第56話 浴衣姿の二人
しばらくのんびりと過ごして。
「じゃあ、夏祭りに行こうよ!」と、おやつタイム終わりに日並はそんなことを言い出した。
「聞いてないんだが」
「俺も」
かりんとうを咥えた辰也は適当に答えた。
俺も同意した。
「だって言ってないもん」
「そこは言えよ」
「サプライズだよ、サプライズ」
「大体この辺で夏祭りなんてやってないだろ」
「実は、隣町でやってるんだよね」
「どこで知ったんだそんなの」
「私のリサーチ力をなめないでほしいね」
ふんす、と日並は鼻を鳴らして胸を張った。
辰也はしばらくぼーっとかりんとうを齧っていたが、急になにか天啓を受けたようにハッとすると、「面白そうだし行くか!」と言って元気よく立ち上がって準備を始めた。
俺は二階に駆けあがっていく辰也を呆然と眺めながら、財布だけを持って玄関へと向かった。
玄関先でなぜか支度が遅い女性陣を辰也と待っていると、二人は綺麗な浴衣に身を包んでこちらにやってきた。
日並は白い布地に赤紫色の花模様が入った浴衣を、小百合は青を基調とした、金魚と水の模様が描かれた浴衣を着ていた。
「じゃん! どう? これ」
「おーいいじゃん。持ってきたの?」
「そうそう。せっかくだし……」
辰也と日並の会話を小耳に挟みつつ、俺は小百合に声を掛けた。
小百合は嬉しそうに、袖を持って自分の姿を何度も見返していた。
「どうしたんだ、その浴衣」
「日並さんが、昔着てたのをって、貸してくれて」
「……あいつには頭が上がらないな」
「そうだね」
俺がそうこぼすと、小百合はクスリと笑った。
「なぁ、小百合」
「ん、なに」
「浴衣着るの、久しぶりだよな?」
「うん、確か……七五三ぶり」
俺は「そうか」と一拍置いた。
「俺がもし、小説を書かなかったら。多分、もっと浴衣を着れたと思う。浴衣だけじゃなくて、服とか他にも色々。選べたと思うんだ」
「うん」
「それだけじゃなくて、もっともっと選べて、もっともっと貰えたはずなんだ」
「……うん」
「それでも……それでも小百合は、これでよかったのか?」
小百合は俺の問いに、優しく微笑んだ。
「お兄、いいの。いいの、これで」
そう言って、小百合はその場で一回転をして、「これがいいの」と浴衣を俺に見せた。
「それに、お兄が小説書かなかったら、私達、ここに居なかったし、日並さんとも、辰也さんとも会えなかったよ」
「……そうだな。その通りだ」
結局のところ。
俺は認めるしかないのかもしれない。
自分がした過去を、所業を。
認めて、受け入れるしかないのかもしれない。
自分がしてきたことが積み重なって出来た、今を。
「ねね、どう? 浴衣」
突然日並が割って入ってきて、考え事は全部すっ飛んだ。
日並は俺の顔を覗くようにして、鼻と鼻がくっつきそうなほど急接近してきたからだ。
俺は少し後ずさって、日並と向き合った。
「日並、浴衣貸してくれたんだってな。ありがとう」
「え、いやいやいいよお礼なんて。こっちこそ、お下がりでゴメンだし」
そこに辰也もやってきて、俺と日並のやり取りに「オイオイ」と笑った。
「それよりもちゃんと言うことがあるだろ?」
辰也はそう言いながら浴衣を指差した。
「あぁ、そうだったな」
俺は頷きつつ、自分の不甲斐なさに笑った。
「二人共似合ってるよ、浴衣。すごく綺麗だ」
二人は俺の言葉に少し恥ずかしそうに笑って、ほのかに頬を染めた。
◇
駅までは正志さんのトラックに揺られて、電車では二つ先の駅まで乗った。
着いた頃には日が落ちかけていて、駅の小さい窓から見える夕焼けが眩しかった。
夏祭りはその降りた駅の目の前で結構賑やかに行われていた。
こちらの街はちゃんと道路が整備されているらしい。
駅前の道路は、道に沿ってキチンと見慣れた灰色の舗装がなされている。
都会に似た光景を見ることができて驚いたが、どちらかというと草薙家の最寄り駅付近がおかしいのだろう。
街と言うか集落だし、集落と言うには閑散とし過ぎている。
自然の中に一軒家が立っているだけ、と言ったほうが正しい気がする程だ。
改めて俺は並んだ屋台を見やる。
祭りはどうやら駅前から真っ直ぐある道路沿いを中心に行われているようだった。
ぱっと見三十を越える出店が出ていて、子連れの家族、カップルらしき二人組、老夫婦二人組、友達と来たであろう小学生達が、いつもは車しか通らない道を彩っていた。
「意外と、人いるんだな」
「そりゃ、いるだろうよ」
「田舎はもっと人が少ないもんだと思ってた」
「まぁ、確かに。普通はそう思うか」
夜に祭りに行くにあたり、草薙夫妻と話し合って今日の夕飯は出店で買ったもので済ませることにした。
久恵さんは自慢の手料理を俺達に食べさせたがっていたが、まぁ、こういう日があっていいだろう。
お土産に草薙夫妻の分の食べ物も買って帰ろうと思った。
そして俺は今、辰也と一緒にお好み焼きが鉄板の上で焼けるのをぼんやりと眺めながら、思ったことをそのまま口にするような会話を続けていた。
小百合と日並は別の食べ物を買いに行っている。
何を買うかは任せてあるので、今どこにいるかはわからない。
まぁ、はぐれても俺達にはスマホがあるし、合流できないってことはないだろう。
ただ隣でぼけっと突っ立っている辰也はこんな時でもスマホを家に置いてきたらしく、一人にはさせられなかった。
俺は「流石にスマホ持ってこいよ」と言ったのだが、辰也は「風情風情」と言って聞かなかった。
「へい、お好み焼き四つあがり」
「ありがとうございます」
お好み焼きが入ったプラスチックパック四つを受け取り、俺と辰也は別の食べ物を求めて歩きだした。
「後なに買うか」
「焼きそば、フランクフルト、焼きとうもろこし、後はそうだな」
「どんだけ食うつもりなんだ」
「いいだろ、祭りなんだぜ」
辰也は歯を見せて笑う。
「楽しまなきゃ、損だろ」
その言葉に、少しだけ後ろ髪を引かれた。
俺は「そうだな」と頷いて、フランクフルトを売っている出店へと向かう辰也の後に続いた。
周りの音が、途端になくなったような気がした。
「まだなにも変わっちゃいない」と、耳元で囁く声がうるさかった。
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