第20話 『藁にも縋る』
重苦しい雰囲気の中、部誌のページを捲っていく。
三年生、二年生の小説の中身は飛ばす。
今の目的は一年組の小説だ。
「どう思う?」
日並はじっと、部誌を見つめながら呟いた。
「どうって、まだわからないだろ」
俺はページを捲りながら答える。
お互いの曖昧な質問と回答に思わず「フッ」と笑ってしまった。
そう、まだ全てがわかったわけではないのだ。
俺と日並の嫌な予想が外れている可能性だってある。
それを確かめる為に、今はただページを捲る。
『花 一年三組 花園 波』
一年生最初の作品のタイトルと名前には、そう書かれていた。
改めて名前を見てみても、この先輩の名前は記憶になかった。
「部長のは、確か最後だったか。どうする? これ読んでみるか?」
「ちょっと目を通すだけでいいんじゃない……?」
「まぁ、そうか」
そんな会話をしながら日並と共に目を通す。
内容は至ってシンプルだった。
主人公らしき女の子が、ひたすらに花の説明をしている。
山もなければ谷もなく、ちょっと花の面白い豆知識が挟まるくらいで盛り上がりがない。
そんな短編小説だった。
「なんか……普通だな」
「酷い感想だね」
「もっと凄いのを想像してた」
「みんなこんなもんだよ。私だって去年のかなり酷いし」
日並は恥ずかしいのか、顔を背けながらそう言った。
「後で去年のも見るか」
「やめて」
「でも去年の部長の小説も見てみたいし……」
「私が居ないところで読んで、お願いだから」
「わかったよ」
「はぁぁぁ、あの時の部長もこんな感じだったのかな……ちょっと、改めて反省」
日並は顔を手で覆って深いため息をついた。
冗談も程々に俺はページを捲った。
二人目の小説だ。
『夕焼けの空に向かって 一年二組 三笠 宮子』
こちらも短編小説だった。
学生の恋愛の、告白を描いたような作品。
目を通しただけだが、短いながらもよく書けている、と俺は思った。
少なくとも俺が書いたあの小説なんかよりははるかに綺麗で洗練されていた。
主人公の女の子の告白の心情は、こっちまで恥ずかしくなるくらいには上手く書けてるし、風景描写も澄んだような夕焼け空を描写できている。
それにタイトルを回収する最後の展開は目を見張るものがあった。
「こっちはいい感じだね。私好きかも」
「同感だ。というか女の子はやっぱ好きなのか、恋愛系」
「そりゃあね。私も乙女だし」
「ふぅん」
「ちょっと反応酷くない?」
バシバシと日並に背中を叩かれながらも、俺は部誌に目を落とした。
それにしても、と考える。
この部誌に名前がある二人は恐らく、恐らくだが既に文芸部を”退部”している。
それも日並が入部する前の段階で、だ。
『もし知りたかったら、文芸部の棚にある一昨年の部誌を見てくれないか。多分それで……今回のことも、私が小説の書き方を教えられない理由のことも、わかると思う』
部長のあの言葉。
それがまだ繋がらない。
過去に部長の他に先輩がいたことはわかった。
もしかしたら、と思う事柄もある。
だけど……過ち、小説を教えることができない理由、勘違いの理由。
それがまだ完全に繋がったわけではなく、不明瞭だった。
「まぁ、部長の小説も見てみるか」
「そだね」
俺の独り言に日並が頷く。
一度日並と目配せをしてから、俺はページを捲った。
『藁にも縋る 一年四組 佐々原 文乃』
さて、いざ部長の小説を読もうとした時に俺はあることに気が付いた。
このページで大体部誌の三分の二。
部誌の残りは三分の一。
残りの作品は、部長の小説しか残っていない。
「どしたの」
ページを捲った途端に固まった俺を怪訝な顔で日並が覗いてくる。
俺は視線を動かさずに答えた。
「ページ数が、ヤバイ」
ここから先、全てが部長の小説だった。
「ページ数…? あっ、えっ? うそぉ」
日並も気が付いたのか、驚いたように部誌のページを捲ってページ数を確認していた。
三年生の作品でもここまで長いものはない。
ぶっちぎりで一番長いのだ。
圧倒的な文量、圧倒的な差。
俺の中で、疑念が確信に変わりつつあった。
「とりあえず……読むか」
「えっこれ全部!?」
「読まなきゃわかんないだろ」
日並は「まぁそうだけど」と視線を部誌に戻した。
部長の小説を読み終わる頃には、下校時間ギリギリまでに時間が迫っていた。
◇
下校時間ギリギリになってしまったこともあり、その後はそのまま解散した。
家に帰り、小百合が作ってくれた夕飯を掻っ込み、いつも通りに家事をした。
だけどその間、ずっと部長の小説が頭から離れてくれなかった。
部長の書いた小説『藁にも縋る』。
あれは端的に言えば……そう、”劇薬”だ。
良い意味でも、悪い意味でも、衝撃があまりにも大きすぎるのだ。
圧倒的と言ってもいい。
藁にも縋る、と言葉をテーマとして書かれた、人が破滅し、死んでいく様を淡々と描写した小説。
それだけでも衝撃的だというのに、まるで自分の周りにも破滅があるかのような、まるで自らの根底を崩されるかのような、一歩間違えれば簡単に死んでしまうという事実を突き付けられたかのような描写が、恐ろしかった。
主人公の目の前に立つ男が、自らがどのようにして破滅していったかを語り、そして死んでいく。
罪の意識に苛まれて繰り返される自己問答、自己否定。
恐ろしいほどに暗く、救いのない小説。
それが部長の作品だった。
高校一年生の時点であんなものが書けるのか、と俺は部長に改めて驚愕した。
だが、内容も文量もさることながら。
一番の衝撃だったのは、部長の小説に対する熱意だ。
内容、文量、表現。
全てにおいて妥協が感じられない。
物語を読んでいて、それが強く伝わってくる。
部長は小説に対して、本気で取り組んでいた。
部長の過ち。
部長が小説の書き方を教えられない理由。
今はいない元文芸部の先輩。
汚れた一昨年の部誌。
普通の小説と、よく書けている小説と、熱意が凄まじくクオリティも高い小説。
俺の中でそれぞれが一本の線に繋がったかのように感じた。
これは単なる推測だ。
実際がどうなのかなんてのは、部長に聞かなきゃわからない。
だけどなんとなく、こうなんじゃないのかというのが見えてきた。
まずは、部長が小説の書き方を教えられない理由。
これはきっと、人間関係のトラブルが原因だ。
部長が一年生の頃は文芸部にも彼女の同級生がいた。
だけど今はいないし、何より部長の「教えられない」と言う言葉。
あの一昨年の部誌を書くまでに、きっと書き方のスタンスだとか、熱量だとか、その辺りですれ違いが起きてトラブルになったのだろう。
そして部長の言う過ちも、それに関することだ。
『君の書く文章は、なんだか淀んでいるね』
『あ、いや、違うんだ。初めてでこんなに書けるのはすごいよ』
『だけどこれだと……物語の筋に比べて、主人公の心情が、環境描写が、嫌に現実的で……物語の筋と描写が嚙み合っていなくて……まるで淀んだように見えてしまう』
部長の言う過ちは、俺に対する感想、そして、アドバイス。
一昨年に部長は、退部してしまった二人に同じようなことをして、どういうわけかトラブルに発展した。
だから彼女は「同じ過ちを繰り返してしまった」と言ったんじゃないだろうか。
これらを加味すると、部長の勘違いにも説明がつく。
俺が小説を見せて、部長が思わず感想を口にしてしまう。
俺が本当のことを言ってくださいと部長に言って、彼女はアドバイスに近しいことを口にした。
その後、俺は部屋を出て行った。
これでは部長が一昨年と同じようなことをしてしまったと思ってしまうのも納得だ。
そこまで考えて、俺はベッドの上で思った。
「あれこれよく考えなくても俺が悪いんじゃないか?」と。
無意識に口にもしていた。
だって、全ての原因は俺が何も言わずに部室から出たからだ。
未だになんで部室から出たのか自分でもわかんないけど。
「……」
やっぱり明日、部長に土下座しようと俺は思った。
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