第69話 その原稿用紙にブルーハワイのシロップを
「言いたいことは色々あるけど……」
「はい、すいません……」
「まぁ、完成したようでなによりだよ」
下校時間ギリギリの黄昏時。
空が紫色に染まりゆく中、部長はそう言って、苦笑いをしながら日並の小説を受け取った。
あれから日並は俺の小っ恥ずかしい発言を元に、勢いよく小説を完成させてしまった。
あの発言が日並の小説の中に入ってしまったと考えると、どうにも恥ずかしくて仕方なかったけど……まぁ完成に繋がったのだから良しとしよう。
「じゃあ」
「うん、オッケーだよ。これで今年も無事に部誌を発行できそうだ」
「やったー!」
部長の終了宣言に、日並は嬉しそうに両手を勢いよく上げた。
俺も肩の荷が下りた気がした。
「終わったよー! 夏輝くん! お疲れ様!」
「あぁ、お疲れ様。部長もお疲れ様です」
「うん。君もね。お疲れ様」
「お疲れ様」と言う言葉に、部室はすっかりなごやかなムードになる。
部長は席に項垂れ、日並も「フー」と息を吐いて肩の力を抜いていた。
あぁ、今度こそ終わったのだ。
執筆が、夏休みが。
「お疲れ様」という言葉で深々と実感する。
まぁ、本当は文化祭が本番なんだけど、それはわざわざ口にするまでもないだろう。
「夏輝くん! ほら!」
色々なものが終わったような感傷に浸っていると、日並がバンザイをした格好のまま俺に手を向けてきた。
「……なんだ?」
「ハイタッチだよ、ハイタッチ」
「あぁ」と頷いて理解する。
俺も倣うように両手を上げた。
「イエーイ!」
「いえい」
パン、といい音がなって手が触れる。
そして日並はそのまま、軽く指を絡ませた。
そんな彼女の気軽なスキンシップには、未だ慣れない。
「ど、どうした?」
「その……さ。夏休み終わっちゃうけどさ」
「……」
「これからも、よろしくね」
「……あぁ」
こうも真正面から言われると、胸の奥が熱くなる。
彼女が、たまらなく愛おしく思える。
だけど、そうだ。
彼女の言う通り、これからなのだ。
夏休みが終われば、やがて夏が終わり、文化祭へと移りゆく。
文化祭が終われば秋となり、冬となり、春となって……また夏となる。
その時は、どんな景色を見ているのだろうか。
今まで気にしてすらしていなかった春は、秋は、冬は、どんな輝きをしているのだろうか。
彼女と共にする生活はどんな色をしているのだろうか。
これからは、日並と一緒にそれを確かめて行こうと思う。
自分が過ごした日々を、忘れないようにしながら。
どうしようもない過去を引きずりながら。
『下校時間です。校内に残っている生徒、部活動を行っている生徒は、ただちに下校してください』
突如として校内放送が流れ、俺と日並は慌てて距離を取った。
部長から再び睨まれたような気もしたが、まぁ気のせいにしておこう。
そしてどうやら、下校時間がやってきてしまったようだ。
「まずいね。とっとと帰ろうか」
「捕まったら面倒くさいですしね!」
その言葉を皮切りに、慌てていそいそと帰宅の準備を始める俺達。
「と、とりあえず小説は各自で持っててね! 明日受け取るから!」
「は、はい」
「わかりました」
俺も早く片付けるか、と思い、急いで筆記用具を手に取る。
机の下に置いたカバンを取る為に屈み……そして身体を上げる時、勢い余って腕が机に「ガン!」とぶつかってしまった。
「いてっ」
「あっ」
「えっ」
結構な痛みで腕を擦る。
折れてないよな? と腕を気にしつつも日並と部長の方を見てみると、彼女達は一点を見つめて硬直していた。
なんだろう、と思い、俺も彼女達の目線の方に目を向ける。
目線の先にあったのは俺の机だった。
さて、机の上には何があっただろうか。
まだ仕舞っていないのは確か……俺が書いた小説と、ブルーハワイのシロップと、空になったグラスだ。
俺はもう一度、机の上を見る。
そこには”立っていた”青いボトルの姿だけがなかった。
俺は恐る恐る、更にもう一度、青いボトルを見やる。
そのボトルには、ラベルが貼られている。
白地の背景に、「氷」と、デカデカとした赤色の一文字。
どう見ても原液だった。
かき氷シロップである。
キャップが外れ、横になったボトルのその口からはトクトクと青色の液体が溢れ出ている。
そしてその液体は、俺の机上をゆっくりと侵食していた。
「あはは……」
「あちゃー」
「……」
原稿用紙は青く、それはそれは青く染まり、濡れる。
まるで空のように。
もはや止めることもできず、ただ眺める。
『下校時間です。校内に残っている生徒、部活動を行っている生徒は、ただちに下校してください』
再度聞こえた校内放送が、とても遠くに聞こえた。
俺は、机の上に置いていた小説に。
その原稿用紙にブルーハワイのシロップを───溢した。
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