九章 三

 脚を立てて背を伸ばした魁人は、懐に手を差しこんだ。引き抜いた彼の手に握られていたのはグロック18、一丁の拳銃だった。魁人が照準を定めるわずかなあいだに、逢子は首を無理やりひねって後方を視界に収める。

 右耳と左耳に一直線の通路を作り出すような衝撃音が鳴り響く。一発、二発。銃弾は外れた。敏捷な機械人形がなんなく避けてしまったせいだ。愛玩用にも自己防衛機能はついているらしい。

 三発目になって、ひたいに命中した。人ならば内部にみっちりとつめこまれている脳しょうを吹き出していた。あいにく向こうは機械人形で金属製の体だ。グロテスクな展開には至らなかった。

 弾丸をたった一発受けた機械人形の体は、関節から崩れ、地面に伏せてしまった。


「姉様……」


 見た目だけでも涼風の機械人形に、逢子は近づきたかった。体を起こす力もない自分がもどかしい。きびすを返して、なんて俊敏な動作もできないが、戻りたかった。首の痛みは警告なのだろうか、ぢくぢくと痛む。風が肌をなでるだけで、縄となって首を絞めつけてくるようだった。


「よし、立てるか」


 拳銃を懐にしまった魁人に手を差し伸べられ、逢子は地面と別れた。腰を支えてくれるあたり、紳士的ではあるが、自分が何をされたか見透かされているようでひどく恥ずかしい。


「涼風なんだな」


 何をと問うまでもなく、逢子はうなずいた。うなずくまではなんとも思っていなかったのに、首を曲げ、頭をもとの位置に戻す頃合いになったら、感情の制御ができなかった。


「姉様も、恋をしていたっていうの、一季さんに。あの人の子どもが欲しくて、でも姉様は、そんな体じゃないから」

「生身の体を求めたのか」


 実行した涼風は、手に入れてしまったのだ。一季を思うがあまり、彼女は望んだ肉体とは異なるものの、人である確固たる証拠の心を得た。それはまだ生まれたばかりで、とてもとても小さくて、これから育てられていくものだった。理性や自制心はまだ備わっていなかった。


 心を手にしたうれしさで、涼風は舞いあがっていたのだろう。心が生まれたことで、欲望も覚えてしまった。


 恋しい人との子どもが欲しい。

 子どもを宿すための体が欲しい。

 叶えるためにはどうすればいいか。


 理性がなければ倫理もない機械人形。永遠の命を持つ代わりに命の尊さを知らない機械人形は、人を殺すことが理解できなかった。人の体は過度の力がくわわれば死ぬ、計算上では分かっていたはずだ。だが心が分かっていなかった。生まれたばかりだった彼女の幼い心は、死を理解していなかった。人でさえ、まだ理解していない死を理解なんて、できるはずもなく。

 だから、人の頭を引き抜いた。その体に自分の頭をくっつければ、そうすれば、人間の体、女の体は自分の体になる。


 晴れて自分の体となったこの人間の肉体で、一季と恋人になろう。

 セックスをしよう。

 子どもを宿してもらおう。


 滑稽だ。

 それでいて、なんて一途なのだろう。


 銃声を聞きつけて周囲に集まりはじめた人々の合間から、男型の機械人形が出てきた。紺色のジャケットは個体の種別を表す特徴だ。警備用機械人形に魁人が事情を説明する。すぐに開発局の人間を寄越すように命令された個体が、無線通信で救援要請を飛ばす。

 そのあいだ、逢子はずっと魁人の羽織をつまんでいた。魁人の手も逢子の背中にあった。逢子の目は、しかし倒れ伏して動かない機械人形に向けられていた。


 ぴくりともしない。吹きさらす風が、髪を揺らすことさえない。


 さみしかった。

 魁人が警備用機械人形と話を一段落させたところで、逢子は袖を引っ張った。

「もう、姉様は動かないの?」

「そんな泣きそうな顔をしないでほしいな。さっきのはただの拳銃だよ。愛玩用っていうくらいだから、外装は弱いと思ったんだ。四肢の動きを司る中枢を狙って発砲しただけだから、人でいうところの意識はあると思う」


 説明をしながら動く魁人につられて逢子も歩く。機械人形に近づきがてら、逢子は機械人形の内部に一季がいたことも伝えた。


「電子的な憑依が不老不死のタネってわけね、よく考えついた」

「私だって殺されそうになったとき、死にたくないって思った。でも、私はあんなふうになってまで生きていたくない」

「俺もだよ」


 悲劇が伴う不老不死は、限りある命を持つ者の羨望と嫉妬が生みだした物語なのかもしれない。人が永遠の命を手に入れるには代償がつきものなのだろう。心ある人として生まれついた人間は、永遠の命など手に入れるべきではない。

 魁人に立ちどまるよう制された逢子は脚をとめた。魁人が一人、機械人形に近づき、かたわらに膝をつく。そっと、指の背で涼風に触れた。


 ふわっ


 黒髪が風で浮く。

 違う、静電気だ。

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