第46話 雰囲気台無しの仕返し
部室を後にすると、俺と日並は特に何を言うわけでもなく、自然と帰り路を一緒に歩いた。
空は濃い青へと移り変わり、西の空から徐々に黄色に染まりつつあった。
今見える景色は、淀んでもいなければくすんでもいなかった。
「あのさ」
日並が口を開いた。
「色々わかった、って言ってたじゃない」
「あぁ」
「その、何があったのか教えてくれないかな」
日並は恐る恐るといった様子だった。
さて、どうしようか。
正直なところ、あまり気にして欲しくはないのだが。
今思えば、中学時代に友人が出来なかったのはそれが理由なのだろう。
小学校で同じクラスだった奴が、クラスメイトに俺の境遇を話した。
それはもしかしたら、善意だったのかもしれない。
だけど俺は、その時から向けられるようになった同情の目が、嫌いだった。
多分その時からもう、両親に関する記憶は失いつつあったのだろう。
理由もわからないのに、クラスメイトが時折見せる同情の目がどうにも嫌で友人関係なんか作る気が起きなかった。
日並に俺の境遇を話したら、中学の時の連中みたいに同情の目を向けてくるんじゃないだろうか。
前みたいに、普通に接してくれなくなるんじゃないだろうか。
そんな恐怖が、俺の口を閉ざしていた。
「……私には、教えられない?」
日並は部長には教えたのに、と言いたげだった。
確かに、半ば事故とは言え部長には俺の境遇を明かしてしまった。
色々どころか丸々全部だ。
部長はそれでも、同情の目をしなかった。
しかし、日並はどうだろうか。
確かに日並とは部長と同じように文芸部で過ごしてきた仲だ。
夏休みからは一緒に遊ぶようになって、部長よりも距離が近くなった。
だから境遇を明かしても、部長と同じように接してくれるのかもしれない。
かもしれないが、だがそれでも、どうしてか恐怖の方が上回る。
何より、俺はこれ以上日並に情けないところを見せたくないと思った。
俺が言い淀んでいると、日並は「わかった」と言って優しく笑った。
「そんなに言いたくないなら、聞かない」
「……いいのか?」
「そりゃ気になるけど、言いたくないんでしょ?」
「……そうだ」
「うん。じゃあ今日あったことは全部忘れる」
日並は頭を人差し指で抑えながら「何も見なかった何も見なかった」と繰り返して唱えた。
俺はそんな姿を見て、思わず笑ってしまった。
こんなにも俺に気を遣ってくれる彼女が、果たして同情の目を向けるだろうか。
ありえないだろう。
やっぱり話そう、と俺が意を決して口を開くと日並は俺を遮った。
「待った。今何か言おうとした?」
「え、うん」
「ダメ、言わないで」
日並は神妙な表情でこちらを見据えていた。
「言ってること、右往左往してホントにごめん。だけどやっぱり、私が聞いたらダメだと思う。多分気にする。──君が泣くくらいなんだもん。私なんかが聞いたら、絶対に気にする」
「確かに気にされると困るが……」
「でしょ。だから言わないで」
彼女の決意は固いようだった。
俺は再び口を閉じた。
だけど、何かしらの形で彼女に答えたい。
そんな思考が渦巻いていた。
彼女は俺の過去を聞いたら気にしてしまう、と言った。
それならば───。
「じゃあ、日並。ポジティブなことなら、言っていいか? 過去のことじゃない。今のことだ」
「……ん、いいよ」
「ありがとう」
それなら大丈夫らしかった。
俺は大きく息を吸って、空を見上げた。
「部長のおかげもあるんだろうけど。多分、日並のおかげでもあるんだ」
「うん……?」
「日並が、俺を外に連れ出して、色々体験させてくれたおかげなんだろう。今日だって追いかけっこして、屋上に転がり込んだ」
「……今思い出すと、ちょっと恥ずかしいケド」
「確かにそうだな。でも、屋上で倒れて空を見上げた時だ」
「うん」
その時の光景を回想する。
今だってそれを鮮明に思い出せる。
「───空が、青く見えたんだ」
鮮やかな青に。
俺は目を見開いた。
濃い青と、水色と、白と、黄色と、オレンジと。
見上げる空は様々な色に溢れている。
今だって世界は鮮やかだった。
「日並のおかげだ」
俺は彼女を正面から見つめて言った。
すると日並は照れくさそうに、「部長のおかげでもあるじゃんね」と笑った。
「雰囲気が台無しだ」
「ね? そうでしょ?」
「あぁ」
終業式の日の帰り道と同じようなやり取りに、俺達は声を上げて笑った。
まだ、整理できていないこともある。
まだ、思い出せていない記憶だってある。
だけど今は、これでいいんじゃないだろうか。
馬鹿みたいに笑って、楽しんで。
俺が本当に必要だったものは、楽しもうとする心だったんじゃないだろうか。
まぁいいさ、と俺は思考を放棄した。
今はただ、日並との約束を守ろうと思った。
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