何を望んでいるか、分かるでしょう」
分かりたくない、が本音だ。分かってしまった今、あんな人はもう自分が好きだった人ではない。
「自制心も理性もないの。一季さんはもう、いうなれば機械人形の一データ。はじめこそ心だけで移動してきたようだったけれど、機械人形に身を置くうちに、そんなものは溶解して消えてしまったんだわ」
心は人の体のどこに存在するのか。様々な学者が検討し、研究し、議論に明け暮れた。ある意見として、心とは一か所に集合しているものではなく、この体全体が心なのであると主張する学者がいた。肉体を失った一季はもう、心も失っているに等しい。
だから、かつては恋人だった逢子にすらあんなことをする。同意もせず、この体内に――考えるだけでおぞましい。細胞のひとつひとつもいまだに震えを残しているようだ。彼の精子をこの体が吸収し、体内をめぐっていると想像するだけで恐ろしい。彼の射精が全身に行き渡り、呪いとなって現れた。
表面的とはいえ、涼風がこの体に戻ってきてくれた。おかげで逢子の体に生じる呪いの傷跡も腐敗も、どうやらとまってくれたらしい。進行することはなくなったが、一度負った傷はそのままだ。針を突き刺したまま体をかき混ぜるような、ぢくぢくとした痛みは残る。だが恐怖が消えてくれただけでもありがたい。
「逢子、あなたは一季さんをその体質で殺してしまったわね」
今ならもう、すんなりと受け入れられる事実だ。むしろ殺したことで恨まれていたほうがよっぽどよかった。
「でもわたしは、あなたが一季さんを殺してくれたことにとても感謝しているの」
「え?」
おかしなことを言う涼風の表情は、とても穏やかだった。たった今、自分の開発者を殺してくれてありがたいと口にしたとはとうてい思えない。人ならば、そんなすぐに感情のスイッチを切り替えられない。
機械人形ならではの無感情――いや、感情がないのなら切り替えなんてできやしないではないか。
ならば、彼女のこれは、なんだ。
「逢子、あなたはいいわね」
涼風に引き寄せられ、背中に腕がまわされる。彼女の体に抱きくるめられた。互いの頬が触れ合い、肌のハリを堪能したあと、唇もまた同じようにくすぐりあった。先端がぶつかりあい、こすれ、ぴんとはじけた。たわわに実ったザクロがはじけ飛ぶように、真っ赤で真っ赤な唇が楽しげにじゃれあう。
「だってあなた、生きているんだもの」
涼風が軽く体を引くことで、二人のあいだに距離が生まれた。支えを求めて涼風に手を伸ばすと、彼女もまた逢子に手を貸してくれた。
倒れぬように、ではない。涼風の指。先ほどまでは一季の一部だった指も、表に出るデータが変わった今では涼風の指だ。逢子の豊満な胸のあいだからみぞおちをすべり落ちると、一気に恥部を覆う茂みに突入する。薄い恥毛をかき分け、その奥に向かう。茂みが隠す熟れすぎた果実を、指が摘み取りにかかった。
「……なんで、姉様っ」
「うらやましいのよ」
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