第11話 夏嫌いとブルーハワイ
俺の言葉に日並はポカンと口を開ける。
「え? 夏嫌いなの?」
「だって長いし、暑いし、蒸すし、蝉はうるさいし、時間間隔が狂いそうになるじゃん」
───さらに言えば風はぬるいし、垂れてくる汗が鬱陶しいし、蚊はうざいし、日の光が強過ぎるし、飯作る時に熱で暑くなるし、エアコン付けないと死ぬし、朝から暑いし、道路は物理的に熱いし、虫が活発になるし、洗濯物は大量に干さなきゃいけないし、取り込むのも苦労するし、しかもたまに夕立でダメになるし、そもそも夏の雰囲気が嫌だし、夏は青みたいに表現されるけど実際は黄ばんでる。
そんなことを早口で囃し立てて説明していると、いつの間にか日並がドン引きしたような顔で俺を見ていた。
まずい。
久しぶりに不満が漏れてしまった。
去年、達也と夏の話題をしていた時、つい不満をぶちまけてしまった時以来のことだ。その時も、人のいい達也でさえ引き気味に「あんまり人に言わない方がいいと思うぜ、それ」と言われた。
あれ以来、あまり夏の不満を表に出さないようにしていたのだが、思わずまた漏らしてしまった。引かれてないといいのだが。
「……なんでそんなネガティブなのか気になるけど……まぁ、それはおいといて」
日並の顔を見ると、浮かべた笑みは若干引きつっていた。
ちょっと今後の人間関係が心配だった。
「確かにネガティブになっちゃいそうだね」
「……だろ。書くのもつまんなそうだ」
「う~ん、困ったねぇ」
そう言いながら日並は椅子にもたれかかる。
あまり俺の言ったことを気にしていない様子でほっとする。
「日並はどうなんだ? なんか伝えたいことあんのか?」
「私?」
「俺だけ言うのはズルいよな」
「まぁ、そうね」
日並は再び「う~ん」と唸りながら人差し指を自分の顎に当てて考える素振りを見せるが、すぐにぱぁっと表情を明るくした。
すぐに思い付いたのが少し羨ましく思った。
「ブルーハワイって飲むと美味しいんだよ!」
まるで子供みたいな声色で、日並はそう言った。
ブルーハワイと言われて、それを理解するのに数秒かかった。
「……え? ブルーハワイ? かき氷の?」
「うん」
「シロップを……?」
「うん。溶けた氷と合わさったやつも美味しいよね」
どういうことだ。
ブルーハワイは美味しい?
しかも溶けて残ったやつも?
一昨年あたりに一度、小百合とかき氷を作ってブルーハワイのシロップをかけて食べたことがある。
だが、あまり美味しいと思えるような味ではなかった。
それ故に口を付けないでいると、かき氷は光の速さで溶けていった。
「これどうする?」と小百合と目を見合わせたが、勿体ないから飲もう、と決断を下し、結局飲んだ。
溶けた氷と混じってぬるくなった残り汁はもっと美味しくなかった。
それを日並は美味しいと言う。
ちょっと理解できそうになかった。
「あぁ、やっぱりそうなっちゃうのね」
日並はタハハ、と眉をハの字にして笑う。
俺もさっきの彼女のように引いた顔をしていたのだろうか。
彼女の表情は少し悲しそうに見えた。
「なんかねぇ〜、理解されないんだよね。ブルーハワイ」
「俺が夏が嫌いなのと似たような感じか」
「あっ、確かに! あはは」
日並の笑いはもはや自嘲だった。
俺も日並も目線が落ちる。
なんだかしんみりした雰囲気になってしまった。
だけど、理解した。
人は誰しも、他人に理解されないことを抱えているのだろう。
俺の夏のことだったり、日並のブルーハワイだったり。
部長だって、多分だけど人には言えないことを抱えている。
小説の書き方を教えることができない理由だとか。
だからこそ、”それ”を伝えたい。
だからこそ、その思いを乗せて小説を書く。
案外それでいいのかもしれない。
そう考えると、あのうんちくを垂れていた記事は核心をついていたようにも思える。
「そっか。だから、伝えたいことを小説に、なんだね」
「まぁ、このままだと夏のここがクソ! と、ブルーハワイの美味しさが伝わらない!って小説になっちゃうけどな」
茶化しながら肩を竦める。
進展はあったものの、また行き詰まる。
このままではネガティブな小説になってしまうのは変わらなかった。
「あ」
日並の目線が机の上に移動すると、彼女は何かに気が付いたような声を上げた。
先ほどまで読んでいた異世界転生の小説を手に取り、俺に見せる。
「逆でいいんじゃない? 異世界転生みたいにさ」
「はぁ」
わけがわからず素っ頓狂な声が漏れる。
「異世界転生の主人公達って、転生すると生活が逆転したみたいに変わるんだよ」
「まぁ、世界が変わってるからな」
「うん。だからさ、───変えちゃっていいんじゃない? 世界」
「……どういうこと?」
「私達が書くのは、嫌いな夏の世界じゃなくて──君の望む夏の世界。ブルーハワイの美味しさが伝わらない世界じゃなくて、伝わる世界。つまり、望む世界」
「望む、世界」
「そう。そんなに夏が嫌なら、逆に『こんな夏を過ごしたい!』って思ったことを書けばいいんだよ」
頬杖をつき、なんてことないように彼女は言う。
思いもよらなかった答えに、 俺は目を丸くした。
「簡単な話だったんだ」と日並はピースサインを俺へと向ける。
しばらくの間呆けていたが、俺は彼女の言葉をゆっくりと飲み込んだ。
なるほど、その発想はなかった。
現状を逆手に取った面白い発想だ。
「こんな夏を過ごしたい、か」
「うん」
思えば俺は、いつしか何かを望むことを諦めてしまったように思える。
───こうであればよかったのに。
───こんな風だったらよかったのに。
そんな些細な願いさえも、ここ数年間は、少なくとも中学の頃から思ったことなんかなかった。
現実はこうだ、目の前にあるものはそうだ、と目に映るものしか認識できなくなってしまったように思える。
だからだろうか。
日並の言った「望む世界」という言葉が、まるで沈んだ湖の水面から手が差し伸べらたかのように、とても魅力的に思えた。
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