終章 三

 陰性。医師から告げられた言葉を耳にしたとき、逢子は改めて安心した。そう思えるほど、一季への愛情をなくしている自分を実感した。

 手術を経た重傷の脚に後遺症はないだろうとのことだった。完治するまで呪われ屋は休業だと魁人に厳しくつめ寄られた。美静には、嫁になって廃業の間違いだと笑われた。休めと諭してるのだと、魁人に通訳された。

 病院に付き添ってくれていた魁人はというと、特注の眼球が製作会社から届くまでは眼帯生活を強いられることになった。意外なことに、魁人には白が似合わない。眼帯ですらあんまりにも似合わないので、美静は顔を向けるたびに笑っていた。口は悪いが笑い上戸らしい。


「目だけ、なの?」

「そんなに気になるなら見せてやる」


 せめて口で言ってくれればいいのに、美静はわざわざ見せてくれた。魁人の手から指を一本、へし折り取ってしまう。ひえっと悲鳴をあげて退きたかったが、折り取られた人の背にいるのだから叶わない。

 美静は逢子の悲鳴を聞いていたくせに、指の断面を見せてきた。人形屋敷街を明るくする外灯に照らされた指から、血が滴ることはなかった。筋肉が人目にさらされる羞恥心で身をよじることもなければけいれんもしない。赤と青の細い糸状のものがあっても、内部を行き交っていたであろうものは何も見えない。そうだろうなとは思っていても、心の準備が伴わないうちに暴挙を働くのはやめてもらいたかった。


 人では、ない……?

 だが背負われて感じるしなやかな肉体は、涼風とは違っている。


「機械人形には見えないのに」

「そりゃあそうだ。おれもこいつも人間だからな」


 美静の言葉に虚偽の香りは嗅ぎ取れない。口が悪くても根っこは優しくて、けれど真意がつかめない男の言葉はどこまで信じていいのやら。折り取った指を本人にくっつけ直す優しさも、どこまで本気なのか。


「部分的にはまだ、人だった名残があるってことだよ」魁人が教えてくれた。「消化器官、肝臓あたりは生身のころと変わってない。ほかはほとんど新しく作り直して使ってる。心臓は特殊な薄いペースメーカーが取りつけられていて、生体電流を利用するから半永久的に壊れることはないらしいよ。骨格は完全に人工に置き換えて、成分をいじっているから金属並みの強度を誇る。人工皮膚も防刃繊維が織りこまれているから、ちょっとやそっとじゃ怪我もしない」


 痛覚や触覚も細胞技術で複製し直しているために、きちんと感じられる。美静が魁人の指先に煙草の先端を押しつける火傷の痛みはあるので、当然、本人は叫んだ。


「あっつ!」


 切り傷や擦過傷なら一時間程度で再生する自己修復皮膚なのだが、火傷には少し弱い。人と同じように、日数を要する。美静は嫌がらせに、いつもそうやって魁人に傷を負わせていた。


「人でなし。なんで俺は君と長い付き合いを続けているのかときどき自分でも分からなくなる」

「自分のことは自分がいちばんよく分かるなんて言うやつはいるが、だったらじゃあなんてお前は生きているのか問いつめてやりたいね。分かるんだろうな、自分のことは自分がいちばん分かってるっていうんだからな」

「いつだったか君、おれは自分のことなら知り尽くしてるって言ってただろ」

「いつかのおれと今のおれを同一人物とみなすな。おれはおれだ」


 逢子も、美静と関係を保ち続けるのはきついなと思った。


「お前には朗報も伝えてやろう。こいつの生殖器もまだ本人由来だ、喜べ」

「朗報……」

「朗報だろ。喜べよ。礼は? 娼婦は礼儀をきちんと学んだはずだろ」

「……ありがとう、ステキな情報を教えてくれて助かるわ」


 どの辺を切り取って朗報と認識したのか、美静の考えは機械人形でも読めないだろうなと逢子は嘆息した。


「先走るなよ。お前の朗報はもう少し先だ、人の話は最後まで聞け」


 お礼の強要を求めたのはどこの誰だ。


「聞きそびれたことがあったな。覚えてるか? 犠牲の村について、おれは気になることがあったんだ」

「ああ、何が聞きたかったの」


「純潔を守る、確かにこの言葉は響きがいい。自分のために守りとおしてくれたとあれば、男はその女に対していっそうの愛情を抱くだろうよ。だが神のために純潔を守っても、お前たちは神とセックスして子どもを授かるわけじゃない。かといって人間の男との行為は許されない。それじゃあ、お前たちの村はどうやって存続してきたんだ」

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