九章 一
ぶちぶちっ、ぶつっ……
切れた。体は土間にしたたかに打ちつけられる。胸や肩を打つ衝撃は、鼻や頬やひたいといった顔にも続く。痛みが脳に送られる。手当てをしなければいけないと、朦朧する頭が行動を促してきた。痛みを感じた。痛いということは、まだ生きているということだ。
私、生きているの。
この痛みは、解放の歓声なのか。
冷たい土間に、手を、つけた。体を動かせた、起こせた。
目の前では、ふわらんふわらんと揺れる黒髪がある。
逢子を抱きしめていた涼風の体に頭が戻っていた。そんな頭を両肩から伸びる腕がわしづかみにして、上がり框に打ちつける。人ならば、頭蓋骨がへこみそうな強さ。はたからみれば狂気の沙汰だ。人でも機械人形でも、
あれは、どっちだろう。涼風なら、自分を殺そうとする手をゆるめなかった。となると、今ああやって体の実権を握っているのは一季か。自分が開発した機械人形の暴挙を叱っているように見えなくもない。
一季が救ってくれた。けれど、彼だってすでに正気を失っている。この肉づきが薄い腹。一季の手によって体内にはなたれた、彼の子種がささやく無数の愛の言葉は呪いでしかなかった。度の過ぎた愛情、なんて。相手を恋しく想い想われていれば、愛に限度などもうけない。ならば、答えはひとつだ。
私はもう、あの人を好きじゃない。
だから、だから呪いになった。死んだ人間から送られる愛のささやきを、自分はいらないと思った。死んでしまった人間を、もう考えていたくない。死んでいない人間でさえ、もう誰も想いたくないと決心したのだから。
この体では、どんな人物も御加護によって殺してしまう。
だから、だから――土間に乗っている手が、固い土に爪をたてる。
あの男だって、近づいてきてほしくなかった。
でも今、知り合いが少ない自分が頼れる人物は彼らしかいない。人形屋敷街の自警団、第二部隊の部隊長。そんな彼の無二の親友にして拝み屋の男。美静なら、逢子が街中を駆けて体に集めた呪いを祓ってくれる。そして魁人ならば、逢子を求めて確実に追いかけてくる機械人形をきっととめてくれる。職人の男に襲われかけた自分を助けてくれたように、また、救ってくれる。どうか、お願い助けて。好意を受け取っては、あげられないけれど。
殺されかけた衝撃と、その前に受けていた愛撫で腰はすっかり抜けていた。ふらつきながらなんとか、戸を頼りに立った。腰にずり落ちていた帯をてばやく結び直して、機械人形がいつまでも暴走していてほしいと願いながら、家を飛び出した。
裸足で走った。
まだ日が高い。おかげで、日の光を嫌う呪詛や幽鬼は建物の陰や裏路地のひっそりとしたところから、わざわざ飛び出してまで逢子にすり寄ってくることはなかった。それでも残滓をかすめ取ってしまい、全身に傷を負った。逢子が風を切るのではなく、風が逢子を切るように、皮膚に幾筋もの切れ目が入っていく。これらもすべては苦しんでいる何かだったのだ。苦しみの名残。誰かに救ってもらいたかった何かは、母親の手を追いかける子のように、逢子にすがってくるだけ。
けれど、何もしてやれない。
私は誰かに、何かをしてあげられたためしがない。
人を救うための犠牲の村に生まれながら、人を殺してしまった……三人も!
大勢の人間を殺しながら、どうして私はまだ生きている。それだけの数の人を、それ以上の数の人々を救うために私は在るのではなかったのか。
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