七章 ニ

「ちんこはつけてんのにな」

「見たのか」


 昨日、魁人の代わりに逢子の自宅へ向かった美静は、逢子に客人がいることに気づき引き返した。他人の都合に振りまわされることが大嫌いな美静は、待つという行為に人生を利用したことがほとんどない。


「言い忘れてた。この眼鏡には透視機能がついていてな、強化プラ程度の薄さならおれにとっちゃ丸見えなんだ。女同士の行為なら最高だったのに、片方がちんこをつけてたら結局はその辺のオスメスがやってることと一緒だ。クソつまらん」


「よくそんな嘘をぱっぱと思いつけるもんだ」


「話し相手の冗談に乗れないくせに、よくもあれほど女をはべらせられるもんだ」


 ただの眼鏡だと舌を出す男も、黙っていればいくらでも女性をはべらせることができるイイ男なのだ。


「涼風は混乱しなかったんだろうか。自分は女型の愛玩用機械人形なのに、下半身につけられた人工の生殖器が陰茎だったなんて気づいたときには」

「機械人形に人工子宮の装着は法律違反だからだろ」


 かねての人形大戦。いわれはひとつではない。機械人形の誤作動ということで一応の決着はつけられているが、噂話には都市伝説ほどの信ぴょう性を持つものならいくらでもあった。

 人間に恋をした機械人形が、愛した主人との死を迎えたいと願った――心を得た代わりに永遠の命を捨てるしかなかった、機械人形の壮大な心中計画もそのひとつだ。


「恋愛の最果てを死と勘違いした機械人形とはまたロマンチックな話だ、そう思わないか」

「対人保護プログラムに異常をきたした整備不良だ」


 美静はぞんざいに切り捨てる。

 一方、開発局は根も葉もない噂話と切り捨てるには恐れが多かった。この国ではむかしから、人が長く大切に使ってきたものには魂が宿るとされている。付喪神と呼ばれているそれは非科学的で、開発局員の多くは信じなかった。信じる少数派は、信じない多数派を上回る力を持つ幹部職員ばかりだった。


 女型機械人形に人工子宮をつけ、主人夫婦の受精卵を生育させる。出産して終わり、で済めばいい。もしも機械人形が腹に宿した子どもという存在に対し、己から機械人形以上の存在を見出してしまったらどうなる。愛情とともに心を得て、子どもを自分で育てようとしたら、子どもを奪う主人夫婦は敵だ。機械人形がどう出るか。まさかこんな冗談を開発局が懸念したとは、公式な発表はされていない。そういう危惧から、機械人形に人工子宮の取りつけが禁止されている理由があると暗にささやかれてはいる、と開発局から流れてきた者から聞かされたことはあった。


 呪詛であれ幽鬼であれデータであれ、人の誰しもが持つ感情であれ、目に見えないものに、人はまだ強い恐れを抱いている。


「もしもの話だ、美静、聞いてくれ」

「さっきから聞いてるだろ」眼鏡を磨きながらの生返事だった。


「涼風がもし、自分の体についている生殖器が望んでいたものと違っていて衝撃を受けたらどうすると思う」

「ま、そもそも機械人形は何も望まないからな」


 そう、本来ならば。何も望まず、感じず、思わない。考えることはあっても、導き出す答えは大多数派が望む最適解。心のない機械人形、代わりに永遠の命を持つ。


 それでも――魁人は思う。涼風は愛玩用機械人形だった。人を愛するための機械。人から愛されるための機械。多くの男と恋愛のまねごとをしてきた。恋愛とはどういうものか、どうあるものか。数え切れないほどのパターンを経験しただろう。だが、行きつく先はひとつではなかったか。


 置かれている場所も場所だ。人形屋敷街、娼館。そして彼女の職も娼婦。

 涼風は、性行為のなんたるかを知っている。きわめて数多くの恋愛を経験した涼風だからこそ、知識と同時に、経験としても彼女の人工知能には学習が積まれている。愛する男女が相手への好意を、この生まれ持った体で示す最終的な方法はひとつしかない。


 彼女は考えたはずだ。好意を示すための臓器がない自分にとって、必要な生殖器とは何か。女型機械人形である自分にとって、必要な生殖器は陰茎ではない。開発者が体内にいるからと、彼の勝手でつけられてしまった陰茎を、彼女はどう思ったか。


「想像だけどな。自分は女なのにちんこがある。男なのに生理が来る。望んだ性で生まれてこられなかった連中のように嘆いたんじゃないか」


 もしも涼風に、人のような心があればの話となるが……心がなくても、混乱はしたはずだ。


「混乱して、どうするだろうな」

「おれは機械じゃないから分からん」


 そんなのは自分だって同じだと。いつになく激情がたぎった魁人は反論しようとして、やめた。

 そんなことは、自分たちがいちばんよく知っているのだから。


「分からんが、おれは人間だから、この優しく慈悲深い心からの思いやりをもって、相手がどう思いどう感じているかを慮って考えることはできる」


 レンズを磨いた眼鏡をかけ直した美静が、これまた明後日のほうを眺めた。


「機械が生殖器を望むような理由がおれには理解できないってことがな」

「君に聞いた俺が本当にバカだった」


 心はあっても扱い方が下手な人間も、この世には無数に存在する。代表的な例を目の前にして、魁人は肩をすくめた。

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