第19話 一昨年の部誌
「おかえり」
文芸部の扉を開けると、日並がスマホを弄りながら俺を出迎えた。
「部長から連絡来たよ。私の勘違いだったみたい。ごめんね」
「いや、気にしないでくれ。なんか、俺も部長も勘違いしてたらしいし」
部長は早速日並に連絡してくれたらしい。
日並はスマホを置いて頭を下げた。
言葉の通り、本当に気にしないでほしかった。
正直なところ俺はイマイチ現状がわかっていないのだ。
荷物を肩から下ろしつつ、いつものように俺は日並の隣にある自分の席へと座った。
「部長もお葬式なら言ってくれればいいのに」
ぼそり、と日並が独り言のように呟く。
そういえば部長は日並にどこまで伝えたのだろうか。
一応補足しておくことにした。
「昇降口で部長と話したんだけど、あんまり言いたくなさそうだった」
「あ、そうなんだ。まぁ……お葬式……そうだよね……」
日並はシュンとして肩を落とした。
彼女の言葉を聞いて、俺は思う。
葬式、葬式だ。
部長は親戚の葬式だと言っていた。
それはつまるところ、部長の近しい人が、死んだのだ。
死とは、命を失くすこと。
この世から居なくなること。
もしかしたらその親戚が死んだのは、昨日だったのかもしれない。
部室の鍵は開けっ放しで、部長は連絡もせず姿を消し、今日だって言いづらそうにしていた。
ただの推測でしかないけど、ありえない話ではなかった。
人の死、それを思うとなんだか胸の奥がざわざわとして落ち着かなかった。
急に心臓の鼓動が激しくなって、うるさく聞こえて仕方なかった。
嫌な感覚だった。
まるで、胸の奥から何かをほじくり返されるような。
駄目だ。
これ以上考えるのは、よくない。
俺はその感覚を、無理矢理心の奥底へと沈めて抑え込んだ。
「ふぅ」
一息ついて、椅子の背もたれにもたれかかる。
まるで一昨日、ベッドに寝転んだ時と同じような疲労感が俺を襲っていた。
ここは冷静に考えよう。
こうもわけがわからないのは、俺が部長のことを知らなかったからだ。
どうにも部長が落ち込んでいた理由は部長自身が原因らしいし、そこには恐らく部長の過去が関わっている。
それを、部長が言うには、一昨年の部誌を見ればわかると言う。
……本当なのだろうか。
「なぁ、日並」
「なぁに」
「俺、部長のこと全然知らなかったよ。クラスじゃ全然喋んなくて、休み時間中にフラっと消えたりするって、知ってた?」
「……え、全然知らない」
日並は驚いたように目をカッと開いてこちらを見た。
「なにそれ?」と言いたげに眉をしかめていた。
彼女は表情を戻して、「全然知らない」ともう一度言った。
「……じゃあ、一昨年の部誌も見たことないか」
俺の問いに日並は首を縦に振った。
「一昨年の部誌……見てない。一昨年の部誌がなにかあるの?」
「多分、部長の秘密。部長が小説の書き方を教えられない理由もわかるらしい」
「部誌見るだけでわかるの?」
「さぁ……部長はそう言ってたけど」
お互いに口を閉じると、目線は自然と本棚の方へと向いた。
「知るべきだと思うか?」
俺が聞くと、日並は「わかんない」と言った。
「わかんないけど、私は知りたい。だって悔しいもん。一年一緒にいたのに知らなかったなんて」
「じゃあ、見てみるか?」
俺は本棚を指差して聞いてみる。
日並はゆっくりと首を縦に振った。
◇
小百合に少し遅くなる、と連絡をして文芸部の肥えた本棚の前に立つ。
壁際の本棚の隅を見てみると、下のほうに二十冊ほど部誌が並んでいるのが見えた。
「結構歴史長いんだな、この文芸部」
「二十年以上前から続いてるんだ、すごいね」
俺の肩の後ろから覗いてきた日並が感心したように頷く。
相変わらず距離が近くて心臓に悪かった。
背表紙を参考に一昨年の部誌を探してみると、それは本棚の一番下の一番端に、まるで隠されているかのように存在していた。
少しだけ被っていた埃を払って、一昨年の部誌を取り出す。
その時、部誌の手触りに違和感を覚えた。
「なんか……ペリペリしてる」
「ペリペリ?」
「濡れた後に乾かしたような手触りだ」
日並とくっつけた机の上に、一昨年の部誌を置く。
表紙には部誌のタイトルらしき文字の『慟哭』が大きく書かれていた。
だけどその文字はところどころに汚れていて、部誌全体が何かに濡れたような跡がついていた。
その手触りからしても、保存状態が良いものではないとわかった。
「なんか……物々しいね」
「そうだな……」
「と言うか、きちゃない」
「……飲み物でも溢したのか?」
そうとしか思えないような汚れ方だった。
ひとまず読むために机に座って手元に近づける。
すると、なにかが臭った。
「ねぇ、これ臭くない?」
「ほんとだ」
この部誌だ。
一昨年の部誌から、なにかが腐ったような臭いがする。
どこかで嗅いだような臭いに俺は首を傾けた。
「と、とりあえず中身見るか…?」
「めくる時は──君がめくってよ」
「あっテメッ……いや、まぁ、いいけどさ」
多分だが日並は指に臭いがついたりするのが嫌なのだろう。
ここで言い合っても仕方ないと思い、俺は諦めて部誌の表紙に手をかけた。
表紙をめくる。
一ページ目。
目次。
当然だが、目次には小説タイトルと著者の名前が連なって書いてあった。
だけどここにも何かに濡れたような跡。
どうやらこぼれた”なにか”は内部まで浸透しているらしかった。
改めて目次へと目を向ける。
掲載順は学年順らしい。
最初に三年生のものが五作並び、次に二年生のものが三作並んでいる。
ここまでは何も変なところはないのだが、部長名前が書いてある一年生の欄がおかしいことに俺は気付いた。
その欄には───作品が三つあったのだ。
そして何より、部長の横に並べられている二つの名前を見た時の日並の呟きが、部室内の空気を凍らせた。
「……誰?」
一昨年の一年生は、今だと三年生だ。
だけど、文芸部の三年生は部長しかいない。
しかし、一昨年の部誌には一年生の欄に名前が三つある。
つまり、これはどういうことなのか。
何を言ってるんだ、俺は。
考えるまでもないだろう。
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