第2話 担当教師は語る


 学年が二年になってからすぐのことだ。

 始業式が終わって三週間くらい経った頃、放課後に担任から指導室に呼び出された。

 なにか問題を起こしたわけでもないのに、だ。

 俺は不思議で仕方なかった。


「あー……今更になるが、改めて。君の担任になった馬場だ。よろしく」


 馬場ばば 大気たいき

 二年になってからの担任で、その存在は一年の頃から知ってはいた。

 馬場は俺達生徒との年齢が近く、距離感も近い教師だった。

 面倒臭がりなフリをしているが、実際は面倒見が良い教師として評判が良かった。

 俺はやたらと声をかけてくるのが鬱陶しくて好きではないのだが。


 それが、今向かい合うようにして座った、ひょろっとした長身のメガネ男。

 馬場大気だった。

 馬場は机に肘をつき、手を組んで話を始めた。


「誠に勝手ながら、君の事情は前の先生から教えてもらった。その……大変だったな」


 いや、なんのことだよ。いきなり話が全然見えない。

 事情ってなに? 心当たりないよ俺。

 前の先生って去年の担任の森原か? 

 なんだよ、なに教えてもらったんだよ。


 と、頭に浮かぶのは混乱した感想ばかり。

 俺は馬場の訳の分からない話の始まりに、思いきり眉をひそめた。


「その、クラス替えをしたが友達はできたか?」


 そして次は世間話ときた。

 これは本題を隠されているな、と直感する。

 どういうことだ、と馬場に視線を向けてみるが、目の前の男の視線は俺達を挟む白い長机と俺の目を行ったり来たりしていた。

 馬場のなにかを言いづらそうにしている様子はかなり珍しく感じた。


 この男の意図は全く見えないが、しかし答えない訳にはいかないだろう。


「あぁ、はい。ぼちぼちですね」と俺はぶっきらぼうに答えた。


 一年の時からの友人が、偶然二年になっても同じクラスに居た。

 しかもそいつは人を集めるタイプだったから、言い方は悪いがおこぼれで周りに集まった奴らと友好を交わしたりした。

 だから本当にぼちぼちだった。


「そうか。後は───」


 その後も馬場は、俺に質問を投げかけ続けた。

 家ではどうしてるだとか、昼飯はどうしてるだとか、授業についていけているかだとか、色々。俺は何気なく答えた。


 家では小説を読んでる。

 昼飯は夕飯の残りを詰めて弁当にしている。

 授業は別に問題ない。

 普段だって平均点くらいだろう。


 こちらは正直に話しているというのに、馬場はやはり何かを隠しているようで、次第に自分の眉間に皺が寄っていくのを感じた。

 それを見た馬場は、「……面倒臭いって顔してるな」と苦笑した。


「わかりますか」と答えると、馬場は頭を掻いて一つ、ため息をついた。


「あぁ、悪かった。本題に入ろう」


 悪いと思うならさっさと本題に入って欲しかった、とは言わなかった。

 馬場は大きく息を吐き、一番言いたかったらしいことを口にした。


「部活、とか。興味ないか?」

「はぁ……部活?」


 部活……部活?

 俺は馬場の言葉を口と頭で繰り返した。


 馬場がわざわざ俺を指導室に呼んで、言いたかったことが部活。

 俺はわけがわからなくて、更に首をかしげた。


「ハッキリ言うと、俺はお前が心配だ。事情が事情だし、ちゃんとした学校生活を送れているのか不安だ」


 だから事情ってなんだよ、別に心配する要素なんかないだろう、とついに心の内で悪態をつく。

 『ちゃんとした学校生活』についても、せいぜい夏になるとちょっとおかしくなるくらいで、普段の素行は問題ないように振る舞っている。

 そもそも夏のことに関しても、時間間隔が狂っていることなど馬場は知る由もない。

 だから俺には、心の底から馬場がなんのことを言っているのかがサッパリわからなかった。

 脳内に浮かぶ大量のクエスチョンマークにより、思考は半ば停止していた。


「気が向いたらでいいんだけどさ。何か部活でも入ってみないか。きっと、良い影響を与えてくれる」


 そう言って馬場は再び苦笑する。

 手を組んだまま、猫背のまま。

 しかし、その細い目は俺をしっかりと捉えていた。


 馬場の言うことはわけがわからないし、何を考えているのかもわからない。

 けれど俺の目を見る視線の先は、俺の中の何かを見ているような気がした。

 初めてみるはずなのに、どこかで見たような、内側をまさぐられているような目に対して、嫌悪感が募る。


 結局考えるのが面倒臭くなった俺は、適当に返事をした。


「あー、はい。わかりました」

「うーん……ちゃんと伝わってるかな、これ」


 歯切れの悪い馬場の呟きに、これは俺が部活に入らないとまた何か小言を言われるな、と漠然と思う。


 どこが面倒見のいい教師なのだろうか。

 これでは教師ではなく、ただの世話焼きだ。

 こういう、頼んでもないのにおんぶにだっこを無理矢理してくるような人間の妙な厚かましさが俺は苦手だった。

 ふと思い出したが中学の頃も似たような教師が担任だった。

 不意に湧き出た忌々しき記憶に、俺は更に苛ついた。


「まぁ、その。せっかくの学生生活なんだし、楽しんでさ───」


 俺の思いも知らず、馬場は語る。

 結局こいつの言いたいことは最初から最後までわからなかった。

 わからないが、これ以上小言を言われたくもないし、またこの場に呼ばれるのも嫌だった。

 それ以上に馬場と関わりたくないと、心底思った。


 俺は不本意ながら、部活を探すことにした。

 これが事の始まりだ。

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