四章 五

「だから、一季さんは死んでいるの」

「いいことを教えてやろう。心して聞け。言葉ほど強い呪いはない」


 拝み屋が言う。


 たとえば、生きている人間が発する言葉には、はなった人間の思いがこもる。言葉の意味に沿った思いならばなおのこと、受け取る側には伝わりやすい。愛しているという言葉ひとつ取っても、恋人が発言するか通りすがりの他人が発言するかでおおいに異なる。受け取り手には言葉を受け取る自由もあるので、恋人の言葉だけを選んで他人の言葉を捨てる自由さえある。さらには受け手が抱く、恋人に対する信頼や態度、そのときの雰囲気も含めれば、「愛している」の言葉ひとつをとっても意味は無限大に広がっている。


 本当に私を愛しているの? 女が男を疑う理由ともいえた。


「死んだ人間となると、そうはいかなくてな。言った側は愛情の気持ちをこめているのかもしれないが、死人に感情や心はない。マイナススタートだ。何かを想い、感じ、生きている者に伝えようとした時点でそれはあまねく呪いの言葉となる。生きている受け取り側にその思いがこもった言葉が伝わることもない。なぜなら死人の思いなんて生きている連中にしてみれば、生きていく上じゃ不要なものだからだ」


「じゃあその一季ってやつは死んで、まあ細かいことはいわずに、どこかに魂があるのだとしよう。そいつがどこかから逢子を見ていて、今でも恋い焦がれているってことか」

「これが恋い焦がれるってレベルなら、そいつはもうとっくに煮つまって炭化しきってる状態だ。仮にその野郎が生きている人間だとしても、狂気に該当する強い意志がある」

「生きていても、逢子を殺して独占したい域ってことか」


 生きていても。

 けれども、逢子は知っている。


「あの人は死んだの。それだけは、私は目の前で見ているから知ってるの」

「死んだのはいつの話だ」

「もう二年も前よ」

「微妙な年数だな。どうして二年も音沙汰がなかった。今さらあんたが好きだったことを思い出したとでもいうのか」


 美静があごに手を当てて首をかしげた。尋ねられても困る。なぜ彼は、二年ものあいだ、そうした思いを伝えてきてくれなかったのだろう。まさか本当に、ずっと忘れていたとでもいうの? その程度の愛情しかなかったということになってしまう。生きていたら狂気に達するほどの愛情で、こうして自分を苦しめたというのに。ただ単に、死人が生きている人間に思いを伝えるための方法がなかったという、そんな答えならいいのに。


「月の障りからと考えても、ここ一週間ということか。そのあいだに何か変わったことはなかったか」


「ある」答えた張本人が主張する。「俺はどうだ。俺が逢子にちょっかいをかけるようになったから、じゃ弱いか」

「厄介な男は女よりも嫉妬深いからな、それだ」


 ようは、恋敵。

 死んだ一季にとって脅威となる存在は、逢子と同じ世界を生きている男だ。魅力的な容姿を持ち、逢子の腐った体に恐れをなさず、愛情を抱き続けている男が現れたとすれば――なるほど、一季の行為も理解できないことはない。


 と、美静がわざわざあごを上向きにして、魁人を侮蔑するように見おろした。


「つまり、お前がちょっかいをかけなければ話は終わるんだ」

「断る」

「惚れた女が元カレの呪いで苦しんでもいいっていうんだな」

「それはいやだ。なんとかしてくれ」

「どこにいるかも分からん未練がましいバカにどう説得を試みろっていうんだ」


 二年ものあいだ、死んだ彼はどこにいたのだろう。こんなところにいる自分を、どこか遠くから見守ってくれているとは思えない。彼ならきっと、近くにいる。存外、思ってもみないほど近くにいるのかもしれないと、狭い室内を見まわしてみる。引きつけはするが、呪詛も幽鬼も実体化しては見えない逢子の目には何も映らなかった。


「逢子」


 魁人に呼ばれて振り向き――姿の見えない一季以上に近くにあった彼の顔が、何をしようとしていたか。標的として定められていた自分の唇を感じ取った逢子は、ためらいなく右手を振り切った。なめらかな頬に手のひらが密着し、肉の奥にあるやけに固い人骨に一瞬触れた感覚も味わいつつ、はじいた瞬間の音は痛快極まりなかった。


「ざまあみろ!」


 美静は腹を抱えて笑っている。幼なじみを心配する素振りなどみじんも見せない。


「なんてことするの。さっきの私の話を聞いていたでしょう」

「聞いていたよ」


 張られた頬を押さえる魁人に、しかし悪気は見当たらない。


「性行為をするだけじゃないの。男の人とはキスもしちゃいけないの。それなのに今、何するつもりだった? 本当に信じられない」

「おそらく俺は、君のそれでは死なないと思ったから」

「バカ言わないで!」


 のどが張り裂けそうなほど力強く叫んだ。


 一季もそうだった。その後に続く二人の男たちもそう。

 自分は、君の御加護から外れた人間だ。君をこんなに愛しているのだから、神様だってお目こぼししてくれるよ。大丈夫、死なない。君を抱けるのは、逢子を愛し尽くせるのは自分だけだ――もう一度たりとも、そんな独りよがりな言葉は聞きたくなかった。


 だってみんな、死んでいったじゃないの。


「美静さん? 今日は本当にありがとう。この男を連れて帰ってもらえる? お金は、きっと高いんでしょうけど、かならず払うから待ってくれない?」

「おれは高いさ。だがおれを頼ったのはお前じゃなくてこいつだからな。こいつに支払わせよう」


 魁人はわめくが、美静は知らんぷりを決めこんだ。土間に広げておいた雑草人形の名残の草を、袋にかき集めていく。意外と話が分かる男だった。ならばもうひとつ頼みたい。


「できれば、この人をもうここに来ないように説得もしてほしいの」

「そうしなきゃお前が死ぬかもしれないもんな」


 分かったか。

 美静に責められ、逢子に求められる。魁人は、決して首を縦に振らなかった。それどころか座敷であぐらをかいて、腕を組んだまま目を伏せている。長いまつ毛がゆっくりと上向きに動き、夜空色の瞳が逢子を見つめてくる。どこまでも深くて遠いと思っていた夜の空が、こんなに近くに感じられる。思わず手を伸ばして、近づいてしまいたくなる。


「死んだ男に添い遂げるつもりか」


 惚れている女に浴びせていい種類の声色ではなかった。


「……そうすれば、もう誰も死なせずに済むでしょう」

「俺が一季の正体を突きとめて説得する」


 今日のところは引き取ろうと、魁人と美静が腰をあげた。戸に手をかけた魁人が先に長屋を出て、美静がついていく。魁人と同じブーツを履いていたその足が長屋の外に踏み出そうという間際、日差しを浴びてきらめく髪が揺れる。眼鏡をかけた顔がこちらに向いていた。


「ひとつ、聞きたいことがある。助けてもらった恩を感じているなら絶対答えろ」

「何か」

「お前の村はどうやって」

「逢子!」

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