九章 ニ

「逢子!」


 衆目を浴びていたことに、逢子は今さらながら気づいた。振り返るのは逢子だけではなく道行く彼らもで、長屋から飛び出してきた涼風に目を見張っていた。人工皮膚の自己修復機能が追いつかないほどぼろぼろで、あちこちの皮膚の裂け目から銀色の内部構造がのぞいて見える。人ならば痛みに共感してもらえる桃色の肉が見える傷でも、機械人形は決して痛みなど感じないからと、むしろ向こうから人間の同情を拒絶する冷え切った色味が、逢子はさみしかった。


 さみしいの? 姉様。


 本当は私も、さみしかった。ずっとそばにいてくれると約束してくれた人を殺してしまった。次も、その次も。もう誰も自分なんかのそばにはいてくれないんだと、あのとき知った。


 気にしないのは無理だけど、一人ではないと肩を抱いてくれたのは人ではなかった。機械人形。金属製の体は冷たいと、何も知らない人は好き勝手に言う。けれど、内部構造が排熱によってあたためられた機械人形にはぬくもりがあった。

 涼風のぬくもりを受けていられるうちは、さみしくなんてなかった。彼女は逢子にとって家族だったから。けれど娼婦になれない自分は娼館にいる資格がない。彼女の前からも姿を消さなければならないと悟って以来、心に穴があいたままの日々が続いた。


 心のない機械人形のようになるところだった。

 そうやって生きていけたら、しあわせだったのかもしれない。だって誰も好きになれないこの体は、どんなに愛しい男性とめぐりあっても最果ての愛情を捧げられない。


 ああ、涼風とおんなじだ。


 データのため、そして機械の体だから。涼風は人の男ととんなに恋愛を積み重ねても、最期を迎えられない。体が許されていない。だって、ないのだから。


 なんてそっくりな姉妹なのだろう。


 涼風の願いなら、逢子はなんでも叶えてあげたかった。何も望まない機械人形の涼風に、逢子は甘えてばかりだった。大戦で失った代わりに、新たに手に入れた家族。姉の、涼風の頼みならなんでも聞いて、叶えてあげたかった。


 でも、でもね、姉様。

 私、まだ死にたくないの。


「逢子、待て! 行くな!」


 泣きながら逢子は走った。頭の中で、何度も謝った。ごめんなさい、ごめんなさい。助けてくれる人を求めて、人形屋敷街に向かった。娼館が立ち並ぶ屋敷街は、生活排水を流す溝に囲われている。だいぶむかしは娼婦に自由などなく、無理やり働かされていた彼女たちが逃げないように、牢獄のような役割も果たしていたと聞いた。

 同時に、救いの水でもあったのだとも教えられた。苦痛から逃れるための水と聞いた、今よりもまだ青かった自分は、毒なの? と先輩娼婦に尋ねた。彼女は目尻をさげて答えてくれた。毒なら、苦しまなくていいね。今はもうそういったことがないように、背の高い柵がつけられ、急勾配がついた五メートルもの下に溝が流れている。

 溝の柵を目指して、逢子は走った。屋敷街への最短距離を考えればこの道だった。時折振り返れば、乳房をあらわにした半裸の機械人形が追いかけてくる。機械人形に疲れはない。足の裏から道のそこかしこに配置されている無線充電チャージ箇所スポットから急速充電を続ければ、機械人形は地獄の果てまで逢子を追いかけることができた。さいわいにも、足の速さは人と変わりないらしい。警備用機械人形や配送用機械人形ならばいざ知らず、愛玩用として人々の鑑賞目的に造られた脚に速さは求められていなかった。


 全身を痛めている逢子は、それでも徐々に距離を狭められていった。いつ膝ががくんと震えて転んでしまうか。先に肩をつかまれるだろうか。悪い想像を振り払って、裏路地を脱出した。

 勤めていた摩天楼の娼館の方角を頼りに、新月溝沿いの道に出た。間違えたと思った。脚に、ひんやりとまとわりつく。溝から伝ってのぼってきた冷気ではない。目を向ければ、幻覚だろうが……黒い人の手が、何本も伸びてくる。

 正体を悟った胸が痛む。これは、ここに身を投げて死んだ娼婦たちの無念だ。どういった理由で身を投げたかは、知らない。けれどきっと、叶わぬ恋に身をやつし、相手を想ったまま命を絶った者もいたに違いない。


「あっ」


 心をかよわせようとしてしまったことが運の尽きだった。

 視界がぶれた。ついに膝から先の感覚を失ってしまった。前のめりになって地面に顔をこすりつけ、絶え間ない血の匂いの中、漂ってくるのは日光を浴びた土の香りだった。どこか深いやすらぎをもたらす芳香に、逢子は体を動かすことをやめた。もうずっと、このままでいたい。動きたくなんかない。死んでも――


「逢子」


 いい。死んでも。そう思わせない声は、軽薄なくせに、どうして強い。


「もう大丈夫だ、安心してくれ」


 なぜだろう、なんて疑問はなかった。なんの根拠もない言葉でも、この人が言ってくれるのなら信じようかと。信頼を、信頼するための力をくれた。

 すがって、いいの? 頼っても。私、あんなに突きはなしていたのに。

 逢子が手を伸ばしても、魁人は手を貸してくれなかった。

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