第68話 ───青春の、味
それから夏休み最終日まで、俺は日並に付きっきりで彼女の原稿用紙と向き合うことになった。
部室以外でも、お互いの家で夜遅くまで執筆に付き合ったり、アドバイスしたり、終わらない執筆に日並が癇癪を起こしたり、それを収めたり。
結局大変だった。
と言うか現在進行系だ。
そうして来てしまった夏休み最終日。
八月三十一日。
夕暮れ時の部室。
日は既に傾き、斜陽が部室の内を照らす。
窓から差し込む光の筋に、空気中の埃が浮かんで見える。
部長から指定された小説の締め切りはすぐそこまで迫っていた。
俺と日並は机をくっつけて隣り合って小説を書いている。
机の上には筆記用具と、俺が書いた小説(日並が参考に見たがった)と、ブルーハワイのシロップと空になったグラスと青いキャップ。
そして日並の書きかけの原稿用紙があった。
日並の小説は偶然か必然か、俺の小説ジャンルとだだ被りした。
まぁ必然だろう。
テーマが「ブルーハワイの味」。
つまりほぼ実質的に「夏」である。
被って仕方なかった。
少し気になって、ジャンル被りは大丈夫なのか、と前に部長に聞いたのだが、「まぁ大丈夫でしょう」と適当な答えしか返してくれなかった。
本当に大丈夫なんだろうか。
それによく考えたら三つの小説しかない部誌の内、二つが夏の物語だ。
部長がどんな小説を書くか次第でもあるが、どうにもバランスが悪いような気がする。
繰り返しになるが本当に大丈夫なんだろうか。
今になって不安になってきたが、今更変えるわけにもいかなかった。
そして肝心の日並の小説というと、簡単に言えばこうだった。
主人公はアルバイトで海の家で働きはじめた女の子。
何気なく始めたバイト先で、身体の悪い男の子と出会う。
何度も海に来る彼に惹かれて、話を繰り返す内に意気投合していった。
やがて恋仲に落ちるが、男の子の体調が悪化してしまい───という内容。
なんとか終盤まで書かせることはできたのだが、最後の締めを随分と悩んでいるようだった。
「最後の締めはどうしよう……もう……無理」
「が、頑張れって」
眠そうな顔をしながら、原稿用紙に喰らいつく日並。
彼女はここ一週間続いている執筆作業で限界スレスレだった。
そして俺も部長にもすべきアドバイスは全てしており、もはや応援しかできなかった。
「海の家で働く女の子と、病気の男の子の物語……さ、最後は……ホントにどうしよ」
「……これ聞くのもアレだけど、なにがそんなに気になるんだ?」
「いやね? 結局、ブルーハワイの味書けなかったなぁ、って。最後はこれ書いて終わりたかったんだけど」
ハァ、と日並がため息をこぼした。
どうやら彼女は一番書きたかったブルーハワイの味が、結局書けていなかったことを気にしているらしい。
今も机の上にブルーハワイが置いてあるように、執筆中に炭酸割りのブルーハワイを何度も飲んだのだが、それでもわからなかったようだ。
そもそもの話ではあるのだが、ブルーハワイは元々カクテルの一種であることを日並は知っているのだろうか?
なんとなく知らなさそうだ。
まぁ、未成年の俺達が本場のブルーハワイを飲むことはできないので、こうして炭酸水でシロップを割って飲んでいる。
俺達の指すブルーハワイとはかき氷シロップのブルーハワイを指している。
本場のブルーハワイを飲んでみれば、もしかしたらどんな味なのかがわかるのかもしれないが……ないものねだりはしても仕方なかった。
カクテルの一種がどう飛躍して転んだらかき氷シロップになるのかは、少し気になるところではある。
「しかし……ブルーハワイの味、か」
俺は……ちゃんと覚えている。
彼女が「ブルーハワイの味を教えてよ」と学校の屋上で俺に聞いていたことを。
知りたがっていたことを。
そう、彼女はあの時から既に、ブルーハワイの味を知りたがっていた。
文字にしたがっていた。
ずっとわからないままにしていたけど、今更なのかもしれないけど。
今こそ、俺なりの答えを彼女に返すべきなのではないだろうか。
確かに、ブルーハワイの味はよくわからない。
何度も飲んだけど、あの味はブルーハワイの味としか表現できない気がするし、なんとも形容しがたい。
広大な情報溢れるインターネットで調べてみても、それはわからないといった記事ばかりだ。
だけど俺は一つの答えを、既に持っていた。
「日並、遅くなってごめん」
「え? な、なにが?」
「ブルーハワイの味を教えてよ、って。ずっと前に言ってくれてたのに、今返事をする」
「えっ、あー……うん」
日並は一度なんのことかわからない、といった風に首をかしげ、そして思い出したかのように頷いた。
「例えるならば」
「うん?」
「ブルーハワイの味を例えるならば、になっちゃうけど……いいかな」
「うん、もちろん」
ブルーハワイの味なんて、どう表現すればいいのかなんてわからない。
だから、なにかに例える。
それしかブルーハワイの味を表現する方法はないのだと、自然に思った。
「じゃあ、改めて。ブルーハワイの味を、教えてくれる?」
日並の問いに、俺は頷いた。
例えるならば───。
「───青春の、味」
一瞬の沈黙。
少し間を置いて「ブッ」と吹き出す日並。
やはり流石に安直過ぎただろうか。
言っててこっちも恥ずかしくなってきてしまった。
「面白い表現だね」と彼女は笑い、涙を指で拭う。
「やっぱなしにしてくれ。恥ずかしい」と俺は言う。
「……いや、夏輝くん」
日並は少し考える素振りを見せると、ニヤリと笑い「それ採用」と言って指鉄砲で俺を指差した。
勘弁して欲しかった。
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