第35話 明日の約束は共に輝く

「わかった。それじゃあ今日はもう解散しようか」と部長はスッキリしたような表情で、腕を上に伸ばしながらそう言った。


「夏休み中の部活はみっちり小説の書き方教えるからね。覚悟しててね」とも。


 冗談だとはわかっていても、加減はして欲しいな、と思った。


 文芸部を出る時に日並に「話があるから一緒に帰ろう」と言われて、なんだろうと思いながらも頷いた。

 校門の外で合流して、自転車を手で引きながら帰り道を一緒に歩いた。


 話があるから、と言っていた割には口を開かない日並を不思議に思いつつ、まぁいいか、とぼんやりしながら白日の住宅街を眺める。


 道路、横断歩道、街路樹、車、信号機。

 そのどれもが淡く、白く輝いているように見える。


 眩しくて、目を細めながら道行く人達へと目を向ける。

 ネギがはみ出たカバンを持つ買い物帰りのおばあちゃん、いそいそと飲食店へ駆け込むサラリーマン、他にも色んな人達が眩しい景色の中を行きかっていた。


 はしゃぎながら俺達を追い越していく三人の小学生の姿に口元が緩む。

 そうか、小学生はもう夏休みだったのか。

 汗をいっぱいかきながら声を上げて笑う彼らは、とても楽しそうだった。


 相変わらずセミの鳴き声はうるさいが、今はどこか遠くに聞こえる。


 直射日光の下に見えたいつもの景色は、とても輝いて見えた。


 それは俺の心情の変化なのか、いつもとは違う時間帯だからなのか。

 わからないけど、今までの俺だったらきっと見過ごしていた。

 なんてことない光景として消化していたんだろう。


 だけど、やはりと言うかなんと言うか「望む夏は、すぐそこにあったんだなぁ」と、機会をずっと切り捨てていた自分に呆れ笑いをした。


 いつかの俺がぼやいたように、確かに、暑い。

 汗は止まらないし、太陽の光は痛いほどだ。


 けれども反して、俺の気持ちはとても晴れやかだった。

 

「ねぇ」


 日並の柔らかい声が聞こえた。

 そろそろ別れる道に差し掛かったからなのか、ようやく口を開いた。

 日並が歩みを止めたので、俺も止まって振り返った。


 何を言うのかと思ったら、彼女は手を後ろで組んで、俺を覗き込むようにして言った。


「……明日、デートしよっか」


 動揺で心臓が止まるかと思った。

 硬直した俺に日並は「そんなに目見開かなくても」とくすくすと笑った。


「ごめんね? 普通に買い物に付き合ってほしいんだ」

「買い物」

「うん。水着とか、花火とか。夏に必要なもの買っておきたくて」


「少し早くないか?」と俺が言うと、日並は不機嫌そうに頬を膨らませた。


「ね。──君、私との約束忘れてない?」


 そう言われて、全く身に覚えがなかった俺は思わず「約束?」とオウム返しをしてしまった。

 しまった、とも思ったが、日並は「やっぱり」と言って表情をほころばせた。


「ごめん。いつの約束だ?」

「屋上でさ。まぁ、あの時の──君はだいぶ意気消沈してたから仕方ない、か」


 屋上……困った。

 日並に弱音を吐いたこととブルーハワイのことしか覚えていない。

 約束なんかしただろうか、と首を捻った。


「大丈夫、気にしないで。これから約束しよう」


 日並はトコトコと俺に近づくと、小指を差し出してきた。

 指切りだろうか。

 子供じゃないんだから、とも思ったが、俺は大人しく小指を差し出した。


「──君が、鮮やかな夏を書けるように、私も手伝う。だから、私の小説を書くのにも手伝ってほしい」

「……部長も手伝ってくれるだろ」


 俺がそう言うと、日並は「雰囲気台無し」と少し怒った。


「そうだけど、ちゃんと──君にも手伝ってほしいから」


 俺はぎこちなく頷いた。


「だから、約束。いっぱい遊びにいってさ、この夏をめいっぱい楽しもうよ」


 柔らかい小指が俺の小指に重なると、日並は元気よく指切りをした。

 その時の彼女の表情は、まるで太陽みたいに眩しかった。


「それに準備は早い方がいいでしょ?」

「そうだな」


 俺は頷きつつも、日並へと目を向けた。

 今までは、彼女のことをただの部活の友達としか思っていなくて、俺は彼女のことを直視していなかったように思える。

 だけど彼女はもう、ただの部活の友達じゃない。

 ちゃんとした友達だ。

 これまでみたいに、彼女を過ぎた人として処理しないように。

 俺は改めて彼女のことをよく眺めることにした。


 髪の毛は明るい茶色、いや、胡桃色をしていて、艶やかなポニーテールは肩の近くまで伸びている。

 身長は流石に部長よりはおっきいが、俺とは頭一つくらいには小さい。

 シャツは真夏だと言うのに、何故か長袖のものを腕まくりをして着ている。

 胸元のリボンは俺と同じ学年を表す深緑をしていて、学校指定のストライプの入ったこげ茶色のスカートは、校則で決められている長さよりは短く見える。


「……ちょっと、なによ。そんなにまじまじと見て」


 日並に怒られてしまった。

 少し恥ずかしさを感じて頭を掻いた。

 いや、本当に恥ずかしかったのは日並の方か。

 俺は「ごめん」と謝った。


「じゃあ、明日ね。集合は、うーん……後で色々調べてから連絡するね」

「わかった」


 俺は笑った。

 懇親会の時もそうだったのだが、彼女は意外と予定を立てる時は適当らしい。

 彼女の提案は、案外その場限りで思い付いたものなのかもしれない。

 別にそれが不快と言う訳ではない。

 何だかんだでちゃんと調べて連絡をくれるし、何より誘ってくれるのが嬉しかった。

 むしろそんな適当さが、返って気が楽だった。


 俺達はお互いに手を振って、それぞれの帰路に就いた。

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