六章 ニ

 体がまた、呪詛に反応して痛みをもたらしてきている。あちこちに勝手に擦過傷が生まれる。冬場の乾燥肌が悪化するように亀裂が入っていく。


「相変わらず、痛そうだ」一季が忌々しげに眉をひそめた。「やっかいな体質は、どうしても変えられないのか」


 ぢんぢんと、鎖骨を覆い隠していた皮膚が悲鳴をあげる。煙草の先端を、皮膚に触れるぎりぎりの瀬戸際まで近づけられて、表面だけあぶられるような焼け爛れる疼痛がする。


「聞いていたよ。その体の呪いは、ぼくが君へ向けた言葉のせいなんだってね」


 いつから、涼風は、一季だったのだろう。


 そもそも、いつから彼は涼風の中にいたのだろう。なぜ今になって、出てきたのか。本当に、魁人が自分に好意を持ちはじめたから、恋敵と会うべく出てきたのか。


「ぼくは今でも君を好きなんだってことを分かってもらいたかっただけなんだ。逢子、ごめんよ。呪うつもりなんかなかったんだ」

「分かってます。一季さんがそんなひどいこと、私にするはずないですから」

「するわけがない」


 痛む体を、涼風の体で一季が抱きしめてくれる。やわらかな乳房や丸みを帯びた涼風の体は、ひょろりとした一季の体とは違う。彼の体はもっと骨が浮いていた。ちゃんとご飯を食べてほしいと、涼風のメンテナンス中だった彼に言葉をかけた。自分を見てくれない嫉妬心もあって、会話をしてほしいとねだったつもりだったのに、食べていても肉がつかないんだと一季はさらりと返してきた。まるで女の敵。逢子はますます膨れて、その日は一季としゃべらずじまいだった。……ああ、思い出せる。そんな小さな言い合いさえ、まだこの脳は記憶していた。彼が死んだ悲しみを忘れるために、そんなささいな思い出ごと封印してしまっていた。


 目を閉じて抱かれれば、ああこれは一季の体だと思いこめた。

 はじめて恋をした人。殺してしまったと思っていた。でも今、彼は――。


「ぼくは生きているよ、逢子」

「私があのとき」

「いずれ朽ち果てる肉体だったんだ。あんなもの、ぼくには必要なかったんだ」


 逢子が頬から垂らした一滴の血を、一季が舐めとった。涼風の舌だ。生命力なんて欠片もないはずなのに、なぜだろう。シリコン製の舌は、逢子のラズベリーソースに似た血を乗せ、外側から彩られたためだろうか。毒々しい赤みを帯びている。


「御加護に守られている逢子を抱くには、生身の体なんていらなかったんだ。一度死ぬ必要があったんだよ。逢子を抱くには、ぼくは死ぬしかなかったんだ」

「死んだ……のは、本当なんですか……じゃあ、でもどうして」


「生前の僕は自分を自分たらしめる記憶を電気信号に変換して電脳中枢に預けておいたんだ。将来的に死が近づいてきたとき、自分の記憶を機械人形に装填する予定だったんだ。もう少し機械人形の開発が進歩したらと考えていたんだけど、君とのあれで死ぬ可能性もあったから実行しておいたんだ」


 悪いほうの想像どおり、事は運んだ。ある意味では不運だった。しかし備えがあったおかげで、彼は望みどおりに肉体だけを喪い、死なずに済んだ。意識だけを、機械人形たちが情報交換を行う場、彼らだけの電脳空間へと移動することで生き永らえた。


「ぼくは、さてどこの機械人形に入りこもうか悩んだ。できれば君のそばにいられるといい。そして自ら体に改良をくわえられる個体がいい。考えあぐねた結果、涼風の体に意識を送ることにしたんだ」


「じゃあ、死んでからずっと、私のそばにいてくれたってことですか」

「実はそうなんだ」


「ひどい」逢子は恋人のように胸板をたたいた。「言ってくれたらよかったのに。私がどんなに泣いたか、じゃあ、ずっと見ていたんでしょう」

「ぼくのために逢子が泣いていると思うと、とても愛しかったよ」


 一季は慰めに、逢子のひたいにキスを落とした。涼風のやわらかな唇が触れるだけで、逢子の皮膚は熟れ過ぎたイチゴのようにしわが寄った。


「だから、涼風の体を借りて君を慰めた」

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