九章 六

 不必要な優しさを垣間見せながら、機械人形は逢子から体をはなした。倒れている涼風を、背中と膝の裏に腕を伸ばして抱きあげる。動けない逢子のそばに、涼風が連れてこられた。激痛と鈍痛が交互に見舞う脚に意識を奪われていた逢子は、すでに意識がもうろうとしていた。脚の太い血管でも傷つけられたのだろう。外傷の失血が著しかった。呆然とする頭に深く考えられるほどの意識は保てなかったが、眼球を動かし、近くに来た涼風に視線を送った。涼風が口を動かしていたが、あまり聴覚には入ってこなかった。


「ダメ、だめ、逢子、逢子死なないで、お願い、逢子、ああいや、逢子、死なないで」


 何が行われるのか、血が足りない頭でも逢子には想像がついていた。大衆に見せていいものとはとても思えないが、抵抗できる余力はもうない。


 幸運だと、逢子にはひとつだけ思えることがあった。

 いちばん見てほしくない人は、倒れて動かないままだった。


「一季さん、一季さん! お願いします、お願い、逢子をこれ以上苦しめないでください。お願い! わたしならなんでもします、だから」

「だって君さ、ぼくを裏切っただろう。ぼくが開発した機械人形がぼくを裏切るなんてありえない。あとで君のデータは電脳中枢のものも含めてすべて削除してやる」

「なんだってしていいですから、わたしなら壊されても消されても何をされたって」

「機械人形のくせに自己犠牲を語るなよ、人間の特権だぞ」


 鉄柵によって上体を支えられた格好の逢子の脚を、機械人形が左右に押し開いた。鉄の棒はいまだに突き刺さったまま、無理くり動かされる脚から送られる痛みの電気信号は強烈だった。これで死なないなんて、人間の体って意外と頑丈なのねと逢子は思った。


「お願いします、お願いします! もう逢子にひどいことをしないで、このままじゃ逢子が死んじゃうわ」

「ひどいことなんか何もしない」一季は涼風の着物を脱がせながら答えた。「逢子がずっと望んでいたことをしてあげるだけだ」

「もう逢子はあなたなんか好きじゃないのよ!」

「黙れ、機械に何が分かる」

「あなただって同じじゃない! 今のわたしと何が違うっていうの!」


 いつまでも噛みつき続ける涼風に、機械人形が舌打ちをした。機械人形にそんな機能はつけられていない。だからこれは、一季だった。

 涼風の頭をわしづかみにした一季は、もう片手の四本の指を口に差しこんだ。あごには親指を添えた。理解しがたいと、涼風が彼を見上げる。


「いやあ……」


 逢子は泣いた。

 一季は両手の位置を引きはがすように、涼風の顔からあごをむしり取ってしまった。

 あの美しかった涼風が、破壊されていく。顔の半分を失ってもなお美貌は誇れる涼風だが、彼女の様々な表情を知り尽くしている逢子だからこそ、悲しみが深い。病に冒されてしまった薔薇など、治療するくらいならいっそ枯らしてしまうべきだ。

 散りゆく花びらのように、逢子がはらはらと涙を流す。一季は逢子の悲しみに、もう目もくれなかった。


「開発者の命令だ、涼風。ぼくは今から君の体に入る」


 無線通信を使った憑依現象。警備用機械人形に入っていた一季は軽く目を伏せ、実行を試みた。

 すぐに開かれた目が、いぶかしげに涼風を見やった。今一度舌打ちを繰り出すと、「くそっ」と涼風の体を蹴り飛ばした。「断固としてぼくを受け入れないつもりか。それでもかまいはしないんだよ。君が逢子にぼくの精液を注げばいいだけなんだからな」


 涼風の体を背中から支えて扱い、逢子に覆いかぶせようとしてくる。思うように動かない涼風に、一季は四苦八苦していた。苛立たしさで涼風を殴る一季を見ては、逢子は涙をこぼした。家族すら守れない非力な自分に、生きている価値はあるのか。

 一季が左手で逢子の傷ついた脚をつかみ、引きずりよせる。痛いとわめいたって、どうせ彼はやめてくれない。諦念が広がっていく。彼の右手は、涼風の脚のあいだにぶらさがる陰茎を握りしめていた。外部からの圧力を計るセンサーが内蔵されている陰茎は、四肢を動かせなくなった涼風の体であっても、その部分だけは別の生き物のように膨れた。


 あごを失い、開かれたままの口から声を発せなくなったとしても、涼風は、その頭に入っている電子回路で必死に命令していることだろう。逃げて、と。逃げて逃げて、逢子逃げて。四肢の自由を失った涼風ほどではないにしろ、ねえ姉様、私の脚ももう、動かせないのよ。声すら失った涼風からは、感じ取れるものがもう何もなかった。今の涼風からは何も伝わってこない。声すら聞こえない。彼女の美しい声を、逢子は忘れてしまった。どんなに大切に思っていても、この世に残された人間は死人の声を真っ先に忘れてしまう。


 死んだ。大切な姉様も死んでしまった。

 私が殺した。

 何人殺した。私は、私の存在のせいで、いくつの心ある命を殺しただろう。

 もういやだ、生きてなんかいたくない。

 大切な人たちの死を、見せられるくらいならば。

 横目で見た。一季の手によって、脚に刺さる鉄柵がなくなったそこからは、死んでいった娼婦たちの手招きが見えた。誘ってくれている。逢子を、おいでおいでと呼んでいる。


 叶わぬ恋に身をやつした者同士、分かち合おう。


 ――あなたはどうしたの? どうして恋が叶わないの? どうして叶えられなかったの?


 私は、好きになった人をみんな殺してしまうの。家族も、恋人も、絶望から救ってくれた人さえ。……もう、誰も殺したくなんかないのに。


 ――そう、じゃあいらっしゃい?


「逢子!」


 涼風の扱いに手をこまねいている一季の、隙をついた。自由を失っていた脚だが、左足はまだ神経も骨も靭帯も生きていた。軽く、でよかった。涼風の体を蹴り、四肢を扱えずにバランスを崩した彼女の体に手を焼く一季から、猶予を奪えれば。


「やめろ、逢子やめるんだ!」


 開かれた鉄柵のすき間から、逢子は飛び立った。

 落ちる先が溝の中と分かっていても、堕ちた先では受け入れてもらえると信じて。


「やめてくれ、戻って来い逢子!」


 私はあなたに開発された機械人形じゃない。

 だから、命令を聞く必要なんて、もっとないの。


 私は人だ。

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