第4章 夏休み

第36話 それってデートじゃん

 朝、目覚ましが鳴る四十分も前に目が覚めた。

 カーテンの隙間からこぼれる真っ白な光に当てられて、身体が勝手に目覚めたらしい。


 リモコンを手にして付けっぱなしにしていた冷房を止め、上半身を起こして思い切り背を伸ばす。

 ぽきぽきと骨が鳴って身体が気持ちよかった。

 立ち上がり、部屋の壁にかけてあるカレンダーに目を通す。


 七月二十七日、土曜日。

 今日からは夏休みで、日並と買い物の予定があった。


 時間にはまだ余裕があるし二度寝でもしようかと思ったが、意識が既にハッキリしていて、俺は仕方なくベッドから起きた。


 いつものようにキッチンへと向かい、パンをトースターに突っ込み、キャベツを切ってサラダを作り、ハムを焼いて朝食を用意する。

 夏休みだというのに、俺の朝は相も変わらずいつも通りの朝だった。


 だけど、ふと時間の流れが全く長くないことに気が付いた。

 パンが焼けるまでの三分間はちゃんとそれくらいの時間だし、朝食を作っていて苦痛を感じるようなことはなかった。

 やはりと言うか、最近は時間間隔が正常なものに戻ってきているように思える。

 いや、時間間隔というものは人によって誤差があるだろうし、どんな時間間隔が正しいものかなんて誰にもわからないことだし、なんともおかしい話だが。

 少なくともたかだか数分が数十分に感じられる時間間隔よりかは正常だろう。


 早起きをして有り余った時間を活用して、洗濯機を回して洗濯物を干しておく。

 俺と妹の二人分とはいえ、夏は汗を拭いたタオルなどが嵩張って洗濯物の量が多い。

 洗濯物干しが終わった今も、結構な汗をかいてタオルで拭くハメになった。

 無限ループである。

 しばらくは洗濯物の量は減りそうになかった。


 なんだかんだで早起きしてよかったかもしれない。

 家事をしている間に、気が付けば日並との待ち合わせ時間が近づいていた。


 着替えるために自分の部屋に戻り、支度を済ませて玄関に向かうと、いつの間にか朝食を済ませたらしい小百合が眠そうな顔をして歯ブラシを咥えたまま洗面所から出てきた。

 まさしく夏休み、といっただらしない格好に俺は笑いかけてしまった。


「おにひ」

「夜更かししたのか、小百合」


 俺が訊くと、小百合はゆっくりと頷いた。

 本当に眠そうな返事だった。


「ドラマが、おもひろくて」

「……まぁ、いいけどな」


 別に咎める人間もいない。

 俺だって咎める気もない。

 歯磨き粉を口にしたまま喋る小百合に肩を竦めながら、俺はスニーカーを履いた。


「おにひ、どっかいくの?」

「日並とデートしてくるよ」


 俺がそう言うと、小百合はボトリと口から歯ブラシを落として固まった。

 ちょっとした冗談だったのだが、だいぶ真に受けられてしまったらしい。


「ごめん、冗談だ。単に買い物に付き合うだけだ。デートとかじゃない」


 家の鍵をポケットに突っ込み、玄関のドアノブに手を掛けた。


「夕方には帰ってくるから、昼は適当にな」


「あ、うん。……いってらっしゃい」


 ドアを開けて、家を出る。

 灼熱の光が注ぐコンクリートの塊の上に、俺は足を踏み出した。

 その時に聞こえた「それってデートじゃん」という小百合の呟きが、セミの鳴き声なんかよりもずっと耳に残った。



「ごめん、遅れちゃった」

「そんなでもない」


 暑い道中に疲弊しながら、俺達は駅近くの市内で一番大きいショッピングモールで合流した。

 夏休みの、それも土曜日ということもあり、ショッピングモールは結構混んでいた。

 それだからなのか、家族連れに紛れて日並は少し遅れてきた。

 と言っても二、三分だ。

 気にする程ではなかった。


 やって来た日並は、当然と言えば当然だが私服だった。

 上はオレンジの半袖シャツ、下は白肌色の短パンという女子高生にして随分とラフな格好をしていた。

 だけどその姿は日並の軽やかな仕草と相まって似合っていたし、何より生足が眩しかった。

 気持ち悪い感想も混じってしまったので特に服装については口に出さなかった。

 やっぱりこういう時は褒めたほうがいいのだろうか、とも思ったが、別にデートと言うわけでもないからいいか、と自己完結した。


「それで、これは今どこに向かってるんだ?」


 合流後、ごく自然な流れで前を歩き始めた日並に続きながら俺は訊いた。

 彼女は歩きながら人差し指を顎に当てて考える素振りを見せると、「うーん、適当」と本当に適当な答えを返してきた。

 俺が呆れて肩を竦めると、彼女は続けて「まぁ、重い物は後に回すべきだよね」とも言った。


「じゃあ、最初は?」

「えーっとね、うん。水着だ」

「水着」


 俺が間抜けにオウム返しをすると、日並は「水着を買いに行こう」と繰り返して言った。


「プールとか海って、夏の定番じゃない」

「まぁ、そうだな」

「小説のネタにもなると思うんだ。あ、もちろん普通に行きたいってのもあるけど」

「異論はないな」

「じゃ、行こう。プールとか海に行くために水着を買いにさ」


 断る理由はなかった。

 コクリと頷く。


 確か中三の時の水泳授業を最後に水着は行方不明になっていたはずだ。

 プールとか海に行くなら俺も新しく買わなければなるまい。

 丁度いいとさえ思えた。


「で、そのプールとかは俺と二人で?」と俺が何気なく訊くと、日並は「えっ」と濁点が付いたような声を上げて固まった。


「あ、嫌だった?」

「いやえーっと、その、あの。小百合ちゃんとか、部長とか、辰也とか……皆で行きたいな~なんて思ってたから……」

「あー……そう、だよな。うん、普通はそうだ」


 やばい、完全にやってしまった。

 プールなんてのは普通だったら友達とかを誘うのが定石だ。

 二人っきりだなんて恋人関係になってようやくするかしないかである。

 自意識過剰野郎の誕生であった。

 どこか穴があるなら入りたかった。

 と言うか気まずい。

 どうすんだよこの微妙な空気、と頭を悩ませていると、日並はそっぽを向いて言った。


「まぁ、君が言うなら……二人で行ってもいい、けど」

「……え? マジ?」

「う、うん」


 思わず聞き返してしまったが、日並は力強く頷いた。

 日並って普段はこんな反応しないよな? と思いつつ、結局二人揃って黙ったままで、水着売り場に着いてしまった。


「と、とりあえず選ぼっか」

「あぁうん。ところで日並」

「ん? なに?」

「俺も……ここで選べと?」

「え? うん」


 俺は顔をしかめながら店を指さした。


「レディースしかないけど、ここ」


 マネキン人形に着せられている水着はビキニとハイレグしかない。

 店の中にも色とりどりの女性用の水着しか並べられていない。


 日並は店へ振り返ると、「あっ」と言って恥ずかしそうに笑った。


「ご、ごめんね?」



 まぁ気にする程でもないので、先に日並の水着を買った後、俺は水着を買った。

 日並は水着を選ぶのに三十分程かかったが、俺の方は三分もかからなかった。

 男物の水着なんてどれもデザインが一緒だし、派手じゃなくて安いものでいいやと適当だった。

 日並は「適当に選ばないの!」となぜか怒っていたが、男なら大体同じような感じだと説明して納得させた。

 説明する際に電話した辰也も、俺の考え方には同意してくれた。

 男はそんな感じでいいのだ。


 しかし大変だったのは日並の方で、俺に対して女物しかない店に入れと言うわ、水着を選べと言うわで体力をゴッソリ持っていかれた。

 あまり真面目に選ばなかったのは日並の水着選びに疲弊したからというのもあるかもしれない。


「ねぇ、ちょっと、どれがいいか見てよ」

「ダメです」


 日並は水着選びの際に俺を無理やり店の奥に連行した。

 いやらしい気持ちになりそうで怖くて目を塞いでたら日並にはツッコまれた。


「見てもらわないと意味ないんですけど!」

「年頃の女の子が人様に水着なんて見せるんじゃありません!」

「シャイかよ!どうせプールで見るんだから今見てもいいでしょ!」

「キャアアアアアア!!!」

「なんで──君の方がそんな女の子みたいな反応するの!?」


 日並に塞いでいた手を取り払われて俺が悲鳴を上げたり、その悲鳴で周りの女性客に白い目で見られたりと散々だった。

 いや、よく考えなくても半分くらいは自業自得だな。

 反省である。


 そして結局、日並の水着は俺が選んだ。

 二十分ほど悩んだ末に最終的な判断を俺に任せてきたのだ。


 これは信頼されていると受け取っていいのだろうか?

 自分の着る水着をどれにするかを友達とはいえ異性に任せるのは......あまりいい気分ではないと思うのだが、どうなんだろう。

 よくわからない。


 それで日並に言われるがままに水着を選ぼうとしたのだが、店内にある数多くの水着から選ぶのも大変だと思い、俺は日並がいくつか手にして悩んでいたものの中から選ぶことにした。

 水着の種類なんてわからないから、なんて名前なのかはか知らないが、ビキニにフリフリが付いている薄黄色の水着にした。

 日並にはやはり明るい色が似合うと思ったし、だけどあんまり派手過ぎると逆に似合わなくなるかなぁ、と思い、その中間を取った。

 これ、と俺が指をさした水着を見ると、日並は嬉しそうに笑ってそれを手に取りすぐにレジへと向かっていってしまった。

 ほんとにあれでよかったんだろうか。

 一応似合うと思ったものを選んだつもりだが、本人の意向が気になるところだった。


 因みに後になってわかったことだが、フリフリの着いたビキニはフレアビキニと言うらしい。

 男には縁の無い話だが、小説で水着について書くことがあるかもしれないし覚えておこう。


 水着売り場を後にした俺達はその後も夏服を買ったり、サンダルや夏用の靴を買った。

 『重い物は後に回すべき』というのはどこへやら。

 水着を買った後は手当たり次第に目に付いた店に行って買う、を繰り返していた。


 そうしてお昼時になり、休憩も含めての昼食を取った。

 わざわざ店を選ぶのも面倒、という理由で、入った店はその時居た場所から一番近いレストランになった。

 適当にも程があるが、俺達にはそれくらい適当な方が合っていた。

 席に座っていざメニュー表を見てみると、少しばかし高い値段にお互い目を合わせて苦笑した。

「あんまり適当過ぎるのもよくないね」と話をしながら、俺と日並は二人揃って一番安いパスタを啜った。

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