一章 五

「逢子、なあに、なんなのこの人……あら、魁人さんじゃない」


 この男とは違い、逢子が求めていた相手だった。逢子がこわばらせていた表情をほころばせていくのに反して、来客の表情は逢子の布団で寝ころぶ男が知り合いと分かってからは、疑問が表情を占めていった。


「少し、いろいろあって」

「いろいろって、どういろいろあればこうなるというの」


 魁人も聞き覚えのある声に顔をあげ、目を疑った。


「涼風、なぜここに」

「逢子がわたしの妹分だからよ」


 そう言って逢子を胸に抱いてくれる涼風を、人を寄せつけなくなった今も、逢子は心から好いていた。

 優しい姉様。逢子がどんな悲しみに暮れているときでも慰めてくれる。


「でも姉様、元ですよ」

「そうね。あなたは娼館も娼婦もやめてしまったから、わたしとの姉妹関係はなくなったわ。でも、わたしがあなたを愛おしく思っているのは、むかしも今も変わらないのよ」


 月の障りがやってきて、元通りの美貌を取り戻した逢子を涼風が抱擁してくれる。はりのある皮膚が体を覆いつくす逢子のひたいに、涼風がバーガンディに染めた唇を落とした。涼風のほっそりとした指先が、皮膚の感覚を思い出させるようになぞっていく。ふふっ、思わず声が折れた。くすぐったかった。ウジ虫の挙動とは違い、逢子の心を落ちつかせるが、女になろうとしている箇所をざわつかせもした。


「そういうわけなの。いい加減に帰ってもらえる?」


 涼風に向けた猫なで声とは一線を画す、冷たい声を逢子がはなつ。さすがにいつまでも男をこの空間に居座らせておくわけにはいかない。

 すっくと立ちあがる魁人を目にすれば、なんだ元気じゃないかと、さてはさっきまでは痛むフリをして観察でもされていたのかと思うと非常に気分が悪かった。


 男なんてもう、さっさといなくなってほしいのに。


「また来る」

「は?」


 涼風に抱かれている逢子に、ぐっと顔を近づけてきた魁人がかけてきた言葉だった。先ほどとは違って壊れ物を扱うような手つきで、男が女に触れるにふさわしい肌の触れ合わせ方で、逢子の腕をつかんでいる。冷たい手。


「家から出られないんだろう。何か欲しいものは? なんでもいい、言ってくれ」

「なんにもいらないけど」

「そんな体じゃ買い物だってできないだろう。食事は? 困ってることはないのか」

「日用品を届けに、こうして姉様が来てくれてるのよ」


 魁人が布団に寝そべっていた光景に衝撃を受けて、涼風は持ってきた箱を土間に置き去りにしたままだ。それでなくとも必要ならば、こちらが体を外に出さずともネットショッピングでまかなえる。家にこもりきりで困ることはめったにない。


「そうか。じゃあ何か君に気に入られるようなものを持ってこよう」

「いらないったら。二度と来ないで」

「今日は帰る」


 急所に受けた痛みを忘却の彼方へ蹴り飛ばす足取りで、魁人は長屋から出ていった。


 今日は、ということは明日以降が知れたものじゃない。自警団の仕事があるから帰らないことはないだろうが、長々と居座られたらどうしよう。これから一週間はまだしも、月の障りが終わればいつものように、呪いの肩代わりを求めて多くの人々が押しかけてくる。そうなったらもう、この体は数多の呪いを受け取って腐っていくのだ。死ぬ一歩手前まで。そうなったら――。


 ああ、そうだ。いっそ見ればいい。この体がどんな醜い有様になるか、目に物を見せてやればいいのだ。そうすればあきらめがつくに違いない。満月も満開も、永遠には続かないのだと、思い知ればいい。


 怖くない悪夢を見ていた気分だった。寝起きの心持ちで、逢子は、しばらくのあいだ思考を上手に働かせられなかった。


「あの人、あれでも第二部隊の部隊長様なのよ。お世話になっているし、わたしも毎日は来てあげられないから、追い払うのは難しいわ。その辺の男と違って」


 まどろむ思考を覚醒させる、涼風の手が逢子の肌をすべっていく。首の浮き出た筋をたどり、鎖骨に沿って形作る皮膚をなでる。肩に至り、その手は着物のすき間に忍び寄る。


「平気ですよ、あんな男。体が腐ったら、悲鳴をあげて逃げていくに決まってる」


 そう、魁人は男だ。それだけで十分、逢子は彼を嫌わないといけない・・・・・・・・・理由になる。


「逢子」


 涼風の、鈴のような声が名を呼ぶ。見上げれば、彼女の唇が降ってくる。

 やわらかい。舌が、逢子のそれと絡まり合う。まだ涼風の妹分だった時分に、見せてくれと大金を積んできた客の前で披露したことがある。女同士の交尾のようだと喝采を受けた。逢子が垂らす粘液を涼風がすすり取る。逢子の唾液をまとわせた彼女の舌が、もっと寄越せといわんばかりに逢子を責める。守りなどとうに崩壊していた逢子はただ、身も心も涼風に侵略されていくのを待つのみ。


「分かっているでしょう、あなた。その体じゃあもう、誰も好きになれないのは」

「……もちろん」


 着物をめくり、逢子の乳房を涼風がなでる。外気から守るように、涼風の手のひらが覆って、つかんでくる。指のすき間からこぼれそうな脂肪の塊は、今にもとろけそうなほどにやわらかだと涼風が褒めてくれる。


「わたしのようなものじゃないと、あなたとは愛し合えない」


 そう、だから姉様を好きになった。

 女性なら。そして、涼風のような存在なら――自分のこの体質は、脅威にならない。

 これでもう、誰も殺さずに済む。

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