第45話 全力で疾走しろ!
走る、走る、走る。
空気が蒸して、まるでサウナのような廊下を全力で走る。
額から吹き出る汗は止まらないが、今足を止める訳にはいかなかった。
日並に変な勘違いをさせたままではまずいのだ。
「日並! 待てって!」
「なんで追いかけてくるの!?」
「お前が逃げるからだろ!」
ギャーギャーと叫びながら、走る。
最初の走り出しで遅れた俺は、中々日並に追いつけなかった。
夏休みに入ってからは運動なんて全くしていなかったから、若干身体が重い。
今更になって運動不足を呪った。
「逃げてないもん!」
「なら止まれよ!」
「やだ! 聞きたくない!」
お互いに大声を上げながら学校内を走りまわる。
夏休み中の廊下は物静かだった。
それ故に俺達の声はとても響いていた。
たまに何ごとか、と様子を見てくる他部の部員も居たが、俺は脇目もふらずに日並を追い続けた。
「部長と抱き合ってたのは勘違いなんだって!」
「やっぱり抱き合ってたんじゃん! 何が勘違いなの!?」
「少なくともお前が思ってるようなもんじゃないって!」
力を振り絞って日並を追い抜き、進行方向へ道を塞ぐように立ち塞がる。
すると彼女は、丁度近くにあった階段に目を付けて登り始めた。
「あっこら、待てっ」
段々と息も絶えてきて、蒸し暑さに更に体力が奪われる。
俺はもう一度力を振り絞って日並の後を追った。
そんな訳も分からない鬼ごっこの終わりは、その後すぐに来た。
階段を登った日並は二階や三階の廊下へと逃げるのかと思ったのだが、どうしてだか彼女が向かったのは逃げ場のない屋上だった。
彼女は屋上への扉を開けると、転がり込むようにして屋上で倒れた。
俺も倒れ込むようにして屋上に出た。
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……。はぁっ、クソッ。運動不足だな畜生」
「はっ、はぁ。もう、なんで追いかけてくるのよ……」
お互いに息が整うまで、一言喋ると暫くはだんまりだった。
いつまで経っても整わない息にウンザリしながら、俺は大きく息を吐いて大の字に寝転がった。
目を開くと、いつか見た大空が視界いっぱいに広がる。
太陽が眩しくて、立派な入道雲が一つだけ浮かんでいて、その周りには澄んだ青が一面に広がっている。
その青はまるで、その向こう側に黒く果てしない宇宙があることを実感させるような、深い深い青をしていた。
あぁ、見える。
見えている。
鮮やかな青が。
いつの間にか俺の視界には、鮮やかな色彩が戻っていた。
「日並」
俺が呼びかけると、彼女はすぐに「なに?」と返事をしてくれた。
少しは落ち着いてくれたのだろうか。
「……暑いな」
「うん、暑い」
俺達が転がっている屋上はまさしく灼熱地獄だった。
肌が沸騰するような太陽の日差しに、蒸し暑い空気。
とてもじゃないが人間が長時間居られる場所ではなかった。
「その……ひとまずさ」
「うん」
「部室戻って、話そうぜ」
「……そうだね」
日並は素直に頷いた。
◇
「あっ戻ってきた」
部室から顔を覗かせていた部長は、俺達を見てホッと胸をなでおろした。
「逃げてごめんなさい」
「いや、まぁ……あれは仕方ないんじゃないかな」
日並がしょんぼりしながら謝ると、部長は困ったように笑った。
いつもの席に座って、水分補給をしたりして一息つくと、日並は早速本題に入った。
「それで、なんで抱き合ってたんですか?」
直球である。
俺と部長は目を見合わせた。
まずは俺がことの発端を説明する必要があると思い、口を開いた。
「……まずだな、日並。俺が部長に相談事があったんだ」
「うん」
「で、相談してたら……ちょっと昔のことを思い出した」
「あ、うん」
「小学生の頃の記憶とか、色々。あと、俺が夏を鮮やかに書けない理由とかもさ。もうハッキリと、色々思い出して、色々わかったんだ」
改めて口にするとしみじみと実感する。
両親の死。
学生らしい生活を送れなかった中学生活。
そして、気が付けば狂っていた時間間隔。
景色から失われた色彩。
それらが、俺の胸の中にしっかりと残っている。
溢れだした記憶をまだ整理しきれていないこともある。
多分、ふとした拍子に昔の記憶が浮かび出てくるのだろう。
「まぁ、それで、恥ずかしい話だが……俺は泣いた」
「……え?」
「泣いたんだよ。もう、思いっきり」
俺は誤魔化すように苦笑いをしてから、部長へと目を向けた。
「まぁ、だからあれは、慰めてくれてたんだよ。多分。そうでしょう? 部長」
「……そうなるね」
日並を見るとパチクリと目を見開いてから、考え込むように唸った。
「え、でもじゃあ、なんで部長は抱きついてたんですか?」
苦笑いを浮かべていた部長の顔が、ピキッと音を立てたように引きつった。
「慰めるのはわかります。でも、抱きつきます? 普通」
日並の追撃に部長は珍しく取り乱して動揺していた。
「いや、ヒナちゃんは実際に見てないからわからないだろうけど、本当に号泣だったんだよ」
「はぁ」
確かに結構泣いたがそんなに号泣しただろうか。
と言うか実際に他人に言われるとやっぱり恥ずかしい。
早くこの話題が終わってくれ、と静かに願った。
「だからこう……母性本能? を刺激されて、思わず……」
「母性本能、あー……なるほど?」
その言葉を聞いて俺は耳を疑った。
言い訳にしては酷いでしょ部長、と驚いたが、意外にも日並は納得の意を示した。
だがよく考えてみたら確かに、この二人には随分と情けないところを見せてしまった。
最早男の威厳などないのかもしれない。
「じゃあ、別に部長と──君がやましい関係になっていたとかではないんですね?」
「うん、そうだよ」
「なら……まぁ、いいです」
口ではそう言っているがその表情はどこか不満げだった。
まぁ、あんな曖昧な説明では全てを納得はできないのだろう。
それでもひとまずは事情を飲み込んだようだった。
部長は一息を吐くと、「そういえば」と日並に声を掛けた。
「ヒナちゃんはどうして部室に戻ってきたんだい?」
「……単に、忘れ物です」
それが随分と、大事に発展したものだ。
原因の張本人が思うことではないのだろうが。
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