六章 一

「逢子」


 涼風の愛撫を堪能させられた逢子は、口内からだらしなく唾液をあふれさせていた。短い呼吸を絶え間なく続ける。ようやく、平素の呼吸へと戻りそうな矢先。


 声が落ちてくる。


 機械人形開発局の技術者たちが、女性たちの音声データを集めて魅力的な声を解析し、形状を造りあげ、涼風に取りつけた人工声帯。女性が生きていく上で必要とする、もっとも高い声、もっとも低い声が発せられる。人となんら変わりない性能を有している。

 低い、女性の中でも特に低い……一瞬、男声と聞き間違えてしまうほどの低い声が、逢子の耳に届いた。


「逢子、ぼくが分からないのか」


 違う。違うと訴えてくる。脳が、この声を知っているだろうと逢子に語りかけてくる。自分の中の女が求めている。理性は、偶然か、死んだ人間の声がするわけがないと反論するが、この世は少数派の意見などたやすく押しつぶされる。

 知っている。私はこの声を知っている。涼風の音声データが出せうる限りの低い、男性のような――違う、これは男性だ。逢子がよく知る、男性の声だ。


「うそ」


 人は、否応なく死んだ人間のことを忘れてしまう。中でももっともはやく忘れるのが声だ。なぜ声なのだろう。死人は決して声を発さない。会話ができない者は、コミュニケーションが取れない者は、自分たち生きている人間とは異なる存在なのだと分からせるためだ。死んでいるのだと、改めて、死を突きつけさせるためだ。


 逢子もあのとき、あれが彼の最期の言葉だと思っていた。天涯孤独の逢子を、自分のそばに一生おいてくれると誓ってくれた。あれが、あの声が最期で、そしてその声を、自分はもうほとんど忘れかけていた。


 私は生きているから。


「嘘じゃないよ。逢子、分かるだろう」


 分かる、分かる分かる分かる。でも、どうして? 疑問が脳内を占めて言葉にならない。驚愕の悲鳴と同時に出ていく吐息ばかりが多い。すべて吐き出して、酸素不足となってしまわないように口を手で覆った。思考を働かせるには、吸わなくては、頭をまわさなくては、何もかも受け入れられない。


「一季、さん?」

「やっと呼んでくれたね」


 肩の後ろに腕をまわされ、抱き起こされた。はだけていた胸元も、涼風の前では惜しげもなくあらわにしていたが、相手が一季では別だ。羞恥に身をよじり、布をかき集める。

 一季はいたずらに笑った。


「もう何度も見ているんだよ。そんなに恥ずかしがることはないだろう」

「見ているって」


 理屈がよく分からないけれども、一季は今、涼風の体になっている。彼女の目には何度もこの裸体をさらした。だが、元とはいえ恋人の一季に肌を見せたことはない。いくらなんでも、その体が涼風だからといっても、意識を取って代わっている一季に見られてしまうのは恥ずかしかった。

 それに、痛い。胸が痛む。一季との再会に、恋心を痛めているわけではない。魁人を思い出しているからでもない。

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